壁内に戻った直後の食堂は、妙な熱気に包まれている。

 仲間の死を悼み、怪我の回復を祈り、また帰還できた幸運を分かちあう。街に残した家族に会える喜びで酒が進む者もいる。まるで葬式と祝賀会だ。
 簡素なプレートに乗せられたチキンのトマト煮込みには、栄養バランスが整えられた野菜がごろごろと加えられている。開拓地に比べれば食材は豊富だろう。ナイフとフォークで乱れなく口に料理を運び、咀嚼する。それだけの動作が苦痛になる。そんな感傷はとうの昔に捨ててしまった。

「やあ、どうだった?『新特別作戦班』は」
「どうもこうもねぇ」
「……良い意味じゃあないみたいね」

 先月、壁外調査で部下の多くが戦死し、団員がほぼ総入れ替えとなった。実戦の中で鍛え上げられた兵士を失ったのは被害が甚大だったが、今回も負けず劣らずの結果だ。
 自分がついていながらなんて体たらく。
 近くに腰を下ろしてパンをかじりはじめたハンジと入れ違うように、トレイを返却するため席を立つ。追ってくるような好奇の目を視線で蹴散らし、マントを翻して熱気のこもる食堂を抜けていった。

「一人だ」

 生き残ったのはたった一人。今年第101訓練兵として卒業したばかりの、15歳の少女だけだった。


▲▼


 中は酷い有様だった。
 荒れているという意味ではなく、生活に必要なものをすべて放棄しているような部屋。拠点も巨人に襲われゴタついていたので手が回らず、帰還兵は自分で寝具や水などを取りに向かえと告げられていた。
 行くのを忘れていたのか、気力もなかったのか。
 がらんとした部屋。備え付けの薄っぺらな毛布にくるまる少女。建て付けが悪いのか窓ガラスはカタカタと小刻みにふるえている。覗いたほの暗い紫色の瞳に、根拠もなく「こいつは死ぬかもしれない」と感じた。

「オイ」
「………あれ、兵長」
「飢え死にしてぇのか?部下の管理も俺の仕事だ、わざわざ宿舎でくたばられたらいい迷惑なんだよ」
「?」

 眼前に持っていった青いパッケージには「ローストビーンズ」と書かれている。豆の缶詰。一瞬意味を計りかねたようだが、すっかり暗くなった窓の外を見てぎょっと目を見開いた。
 規定の時間を遅れてのこのこと現れた間抜けには、暖かい食事は用意されないだろう。この嫌になるほどシンプルな豆だけが、少女に与えられる食料である。

「これ、このまま食べるンですかあ」
「文句たれるんじゃねえ、栄養分としては申し分ない」

 情けない声をあげて毛布にうずくまる塊を蹴飛ばしたくなったが、今の状態では呻くだけだろう。無視するようにコンロに水を入れた鍋を乗せ、青缶をそのまま突っ込んで火にかける。
 とろとろとした火は時間がかかりそうだ。繭のように動かなくなったソレを見てイラつき、足は結局尻のあたりを蹴っていた。くぐもった悲鳴を上げる響きは、思いの外元気がいい。

「てめえは内地だと芋虫だな、ドノヴァン」
「…………」
「おい」
「ドノヴァンはもう居ません。アンリなら出せまーす」
「元気そうじゃねえか、豆は持って帰る」
「わーーーーっ!」

 まだ暖かい程度の湯に手を入れようとしたら、アンリ・ドノヴァンはやっと手を出して裾を掴んだ。頼りない手首は、驚くほど鋭く巨人の命を削ぐというのに。
 毛布から這い出てきた少女は、思い出したように直立して右手を心臓に当てて敬礼をした。今更すぎて反吐がでる、と言ったら大して堪えてもいないように息をつく。

 体躯は小さい。筋肉はついているのだろうが、兵士の平均もないのではないかというほどだ。しかし第101期を主席で卒業した実力は伊達ではない。立体機動装置の扱いと脚力、瞬間の判断力には目を見張るものがある。
 その面影も、今や露ほどもない。
 邪魔にならないように結い上げられた髪を、窮屈そうに解いて突っ伏す仕草たるや、まるでただの少女だ。

「巨人って、ほんとに居たんだぁ、と」
「ああ?」
「思ったんですよ。だって、本で見るくらいだったし……だったら、他にも怪物っているんですかね?」

 よく見れば、軍服も脱がず帰還したときのままだ。返り血で汚れた姿に無意識に眉が寄った。真意の見えない瞳がぼうっと天井を見上げている。

「いや、もういるかもしれませんよ、見えないだけで。例えば一人の人間に憑りついてて、近づいたら皆死んじゃうんですよ。でも、憑りつかれた奴はピンピンしてる」
「眠いならさっさとクソして寝ろ」
「寝ぼけてないでーす」

