海に明かりはない。船は灯台の光から遠く逃れ、いつしか手の届かない所まで来てしまった。暗闇の中で一滴、ぽとり、と落としたような、頼りない篝火に浮かぶ白い手首。その抜けるような乳白色に張りのある無骨な手が乗っかるが、しかしその実どちらが押されているのかといえば男―――少年の方であった。
 男くさい手のわりにはあどけない瞳をどうしてやろうかと、彼女は甘えるように唇を寄せた。少年が罠と知らず顔を近づけたら、待ってましたと目にふーっと息をかける。反射的に目をつぶった少年の間抜けな表情に、隠すことなく噴き出した。

「そうしてると馬鹿っぽくて心底かわいいわ」
「ひでェ!なんてこと言うんだお前!」
「どう、どう」

 噛み付きそうな馬を宥めるように頬から耳にかけてすりすりと撫でつける。滑らかな手の感触に誤魔化されているとは分かっていても、彼女の柔らかな香りは彼を深い眠りに誘う。寝てしまいたくない。朝になれば彼女はも居なくなっている。眠れない夜には決まってこうだった。

「……撫でるなよー」
「あら、お気に召さないかしら?」
「寝ちまいそうだ」
「そのために来たのよ、ルフィ。寝てしまいなさいな」

 夜の逢瀬、と言えば聞こえはいいが、彼女と会う度に胸を針でつつくような罪悪感の正体をルフィは未だ知らないでいる。別段、誰を怒らせるわけでも、悲しませるわけでも、まして裏切るわけでもないのに。
 きっと「酷いことをしている」ような目を彼女がするからだ。自分から現れるくせに、この悪事を早く終わらせてしまいたいとばかりにルフィを寝かしつける。

「おれの仲間になれよー」
「またその話?たまには海王類か戦いか「仲間に入れ」って以外の話をしてみたらいかが?」
「明るいうちも一緒に居ればいいじゃねえか、海賊は楽しいぞ!」
「ダメよ。だってあなた、私がいるとてんで抜けてるんだもの」
「う」

 反論の術を失った少年の瞼ももう限界だった。少し身体を寄せて、夢の底から湧き上がるような微睡に身を任せる。まるで母の揺りかご。癖のついた黒い髪を撫でる、彼女の睫毛が3度瞬きをして、篝火をそっと消した。。
 ここは海のほとり。世界の誰も知らない場所。灯台から逃げ出した憩いの地。この世の有象無象も忘れて、しがらみを砕いて星にする術など、深窓の魔女ですら持たないのだ。

「おやすみ、ルフィ」

 あなたが夢の中で迷いませんように。



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ルフィと魔女





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