雨が運んでくれる。


 十一のときだっただろうか、眠くて眠くて仕方がない時期があった。日がな一日眠気がずっと付いて回るほどで、歩いているときもつい道端で眠ってしまいそうなくらいだ。夜どれだけ早く布団に入りたっぷりと寝てもあまり効果がなく、何かの病気ではないかと心配されるほど、とにかく常に睡魔に襲われていたのだった。
 昼ごはんも済んだ授業をなんとか乗り切ったあと、睡魔がピークに達した私は教室を抜け出して屋上に登っていた。従兄弟であるイルカの授業のあとは退屈な座学だし、正直意識を保っていられる自信がない。まあ要するにサボって寝るためだ。鉄扉を開け放った屋上には燦々と太陽が降り注いでおり、天国かなにかのように輝いて見える。私はふらふらと誘われるままに日当たりのその場所に倒れこんだ。

「ふあぁ……」

 丈の長い上着で身体を包み、丸まって大きな欠伸をする。やっと身体を横たえたら限界はすぐに迫り、陽に温められて私はすぐに眠りに落ちたのだった。


▲▼


「うおっ」

 何か布の塊が落ちていると思ったら人だったので、シカマルは思わず小さく声をあげて仰け反った。いつも通り授業をフケて屋上に上がり、のんびり昼寝でもしようかと思えば今日は先客がいたらしい。誰だよ、と口を尖らせて俯いた顔を覗き込んだら、それがサボりなんてまず縁がなさそうな人物だったのでシカマルは余計に驚いた。
 同クラスの汐野アンリである。
 いつも教室の中央あたりに教科書とノートを広げて書き物をしている真面目な彼女が、自分の特等席で心地がよさそうに寝こけている。そりゃあ気持ちいいだろうよ、こんないい天気だ。はじめは不満顔だったシカマルだったが、アンリがあまりにもくうくうと穏やかに眠っているのでつられて眠くなり、少し離れた場所にごろりと寝転ぶ。両手を頭の後ろにやったいつものポーズで、暫しそのまま動かずにじっとしていた。

 ーーーぽつり。

 三十分あまり経っただろうか。鼻先に落ちてきた冷たさにシカマルはふと目を覚ました。抜けるような青空は機嫌を損ねたように鈍色に曇り、一雨来そうな気配が立ち込めている。今日の昼寝はここまでだ。立ち上がって中に戻ろうとしたとき、先ほどの体勢から微動だにせずに眠っているアンリを横目で見た。さすがにこのまま放っておくのはあんまりかと思い、シカマルは彼女の肩を揺する。
 が、一向に起きない。
 身じろぎさえせずに熟睡するアンリに目を細めたシカマルは、だんだんと強くなりつつある雨足に眉をあげて頭を掻いた。そしてため息をついたあと仕方なく少女を抱き上げ、屋根のある場所にたどり着く。床は屋上部分と違い打ちっ放しの石造りという感じで、流石に寝ている女をそこに放り出すのもどうだろうかーーーと考えて、柄にもなく気を使った少年は自分の上着を丸めて枕代わりにしてやった。

「(……オレ、何やってんだ?)」

 雨は徐々に激しさを増している。通り雨にしては勢いが強い。上着を脱いだせいで肌寒いし、出口から離れてしまっているから教室に帰れないし、今更濡れてまで走る気にもなれなかった。何もやることがないのであぐらに頬杖をついた体勢で、シカマルは何の気なしに同級生を眺めることにした。
 相変わらずよく眠るアンリは、女子の中では背が高いほうだ。女というのは大抵グループを作って行動するものだが、彼女はそういえば誰か特定の人間といつも一緒にいるイメージがない。ヒナタとは喋っているのをたまに見る気もするが、汐野アンリといえば思い出すのはやはり教室の黒板を真剣に見つめている姿である。

(そう考えるとなんか女子女子してねーんだよな、こいつ)

 かといって別に男っぽくはない。特別目立つわけでもないが、影が薄いというわけでもない。可もなく不可もなく必要最低限の人間関係を持ってはいるが、他人に振り回されずマイペースに過ごしている。そんな感じだ。もっともシカマルがアンリについて知っているのは今のようにぼうっと教室を何もせずに眺めている時の印象だけなので、実際のところはどうなのか分からないが。
 そうこうしていると、黒髪の奥でピクリと瞼が動く。枕にしたシカマルの上着を抱え込んでさらに丸まったかと思うと、ゆっくりと目が開いて頭が上げられた。寝ぼけ眼と目が合う。「はよ」と頬杖をついたままのシカマルが声をかけるとアンリはむにゃむにゃしながら「おはよ……」と返したが、自分が何故ここにいるのか分からないのか不思議そうに首をかしげた。

「………?」
「よく寝てたなお前」
「ん………シカマルくん? ねむ……」

 大きく欠伸をしながらぐずるようにを擦り寄せたあと、その枕に見覚えがないと気付いてぱちっと目を開いた。やっと丸くなった瞳は黒目がちで大きく濡れているように見える。アンリはまだ夢の中のようにゆったりとした指の動きで上着の皺を軽く伸ばし、雨が滴る屋上と屋根を見たあと、やっと身体を起こしてシカマルに向き直った。真っ黒な瞳に見つめられて尻の座りが悪くなったシカマルは差し出された上着を受け取ってさっさと着込む。

「ありがと」
「……おー、」
「ずぶ濡れになっちゃうとこだった。優しーね、シカマルくんて」

 アンリはいまだ夢見心地の目をしたまま、嬉しそうにへらりとシカマルに笑いかけた。揺れた髪から不意に柔らかい香りが届く。気恥ずかしさから何と答えていいか分からなかったシカマルは元々悪い目つきをさらに悪くして仏頂面になったが、彼女は気にも留めていないようだった。
 いつもここに来るの、という問いに「ああ」だか「うん」だか分からない微妙な返答を返す。それからぽつぽつと言葉を交わしたのだが、内容はあまり頭に入らなかった。やがて雨が止んで雲間に光が射し込んだ頃、アンリはおもむろに立ち上がって教室に帰るようだったので、シカマルはそれを見送る。

「私はそろそろ戻るね。イルカ……先生の授業は、サボったら怖いよー」
「んあー」
「じゃあ、またね」
「………おう」

 微笑みを浮かべた顔がシカマルを振り返り、そのまま扉が閉まって階段を下りていく。ごく軽い足音が遠ざかっていくのを聞きながら、シカマルは笑い出してしまいそうなムズムズとした気分になった。わざわざ言わなくても教室に戻れば必然的に会うというのに、律儀な挨拶が可笑しかったのもあるが。
 羽織った上着はどこか他人の服のような匂いと感触をしている。大して心地よくもない地面で、せっかくだからもう少しサボっていくかと再び目を閉じる。さっきまで雨が降っていたとは思えない良い天気だった。
 


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