埋まらない空洞を誰しも抱えている。
 心の機微についてなど、年若い頃のラーハルトは考えたこともなかった。槍を握り戦場を駆け、武勲を一つでも多く勝ち取ることを至上としていた生活では望むべくもないものだ。二度。バランという主君に命を貰った。一度は人間どもに迫害され飢え死にしかけていたあの時、そして闘いの果てに倒れたあの時だ。
 ラーハルトを魔王軍上がりの血も涙もない殺し屋だと考える者は多いだろう。しかし彼は障害を越えて結ばれた父母に愛されていたことを知っている。人を愛したバランに、本当の息子のように愛されていたことも知った。ダイという新たな主君がレオナ姫と共に育んだ愛も見てきた。今更「愛など下らない」などと言うつもりなどない。しかしそれを自らが手にすることはないのだと、ほとんど根拠もなく思っていた。

「アレ?あんたまた来たの?私のところに来たって茶なんか出さないぜ」
「貴様の茶なんぞ期待していない」

 ロモスの郊外、魔の森。
 宝を追い求めて世界を闊歩する盗賊は、相も変わらず世界を救った勇者パーティの一員とは思えない生活をしている。大魔王バーンを倒した功績を振りかざせば世界中の王宮から宝が贈られるだろうに、与えられるものに価値などないと突っぱねたのだから、彼女も相当な変わり者だ。馬車を引く愛嬌のあるドラゴンが、ラーハルトにじゃれるように「アギャ」と鳴き声を上げた。
 荷物を置いて槍だけをラーハルトが持つと、アンリは後ろ手で頭を掻いて呆れたように溜息をつく。まあ、ラーハルトがあのヒュンケル同様の修行バカであり、そのへんの兵士では相手にならないというのは周知の事実だったが、わざわざこんな僻地までご苦労なことだ。アンリはマントを放って愛用の金色に輝く爪を装備し、振り返って好戦的に笑う。

「よォーし!今日は気分が乗った!正々堂々防具なしの一本勝負だ」
「いいだろう」
「じゃ……いこうか」

 森の木が風に揺れる。両者独特の構えを取り、それから一歩も動かない。枯れ木からカサリと一枚の葉が落ち、地面に落ちたと同時に姿が消えた。
 ラーハルトは正面から打って出る。神速の槍使いから真っ向に打ち合っても勝ち目はない。アンリはその身軽さを活かし、鬱蒼と茂る木々の中へと忍んだ。障害物の多いフィールドは大得意だ。アンリ相手に森の中に大きな槍一本で向かってくるなんて自殺行為と言ってもいい。普通の相手ならば、だが。

「………そこかッ!!」
「うげっ」

 潜んでいた木々が大きく揺れる。槍の穂先が捕らえられようとしたがしかし、まだ余裕を持って他の木に移った。そのまま木々を縦横無尽に飛び移りラーハルトを翻弄しようとするが、スピードなら彼も負けてはいない。確実にアンリを追う穂先は、彼女の肌や服を掠りはじめている。
 非常識なバーサーカーめ。
 早くも目を慣れさせてしまったらしい。あまりにも早いその反応に、彼が戦闘の天才であることを再三思い知らされる。時間をかけるのは得策ではない。奥歯を噛みしめたアンリはすぐさま勝負に出た。強く木肌を蹴る。弾丸のように向かってくる黄金の爪を槍が正確無比に捉えた。

「『ピリオム』ッ!!」
「ッ貴様!」

 呪文で一気に加速したアンリを見極めきれず、槍は爪に簡単にいなされる。アンリは素早く体を反転させ、両足を向かい合ったラーハルトの首に絡みつけた。そのままガッチリと嵌め技を決めたアンリは不敵に笑い、気道を圧迫されたラーハルトは苦しげに動きを止める。

