ドン、という大きな衝撃が体に走る瞬間ばかりが回転絵のように繰り返されていた。一度バウンドして背中を地面に打ちつけると、額の中で脳みそがかき混ざる。俺は動かない体を必死に動かそうと努力するが、いつも良い結果は訪れなかった。じわじわと惨めに溢れてくる涙を拭うこともできず、また衝撃が走る。ドンと肉を打ち鳴らす鈍い音。俺の体が役立たずなゴムの塊のように跳ねる。
 俺は泣いていた。横に流れた涙で耳が冷たくなるほど泣くのは、このところ毎日だった。理由はわからないが瞼の蛇口が壊れてしまったようだ。ラジオから流れる哀愁のある曲と交通情報を聞きながら涙を流していると、持っているタバコがしけっていく気がして嫌だった。別に好きではないがタバコは必要なのに。

「いいや、タバコはだめだ。骨の治りが遅くなるし、シーツが焦げてしまう……」
「…………」
「フォール、元気になったら気が紛れるものを用意してあげよう。今はおやすみの時間だ」

 洗濯してアイロンをかけたような、清潔でいい匂いのハンカチが涙を拭ってくれる。タバコは吸わずに眠っていればいいと言われて緊張していた筋肉がふっと緩んだ。部屋には見たことがない植物や花が微笑んでいて、どれもが彼を信頼しているようだった。時折ずっと泣いている俺を興味本位で覗き込む者もあったが、それ以外のことは何も起こらなかった。
 ドン、という音が耳裏で遠く聞こえてくる。呻き声が漏れると、今度は「ふむ」という声とともに冷たい水が口の中に流れ込んでくる。ペットボトルから注がれる水をあらかた溢しながらも飲むと自分の喉がからからに渇いていたことにようやく気づいた。指輪をした手が濡れた枕をひょいっと引っぺがして、また新しい枕が頭の下にしかれる。

「うう……」
「おお、心配しなくてもお前のシャツは緑と赤を用意してある。好きな方を選ばせよう」
「…………」

 ぼんやりと蜘蛛の巣がかかったような頭で薄く目を開けると、背の高い男がこっちを見下ろしているのがわかった。西陽が強く射して顔がよく見えず、俺が涙でにじんだ目を細めると、彼は窓にかかった分厚いカーテンを閉める。部屋は薄闇に包まれ、佇んでいる男のシルエットだけが黒々と浮かび上がっていた。
 俺は呻いた。仕事がまだ終わっていないかもしれない、携帯が鳴るからと彼に訴えた。それで車で急いでいたらドンという衝撃が走って、俺はどこにも行けなくなって、作業が遅れてしまって。必ず間に合わせますと言ってベッドの上でもがこうとした。黒い影は微動だにせず俺を見下ろしている。

「どこに行くんだ? "フォール"……それはもうお前の仕事ではないんだ。IDカードは使えないし、財布も役には立たないだろう。青い車はクラッシュしてしまったよ」

 さっきから男は俺をそう呼ぶ。フォール。俺は不思議に思った。この世にはたくさんの名前があるのに、どうしてそんな名前にしたのだろう。

「それに骨も折れていて、おまけに喉も乾いているじゃないか」
「…………じゃあ、寝ていていいんでしょうか?」
「実に賢明な判断だ」

 暗闇の中で不気味に尖った歯が微笑んだように見える。瞳の下にもうひとつの眼球がのぞく。俺の背筋は震え体は硬直していた。しかしハンカチが涙を拭ってくれ、水をもう一口飲ませてくれる。見たことのない花の顔がこっちを見ている。俺はここでまだ眠っていることを許されたことに安堵して、肺呼吸が満足にできるようになった。息を吸う。息を吐く。息を吸う。吐く……。
 ドン、という音が耳裏で遠く響いた。
 俺は呼吸を続けて、そのまま深く眠った。



Back


×
「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -