月明かりの夜に鳴く鳥がいる。

 丑の刻を回った。鴬張りの板目をいかに無音で歩むかも全ては修行だ。教師の講釈を思い出しながら、尾浜勘右衛門は天井を移動していた。
 なんせこの夜更けに他学年の長屋を訪れるのは、少し具合が悪い。よって忍者は忍者らしく、夜を忍んで息を殺すのだ。風呂場の天井から北西に十五歩で右に曲がり、さらに直進する経路には慣れたものだった。
 光の消えた部屋の中で、そこだけが唯一油を燃やしている。四年ろ組の西側の角から二番目では、会計委員の姿は見えない。つまり、居るのは一人だけだと勘右衛門は知っている。迷いない歩みはそのためだった。


「月が明るいなぁ」
「………!」


 露のように落ちてきた声に、艶やかな赤毛が勢いよく揺れる。声は決して上げない。同じ赤銅色の瞳が瞬けば、睫毛からチカチカと星がはじけるようだった。
 音もなく降り立った少年もまた、いつもの溌剌とした笑みとは少しだけ違った色を含ませ、腕一本分の距離を開けて胡坐をかく。

「尾浜勘右衛門先輩」
「はい、何でしょうか。好栄ケイくん」
「……かん、勘右衛門、」
「何かご用かな、ケイ」

 勘右衛門は「すべて分かっている」という表情で膝に肘をついて手のひらに顎を乗せる。実習後の少し草臥れた制服に、頭巾を脱いでいる頭。ケイは居た堪れなくなって目を逸らそうとするが、柔らかく絡みつくような視線にぎこちなく目玉の位置を戻した。

「あなたの、せいです」

 彼が全ての機微を逃さないように己を見ているというだけで熱を持つ頬が、炎の光に紛れていることだけを願ったが、視線ばかりが饒舌に語ってしまうのに少年は気付いていなかった。
 勘右衛門は笑みを深くするだけで、自分から口を開こうとはしない。

「貴方のせいで僕は、こんな時間まで寝ずに待つハメになってるンです。いつもいつも……」
「そりゃあすまないことをしたね」
「誠意は行動で示すべし、そう言うじゃあありませんか。少なくとも僕の家ではそうでした。そしてここは好栄ケイの部屋です」
「役者さんというのはどうも、舞台じみた台詞を言うもんだね。教えてくれよ、俺にどうしてほしいのか」

 畳み掛けるように言葉を重ねて身体を近づければ、ぐっと唇を結んで身を引いた。口ごもって真っ赤になる頬に齧り付きたい衝動と、勘右衛門はこの部屋に来てからずっと戦っている。
 ケイは怯みながらもどうにか後ずさる身体を留まらせ、ええいと意気込んだわりには恐る恐る胸の着物に縋りついた。途端に鼻をくすぐる彼の匂いに、少年の鳩尾の奥がじんわりと熱を持った。勘右衛門は満面の笑みでたっぷりとした赤毛に触れる。

「ぼ、僕は……あなたに」
「うん、うん」
「ずっとずっと、触れてほしくて……心の臓のちかくがしくしく痛いのです、勘右衛門さま」
「そう呼ばれると、弱いなあ」

 大きな潤む瞳は今にも泣きだしそうなほど切なく、毎度のことながら照れてしまう。普段は気位の高い猫が、二人きりのときだけ尻尾を絡めて喉を鳴らす。そんな優越感が勘右衛門の既に成熟しはじめた男の性をくすぐるのだ。
 両手を伸ばして抱きしめると、しなやかに鍛えられた身体が一瞬強張ったあと力を抜ききる。生来大食いの彼が乱暴に齧りつくことなく我慢しているのも、本当はさっさと湯浴みをしたいのを堪えているのも、ひとえにこの少年に「尾浜勘右衛門」を確実に刻み付ける為だった。

 清潔な香りのする耳たぶに一度だけ唇を触れさせて、あつく熱を持つそこに小さな小さな声で囁く。恋慕を孕んだ視線が絡まる。油が切れたのか、炎の光がふっと消えた。

「お刺身は好き?」
「……あなたとなら、いくらでも」

 きみは忍に向いていないと言ったら、月明かりにも隠れて夜啼き鳥は小さく笑った。



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 お刺身は郭語で接吻のこと


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