思えば記憶をたどると、どこか外国のホテルの中に気付けば立っていたのが全ての始まりだった。
 ムラのあるはちみつ色の壁には、プロヴァンスの雰囲気が漂うオリーブ柄。簡素な木の家具たちにベッドがひとつあり、日当たりの悪い窓から、見慣れない噴水がさらさらと涼しげな音を立てていた。
 
「ど、…………」

 どこ、ここ。
 お世辞にも良いとは言えない脳味噌の処理能力がさっそく追い付かなくなった。何たってあたしは仲間や友達と過ごすことと、毎日のメイクがどれだけ"盛れているか"なんてことを人生で一番重要だと思っているような人種なのだ。
 自宅のドアを出かけようと押して、いつもどおり高いビルが目に飛び込んでくるはずだったのに。

 思わず一歩踏み出したら黒い革のヒールブーツがコツンと音を立てた。
 次いで足音がもう一つ後ろに聞こえた。

「お前は、何も見なかった」

 振り向こうとした瞬間に、全てが黒に消えた。



 ―――コチ、コチ、コチ



「………ッ!!」

 ベッドのスプリングを勢いよくきしませ、跳ね起きた体は呼吸が整わない。日焼けさせた頬を伝う汗が、夜の温い風にさらされてぽたりとシーツに落ちた。
 少しだけ見慣れた部屋の壁のシミ。まだ人手を離れてそう経っていないのか、廃屋にしては塗られたペンキも綺麗なものだった。呼吸を繰り返して息をつく。夢だ。

 何度夜を越えても、あの悪魔がいつまでも追ってくる。

「………ポルナレフさ、ん」

 視界が数日ぶりに開けた瞬間、潰れそうな光の中でぼやけた銀色。顔の上に落ちてくる血と潮の匂い。頬を撫でてくれた手。
 悪魔とは違う、あの優しい声。

 迷子の子供が母親に追いすがるように、ベッドから転がり出て部屋を飛び出た。ブリーチで色を抜いて痛んだ金髪が寝汗で首に張り付くのも気に留める余裕がなかった。



 ―――コチ、コチ、コチ



 月明かりに浮かぶシルエットは、体をベッドの上で起こしていた。
 彼は痛みを堪えるように両目を瞑っている。寝る前に手伝いを申し出たあたしを可笑しそうに笑って撫でた手で、失って義足になった両足を抱えて。

 寝ていない、と身体が無意識に躊躇ったのなんて一瞬だった。

「ポルナレフさんの、嘘吐き」
「…………アンリ、」

 振り返ったブルーグレーの瞳を半目になって見返し、すとんとベッドの傍に座り込んで眉を寄せて睨む。
 起きてたのか、という声を飲み込んでポルナレフさんは誤魔化すように口の端を上げる。目付きが悪いと評判の三白眼をもっときつくしても、この人は困ったように笑うだけだ。

「痛いんでしょ、何よぉ、あたしが手伝おうとしたら"いい、いい"って何でもなさそうなカオしてたくせに」
「………泣くなよ」
「はァ?泣いてねーし、意味わかんない」

 口汚く言い返しても、泣き出しそうなのは事実だった。元々潤みきっていた瞳から涙あふれさせるのなんて、ほんの少しの揺さぶりでいい。

「知らないとでも思ったの?知ってんだからね!ポル、ポルナレフさんが夜………」
「わ、分かった分かった」
「わかって、ない!!」

 声を荒げて膝を立て、目蓋の傷に触らないように首に腕を回して抱き着いた。彼の表情はひとつも本当のことを言ってくれないから、顔なんてもう見ない。
 何処とも分からない異国の地で、塞がれて真っ暗な視界で、それでも絶望せずに生きてこられたのはあなたのおかげなのに。
 どうしてあたし達、壁を隔てて苦しんでるの?

「分かってないし、馬鹿」
「…………」
「そりゃ、あたし、会って全然まだ一か月も経ってないし、なんでも話すとか無理だとおもうけど」

 一緒にいるくらい、許してほしい。体温も言葉もあなたに必要なものがあげられなくても、ベッドの傍で寄り添いたい。
 泣きべそをかいてますます腕の力を強くするあたしを、ポルナレフさんは目を細めてじっと見つめている。気持ち悪いと思われただろうか、あっちに行けと言われるだろうか。やっぱりあたしは彼の表情なんて読めない。


 ―――コチ、コチ、コチ


「………おりゃっ」
「ぷぎゃ!!」

 泣きっ面に蜂が来たように、シリアスをぶち破って鼻を摘ままれて妙な声が出た。月光と風に揺れた薄いオレンジのカーテンに、彼の銀髪と穏やかな表情が写る。
 そこに憂いはない。

「オメー、化粧落としたら全然顔違うな!」
「な、………う、うっさい!どうせすっぴんブスよ悪かったわね!」
「可愛いぜ」

 あまりにもさらりと笑顔で言われた言葉に思わず赤面して息をつめて、やはり誤魔化されているのかと睨み返す。化粧をしていないと顔色だとか、どんな表情をしているのかがバレバレでどうにもやりにくい。舌打ちを零した。
 ポルナレフさんは少しからかうような口調でシーツを捲って、不機嫌そうな赤い頬をつついてくる。

「こっち来るか?脚、痛ェんだよ、添い寝してくれよォ〜」
「……やっぱり痛いんじゃんか、いいよ別に」
「へ?」

 思いがけない提案に二つ返事で頷いたら、ビー玉みたいに透き通った瞳がぱちりと瞠目して口元に手を当てた。探るような視線が落ち着かなくて、一瞬視線を外しまた戻して声を出す。

「アンリチャンさァ……悪い男に騙されんなよ」
「な、何よ、だから!言いたいことあるならハッキリ言ったらどうなの!」

 こんな調子でぎゃいぎゃいと軽口の応酬をしているものだから、もちろんベッドに身体を横たえても色っぽいことなんて何も起きなかった。
 ただ抱き枕を抱くように、ポルナレフさんはあたしの腰に手を回して目を閉じる。屈強な体、長い睫毛、きらきらした髪。安心の中でもっと確かなものが欲しくて、つい口を開いてしまう。

「……どこも行かないで」
「オレには、やらなくちゃいけないことがある」
「だったら、一緒にいく」
「駄目だ」
「行く」
「ワガママ娘」
「あたし自慢じゃないけど諦めは超悪いんだからね、ぜったい、ついてく」

 意地になってるわけじゃ、決してないけれど。
 打算で動けるほど賢い頭を持っていたら、彼を見送ってここで過ごす手段だってあったのかもしれない。けれどひとつの情熱に身を焦がしてしまえば、理性的な判断よりも直感が心の中で発言権を持つことになる。
 真っ直ぐに見つめ返したら、滑らかな弁舌が少しだけ途絶えた。

「死ぬかもしれないのに?」
「死なないかもしれないじゃない」
「オレみたいになるぞ」
「いいもん」
「………はあ、もういい」

 呆れ返ったような溜息と共に、強く抱きしめてくれた。一瞬胸を襲った不安も拭い去り、どんなに素晴らしい揺りかごよりどんなに頑強なシェルターよりも、あらゆる安らぎを与えてくれる腕。

「オメーはオレの為になんて、死ぬなよ」

 ああどうか何もこの人を苦しめないで、連れて行かないで。あたしの世界なんて全部あげるから。
 そうして切願する声に、ただ頷く。時計の針は3時過ぎを指していた。



あなたの蛇




ありーの誕生日おめでとうにかこつけたポルナレフ夢!
こっちには名前変換なしの朝チュンなおまけ


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