「いつから吸ってるんですか」

 少年が寝床から声を上げる。
 瞼を閉じてから数十分経ったのでそろそろ眠りに落ちたかと思ったが、彼の不眠症という病はなかなか厄介らしい。掠れた、まだ二次性徴を迎えていない高い声がもう一度同じ問いを口にする。窓際で紙巻きに火をつけていたその人物は、甘い香りのするそれを目一杯吸い込んでから窓の外に吐き出した。
 煙草のように店頭では売っていないそれは、男―――と言うと語弊があるのだがこの話ではそう呼ぶことにする―――が自ら刻んで紙に巻いたものだ。といっても入手は容易くそれほど値も張らない。一般には大麻、マリファナと呼ばれる代物である。ケイはその質問に自身の記憶の糸を辿ったが、遥か昔のことではっきりとした年数は口にできなかった。

「さあ?あまり覚えてない……父親が好きでね、気付いたら吸ってた」
「副作用は?」
「いいや、別に幻覚も出ないし。あ、スペースケーキをコニャックで流し込んだときはすごく回ったな、あれはやめといたほうが良いぞ」
「やりませんよ、そんなこと」

 瞼に乗せた腕をずらし、ジョルノは普段の澄んだ目とは違った色でケイを見た。ケイは唇に細い葉巻を挟んだまま、その端整な顔に笑みを乗せて少年を見下ろす。
 ブロンドの美少年と美丈夫が薄暗い寝室に揃っているからといって、彼らは別に蜜なる関係ではない。こうしているのはむしろ、二人の間に書類と紙幣によって交わされた実に味気のない契約があるからだ。窓を開けているとはいえ部屋に漂う甘い香りをジョルノが吸い込むと、ケイはさらに笑みを深くする。

「どうした、ドン・パッショーネ。麻薬ルートの壊滅に後悔が?」
「まさか。麻薬は人を狂わせる"欲望の粉"だ。出処から厳しく取り締まらないとこの街は変わらない。ジャンキーどもにいくら恨まれようとだ」
「まあ、ギャングなんてそんなもんさ。感謝は一瞬、恨みは三代……」

 悩ましいのは、その境目だ。
 人を依存させるものが全部悪とするならば、ジョルノは今すぐケイの吸っているマリファナを取り上げてポケットのチョコレートまでゴミ箱に捨てなければならない。街に蔓延る煙草も酒も全てだ。もちろんそんなことはほとんど不可能だろう。
 澄み切った水に魚は棲めない。人も同じだ。ネアポリスの街を変えるにはギャングとなってそうした暗部も飲み込まなければならない。少年の夢に曇りはなかったが、結局同じ場所で苦しめられることになる。必要悪と絶対悪。境界線は一体どこにあるのか。

「君が線を引けばいい」
「何だって?」
「今やパッショーネは名実ともにこのネアポリスの支配者じゃないか。そのボスである君が言えば黒も白になる。いや、カラスも一匹残らず撃たれて落ちるよ」

 ぞっとするほど甘い言葉だ。
 少年は金色の睫毛を震わせてケイを見上げる。ベッドサイドに長い足を組んで腰掛けているその人物を、定義するものはこの世に存在しない。自身にかかわる全てのことを独断と独善で線を引き、その一切を肯定して生きている。雁字搦めの少年に比べれば、葉巻を咥えて微笑むその瞳のなんと自由なことか。
 しかし、ジョルノは知っている。黒を白に無理やり変えて来た男がどのような末路を辿ったか知っている。白を白と信じた男がどれほど素晴らしい魂を持っていたか知っている。そうでなくては、そうでないのなら、いっそ何もかも報われないじゃないか。

「しません」
「可能なのに?」
「僕はどれだけ苦しんだとしても、正しいと思う道を行きたい。僕が生きるためにはそれが必要なんだ」
「……………」

 ジョルノは固く目を閉じて祈るように両手を握りしめ、侵食する甘い香りがこれ以上体へ入り込まないように深くシーツを被って丸まった。ケイはすっかり短くなった葉巻の火先を灰皿に押し付け、窓からそれを投げ捨てる。日中に降った雨で湿った土が、香りも何もかも包んで腐らせてくれるだろう。
 間違いといってしまえばそれは「スタート」からなのだ。父親が誰か別の勤勉なサラリーマンであったならば、今ここにこうして立つことはなかっただろう。母親が道徳的で教育に熱心ならば世界の後ろ暗い部分など知らず無邪気に学校に通っていただろう。けれどそうはならなかった。だからこの話は堂々巡りになって、決して誰もが望むゴールには辿り着けない。
 ケイはよく手入れされた爪先で、少年のやや痛んでいる金髪を解いてやる。うなじを掠めたひやりとした体温にジョルノは一度肩を跳ねさせたが、それだけだった。

「君と私に大した違いはないよ。ただ生まれて、生きて、あとは死ぬだけさ」
「………僕はあんたとは違う」
「ああ、そのとおり」

 ただ、その湛えられた微笑みがほんの少し羨ましくなる時があるのだ。ついに泣くほど憧れたギャングスターになった今、彼のように感情も何もかも割り切って自由気ままに生きている人間を見ていると。もしかして自分はとんでもない間違いを犯していて、幸福というものを己で溝に捨てているんじゃないかと思ってしまう。
 生者は死者を羨み、死者は生者に憧れるものだ。けれどそうはなれないしならなかった。だからこそこの話はもう終わりなのだ。パチンと音がなって部屋が暗闇に沈む。最後のスイッチをオフにしたケイが出て行く様子がないのを見て、ジョルノはやっと体の力を抜いた。

「はやく眠っちまいな。きっと、明けない夜なんてないんだから」




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