「グッ、ぐうう、アンリッ!おまえ、何が、正々堂々だ……ッ!!」
「ケッケッケッケ!アホめ!戦士ってのは単純よのォ〜〜ッ!!」

 防具は無しと言ったが呪文まで無しとは言っていない。作戦通り不意がつけて嬉しかったのかアンリは高笑いを上げ、力の限りに容赦なく締め落とそうとする。はじめからこうするつもりだったらしい彼女を睨みつけ、ラーハルトは目の前がグラリと霞むのを感じた。
 しかし、男のプライドがそれを許さない。
 辛うじて槍の持ち手を切り替え、自らの足の甲を突き刺した。激痛にカッと目を見開いたラーハルトは、そのまま槍を回転させ逆さ吊りになっているアンリに向かい薙ぎ払う。首元に迫った槍にヒヤリとし、アンリは思わず力を緩めてしまった。呼吸を確保できたラーハルトは瞬時に手首をひねり、彼女の小柄な体を地面に叩きつける。
 ギラリと眼前で輝く刃。
 わずか1秒足らずの間だった。

「………俺の勝ちだな」
「っだあーー!!!くっそー!速すぎなんだよバカッ!参りましたぁ!」

 悔しそうに宣言したアンリに、ラーハルトは勝ち誇ったように口の端を吊り上げる。バーン・パレスで見せた頃よりもさらに鮮やかになっている技に歯噛みし、もう少し真面目に修行でもしようかと思いながらアンリは地面に座り込んだ。元々主な戦闘員ではないとはいえ、裏をかいてなお負けたとあっては盗賊の名折れである。

「あーあー、スピードといえばこの私!だったのにさ。あんたが来てから完全にお株を奪われたって感じだ……」
「死んでいたほうが良かったか?」

 アンリの瞳が月のように丸くなる。見上げてくる金色をラーハルトが真っ直ぐに見つめ返すと、アンリはばつが悪そうに視線を逸らして顔を背けた。男が黙ったまま槍を傍に置いて座り込むと、少女はぎょっとしたように膝を抱えて体を引き、それからややふて腐れて頬杖をついた。
 今のは少し意地の悪い質問だ。パプニカ王となったダイの側近であるラーハルトが、わざわざ何の用もなくロモスくんだりまで来るほど暇ではないことをアンリだって知っている。手合せが目的というのが全く嘘ではないにしろ、全てではないことも分かっているだろう。暫しの沈黙のあと、アンリが観念したようにラーハルトに背を預けた。

「そんなわけないだろ。分かってるくせに、ヤな奴だな」

 服越しでも分かる魔族特有の低い体温。ラーハルトは混血だからか、その肌の色に反してアンリよりも少しばかり高い。彼女の出生は結局謎に包まれたままだったが、いわゆる「はみ出し者」ばかりを集めた盗賊団にいた彼女の傍はラーハルトにとって心地がいい。それは彼女にとっても同じらしく、結局は馬車のドラゴンがラーハルトに懐くほど頻繁に会ってしまっている。
 人生は誰かを見つければ劇的に変わるという。人間は魔族に比べて寿命が短いからなのか、その「誰か」を見つけるのがとても上手い。とても奇跡としか言いようのない確率で出会い、想いを通わせられるのだから。

「お前は本当に、姑息で性根がひねくれた可愛くない女だ」
「ああん!?」
「だが、居ないと俺が困るからな」
「はっ?」

 思わず振り返ったアンリの間抜け面を見て、ラーハルトはふふんと再び勝ち誇った笑みを浮かべる。アンリは怒りのあまり一気に顔を顰めて牙を見せ、思い切りバシッと彼の背中を叩いたあと、頭を抱えて森に響き渡るほどの大声で叫んだ。

「お前キライ!!」

 大きな尖った耳まで真っ赤に染まっているのを横目で見ながら、一瞬「勝った」と思ったが、勝っても仕方がないと内心で溜息をつく。やはり上手くはいかないなとラーハルトは背中を擦った。何せこの決して器用ではない男では、彼曰く性根のひねくれたどこまでも素直でない女相手に何年かかるか分からない。
 誰しも埋まらない空洞を持っている。
 宿命を背負った少年も、強くなりすぎた少年も、戦いに憑りつかれた男も、生き方を問う少女も皆。だから「誰か」を探すのだ、生きている間はずっと。そうしてそうであればいいと、少し期待しているのだろう。手にできないと思っていた何かを。誰かを。幸いなことにもう大きな戦いは暫く起きないだろうし、時間は人間に比べれば永劫のようにある。
 気の長い話に呆れたように、木陰に伏せていたドラゴンが大きく欠伸をした。





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