 戦死した者達は、何もアンリを庇って死んだわけでもない。そもそも討伐においてお互いをサポートはしても庇えることは稀であり、ヘマをすれば死ぬしかない。
 生き残ったということは、それだけ優秀だということだ。逸材と言っても良いだろう。人類最強などとふざけた名で呼ばれる身ではあるが、彼女はたびたび自分ですら思いも寄らない方法で巨人を倒した。

 予感を確かに纏わせている、ような気がする。陰惨な死のにおい。壁外において何度も嗅いだような、生暖く終わりを感じさせるそれ。
 そんなものはただの妄想だ。

「アイツ等の死がそんなもので片付くか。てめえの精神安定のための妄想でまで、俺の部下を殺すな」
「………」
「死んだ甲斐もありゃしねえ。出来たぞ、食え」
「食欲が」
「いらねえなら、今ここで死ね」

 酷く傷ついたというような表情で見上げてくるのを、目を眇めて一蹴する。缶を開けるための小さなナイフでさえ、この少女の命を絶つには十分だ。
 強く強く睨みつけてくる目。壁外で巨人相手に見せる、自分を害する者を刺す視線。もしもこの切っ先を向けようものなら、逆に奪って殺そうとしてくるのだろう。
 さっきの虚ろさよりは、よっぽどマシだと思った。

 カン、カン、と金属同士が静かに接触する。掬った豆を口に含むまで数秒、歯がフォークにぶつかるほどの勢いで放り込まれる。それを見届けたあと、暗い空の向こうを見渡した。
 規則正しい食事の音。
 徐々にそれが遅くなっていくにつれて、小さな音が混じってくる。チラリとアンリの方に目をやれば、今度はこちらがぎょっとせねばならなかった。

「っう、……え、………」
「…………何って面だ、そりゃあ」
「あ、ううーーっ、ひっ……く」

 泣いている。
 なみなみと塩辛そうな涙を頬に伝わせ、それでも食べ続けている。食事がそんなに嫌だったのかと、一瞬止めようとして思い直す。吐き気はないようで、逆に嗚咽が飲み込むのを邪魔しているようだった。
 先ほどまで飄々としていたくせに、こちらを敵視するように睨んでいたくせに、無防備に喉をさらして泣き崩れる。死んだ団員の名前を呼んでいる。少女のがむしゃらな姿につられてしまいそうだった。己の奥にある固い栓を、溶かしてしまいそうだと柄にもなく。

「もっとたくさん教えてほし、かった、」
「ああ」
「飲み物、淹れてくれ、っきんちょ、しなくても、いいって……」
「ああ」
「みんな、死んじゃった、ん、ぐぅう、………」
「……ああ」
「リヴァイ兵長、うぇえ、………っ死な、ないでよう……!」

 いつのまにか不味い缶詰は空になっている。
 泣きじゃくる少女の声を閉じこめるように、藁に似た色の髪を乱暴にかき混ぜた。途端、白い両手がシャツを皺になるまで握りしめてなお吠える。ズボンの膝が濡れる感触はとんでもなく熱い。

「汚ねぇな、クソ」 

 まるで子供。
 事実、まだ子供なのだろう。
 ふと、所帯を持っている同僚たちのことを思い起こした。何も守るべきものが云々という話ではない。ただ自分にも妻子がいたならば、俺はもう少しマシに慰めてやれただろうか。
 我ながらなんて無様な手付きだ。髪の絡んだ指を見て瞬きをする。それでも一生懸命にしゃくり上げている少女を抱えれば、死の匂いは温もりを厭がって遠ざかったような気がした。


「よく生き残った、アンリ」



轍を知らぬ花



 予想できたことであったのだが、泣きつかれと壁外調査の疲労で人の膝に突っ伏したまま部下は熟睡した。
 シャツのよれは諦めるしかないだろう。傍のベッドに放りこんでも未だ布を赤子のように掴んでいる手。力づくで離せないこともないが、泣かせたのは半ば自分の所為だと思うと気が乗らない。

 毛布をひっつかんで、大袈裟なほどの溜息は誰にも聞かれず、結局は観念して目を閉じるしかなかった。
 どうせ子供には誰も勝てないのだ。
 
 


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