「眠れないから一緒に寝てもいい?」
そう言って主人の了承を取る前に布団に潜り込んだアンリは、満足げにマトリフの胸に頬を寄せ、程よく肉のついた柔らかい足を絡めた。 理想を追求したような肢体を持つ女にベッドに入られて不愉快に感じる男など存在しないだろうが、彼女ばかりは事情が違う。マトリフは溜息をついてアンリを自分から引きはがし、ベッドの端へと転がした。
「ホーレあっち行けこの魔物め!」
「魔物って言わないでよ、半分は同じなんだから……」
「そう言うんなら魔力使ってんじゃねえぜ、人間扱いしてほしいならちったぁ人間らしくしてみな。ダハハハハ!」
数か月前「世界で高名な老人」の一人に数えられる魔導士が住み着いている洞窟に、何処からか流れ着いた衰弱した少女、それがアンリだった。マトリフとてこのままでは死んでしまうという状態の女を捨て置くほど、人間不信の傷が深いわけでは無く。 潮にまみれた体を洗ってやり、暖かいベッドに寝かせて回復呪文をかけて。彼には珍しく甲斐甲斐しいほどに怪我人の世話を焼いたのは、ひとえに彼女が類い稀なる美しさを持っていたということに他ならない。
「よォ姉ちゃん、生き返ったか?そんな若い身空で身投げなんてするもんじゃねぇぜ」
「……アナタが助けてくれたの?それとも私、一度死んでアナタに生き返らせてもらったの?」
「どーっちだってイイだろ?白馬の王子様に助けてもらったーって思ってりゃあいい」
「白馬の王子様」
水に濡らした布からそっとお目見えした異形の光に、マトリフは心底「しまった」と思った。人間のような姿形で肌の色も耳の形も同種のものであったからすっかり油断していたが。 彼女は男の杖を持った手に跪き、その柔らかな唇で騎士の誓いのように口づけを落として、棘を持つ美しい華に似た微笑みを浮かべた。
「私の王子様、命の恩人、アンリの生涯を貴方に捧げます」
理想を象った姿で男を誘惑し、精根尽き果てるまで奪い尽くすという、非常に高度で恐ろしく、そして男からすればどこか魅力的な性質を持っているモンスター、サキュバス。 この少女こそ、その魔物の血を半分といえど引いている「ハーフサキュバス」とでも呼ぶべき存在なのである。 見た目こそ人間と変わらないが、素肌を合わせることで人間の精気を吸い上げる性質の魔力をしっかりと持っていた。
「ったくよ、余生の少ないジジイをイジメんじゃねえよ。もっと若いのに行きゃあいいもんを」
「他じゃ、意味がないわ」
「ああ?」
「私は食べ物が欲しいからここに居るんじゃない、マトリフが好きだからここに居る。だからマトリフが本当に、心の底からアンリを拒否したら、お別れをしてどこかへ行きます。悲しい、けど」
人ならざる輝きを湛えた瞳が、感傷家でなくとも言葉に詰まるほど美しい色彩でもって、暗い洞窟に灯った蝋燭の光さえ吸い込んでいく。 彼女の寿命は果たして人間と同じなのか、はっきりとは分からないという。高等魔族に並んで数千年の生を彷徨うのか、はたまた人と同じく一世紀よりも短い命を生きるのか。自ら不可視のブラックボックスを抱えているくせに、打算を含まない言葉は確かな響きを持っていた。 マトリフは溜息を零してごろんとベッドに体を投げ出して足を組み、興味なさげにぶらぶらと遊ばせる。
「どこかっつーと?」
「どこか……どこか別のところ」
「ヘッ、行くアテもねーくせに生意気な口叩きやがって。この先にゃ壊滅して人っ子一人いねえバルジ島か、大渦の底にいるモンスターくらいしか居ねえぜぇ。大方お前もあの襲撃から逃げ出してーってとこだろ、ケケケ!」
「だ、だって、酷いことしようとするんだもの……マトリフの意地悪」
「その意地悪ジジイなんかに惚れちまってるくせによぉ、バッカだねぇ」
皺の刻まれた目元を三日月型にして浮かべられたニヒルな笑みに、アンリは恨みがましいような視線を送る。 そうしている彼女を数秒放っておいて、懇願する情けない声が上がったと同時。マトリフは老年とは思えない力強さで細い腕を引き、またニヤリと笑って「魔力を使うな」と言って目を閉じた。 アンリは驚きのあまり少しの間放心したあと、追い付いた喜びとに頬を赤くして歓声を上げそうになった。しかし声に出してしまえばまた放り出されてしまうかもしれない。倣って目を閉じ、浮足立つような心を徐々に寝かしつける努力を始めるしかなかった。
同じ穴の狢
オレもヤキが回った、な。
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