目が覚めたのは午前4時。 まだ夜と呼んで良い時間、男は少し痛む頭を抱えて起き上がる。体格が良いのは生まれつきで、特に鍛えているわけではないが、それにしても風格があった。 ベッドサイドについた腕に、細く柔らかい腕がするりと絡む。キングと呼ばれる男は突然のことに驚き、隣を見てさらに目を見開いた。
「あーん、行っちゃダメっ」 「………!!?!?」
その日、キングが男になった記念すべき夜であった。
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落ち着いて深呼吸しよう。 昨晩は確か買い出しに行こうと外に出て、久々に酒でも飲もうかとアルコールコーナーで……そうだ、この女性と会ったのはかろうじて覚えているが。 困惑するキングとは反対に、目が合えばにっこり微笑む彼女にはどこか余裕がある。好意的な視線に息がつまり、目をそらして素面の顔のまま深く思い悩む。
(こ、これはつまり……30手前にして………?)
遂に自分は男になった、ということなのだろうか。恋人どころか友達すらまともに出来なかった人生でこんな一発逆転が起きるとは、しかしせっかくの卒業式を全く覚えていないというのもなかなかどうして辛い。 しかもこんな可愛い女の子! 何故こんな人生において縁のなさそうな女性と同じベッドで寝ているのか、そこからさっぱりだ。それが顔に出ていたのか、彼女は少し距離をつめて小首を傾げた。
「もしかして、覚えてない?」 「……ああ」 「そうね、忘れちゃうのも無理ないわ!すんごく飲んでたもの。ねえそれより、一つ聞きたいことがあるの、教えてくれる?」
小さな口がまくしたてるようによく喋る。目を白黒させながら、自分だって教えて欲しいことだらけだというのに、気圧されて頷いてしまった。 豪快にシーツから露わになった肩口と太ももに生唾が降り、さらに肢体がというところで華奢な両手が頬を包んで固定する。可愛らしい顔が視界いっぱいに広がって、もはや許可なしに声をあげることができなくなってしまった。
「キングって、本当は強くないでしょう?」
呼吸が止まる。 瞳の奥の虹彩が見えるほど近づいて、吐息が嘘を許さない。震える喉を叱咤して、ようやく出たのは情けない震え声だった。
「何故?」 「キング、優しいんだもん。大丈夫って何度も聞いてきてね、人類最強っぽくないなあーって思ったの」 「………そうだよ。俺は強くなんてない、ただの臆病者、だ」
一度出た言葉は回収できない。 衣服を身に纏わず人と相対するというのは、こういう気分なのか。果たして本当のことを言ったのが正解だったかは分からない。強くないとはいえ、こんな細い腕なら外すことなど簡単なはずなのにできない、それが全てを物語っている。 逃げるしかできない臆病者。 嘘つきのヒーローにさぞ落胆したか、罵るのかと戦々恐々しながら視線を泳がせるキングは、彼女の爛々と輝き始めた瞳に理解が追いつかなかった。
「あのね、本当はキングのファンじゃなかったの。ごめんね。ただS級ヒーロー最強ってどんな感じかなァって興味本位っていうか」 「えっそうなの?」 「あたし達って嘘つきね。でも、弱虫のキングは好きよ!」
長らくぶつけられたことのなかった真っ直ぐな好意の言葉に、男は思わず赤面した。初心な反応にさらに気を良くしたのか、鼻先をくっ付けながら親指で顔の傷をなぞる。その仕草はまさしく愛撫だった。
「あなたって可愛いもん」 「そ、そう、そうかな?!」 「このままみんな騙されててくれないかなって思うくらい。可愛いキングのこと、あたしだけが独り占めしたい。ねえ、そうだキング、あたしを恋人にしてくれない?」
素敵なアイデアを思いついたように彼女は目を瞬きさせて笑う。確かにそういう行為があったとするならば責任を取って、というのもおかしな話ではないが、しかし耳を疑うしかない。 だって理解できない。 ヒーローとしての力など持たない虚栄だけの存在。葛藤の沼に嵌まる彼にとって、理解は及ばずとも、それがとんでもなく甘美な誘いであることは明白だった。
髪に結んだサテンのリボンは初心で、手指は恋慣れた女の仕草で、まるで生まれて初めての告白に緊張する少女のような目が、こちらを伺って見せるので。
「『恋人になってくれないか』って言ってちょうだい」
このタイミングでの要求は、正しく脅迫であるはずなのに。 一度も視線を外すことができない可哀想な人類最強の男は、まるで魔術に絡め取られたかのように、思考が追いつかないまま泣き出しそうな気持ちで口を開いた。
春夏秋冬も忘れてしまったような人生で、目の前に咲いた花に手を伸ばすことは、ああ、きっと仕方のないことだ!
二人にしやがれ
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