女はその美しさを見初められインドラの子を授かった。しかし雷神としての激しい気性を御しきれず、男子は幼い頃から乱暴者だった。それを憂いたインドラから神の馬を贈られ、彼らは兄弟のように育った。
 だがある日馬は引いていた荷を横転させてしまう。腹を立てた彼は馬を強く突き飛ばし、神の子たる力が悲劇を招いて殺してしまった。

「息子よ、お前には呆れるばかりだ。なぜ愛するものを殺してしまうのだ?」

 インドラは息子を暗い岩場の牢獄に閉じ込めた。さすがに父には逆らえず従った男児は、夜明けにわずかな時間だけ差し込む光を慰めに修行に明け暮れた。






 聖杯戦争というものがあることは聞き及んでいたが、少なくとも自分とは関係のない話だと思っていた。少なくとも座に漂っている間は何も考えなくて済む。己の輪郭すら忘れかけていたとき、その声は聞こえてきた。
 どうか力を貸してくれ、と。
 祈るでも縋るでもない、ただ訴えかけてくる叫びだった。泳げもしない人間が大海で必死にもがいて手を伸ばしているような、若く無様な気迫をケイは聞いたのだ。

「サーヴァント、セイバー」
「あ……!」

 だから手をとってしまった。
 意識が切り替わる。微睡む闇のなかから青い光の回廊へと進む。一度瞬きをするまでの間で、目の前に少年が現れる。生白い肌と細い体。到底戦うことからは縁遠い姿に浮かんだ、真っ直ぐな青い瞳がやけに輝いてみえた。
 
「名をサハル。わざわざオレを呼ぶとは……まあ、望まれるうちは剣を振るってやるよ」
「あ〜〜ありがとう!!セイバーだ!嬉しい!あ、俺マスターの藤丸立夏!よろしく!」
「お、おお……」

 あまりにも人懐っこく握手されてしまったので気圧されてしまった。次いですぐマスターとのパスのつながりとまた別の場所からの魔力供給を感じる。なるほど、通常の聖杯戦争で召喚される場合とはやや勝手が違うらしい。
 人理継続保障機関フィニス・カルデア。
 特異点Fを攻略後、聖杯探索(グランドオーダー)を発令、焼却した人理を救うための闘いに身を投じている―――そんなところか。

「えーっとね、今いる英霊が、キャスターのクー・フーリンとライダーのマリーちゃ……マリー・アントワネットだよ。二人ともどっちかっていうと後方支援型だから、来てくれて本当に助かる」
「クッ、クー・フーリンにマリー・アントワネット!?」
「今クー・フーリンは出払ってるんだけど、マリーちゃんは部屋にいると思うよ!紹介するから一緒に来てくれる?」

 クー・フーリンは言わずと知れたケルトの大英雄、マリー・アントワネットはあまりにも有名なフランス王妃である。思っていたよりも数十倍知名度のある英霊の在籍に頭が痛くなる。セイバー適性のあるサーヴァントなんてそれこそ古今東西に腐るほどいるだろうに、よりにもよってなぜ自分を召喚したのだろうか。
 道すがらマスターと簡単に話をするが、聞く限り本当に普通の少年である。恵まれた国の平和な環境で育ち、魔術の知識はからっきしで、簡単に驚いたり笑ったりするところは少し子供っぽいかもしれなかった。

「ココ、ココ。サハルにもあとで部屋用意するから、欲しいものがあったら―――」
『立夏くん、すまないが管制室まで来てくれるかい?確認してほしいことがあるんだ』
「あ!……ごめん、ちょっと行ってくる。軽く挨拶だけでもしといてもらえるかな?」
「ああ」

 忙しなく遠ざかる背中を目で追いながら、少し躊躇ったあとドアを開ける。まったく馴染みのない施設だというのに使い方が分かるのは不思議な気分だった。サハルが横開きの扉がスライドすると、見事な銀髪が豊かに波打っているのが目に入る。
 小柄な、少女といってもよい女性。
 マリー・アントワネットはこちらに気付くと可憐な顔をいっそう輝かせ、見るものを魅了する笑顔で来客を手招いた。

「まあ!ようこそ、お会いできて嬉しいわ」
「あー……オレもだ」
「うふふ、どうかそんなに固くならないで? ちょうどお茶にしようと思っていたの、良かったらぜひ召し上がってほしいわ」

 小ぶりなテーブルに腰かけた王妃は、正面の椅子を勧めるような仕草をする。マスターに負けず劣らずの人懐っこさで茶会に誘われてしまった。貴人の相手ができるとは思えないが、どうもこの女性相手に断れる気がせず、サハルは促されるまま着席する。
 思えば「お茶を飲む」ということ自体が初体験だ。故郷の国インドと言えば現在では紅茶のイメージがあるが、それは英国人が茶葉を仕入れるようになってからの話。少なくともサハルの時代には習慣も存在しないものだった。

「本当は私たちサーヴァントが食糧をもらってはいけないのだけれど……マスターが気を利かせてくれて、少し分けてくれるのよ」
「まあ、そんな感じだな」
「そうだ、自己紹介はまだでしたわね。私はマリー・アントワネット。生前はフランスの王妃をしておりました」
「サハルだ。あー、生まれはインドだよ」
「まあ、貴方はインドの英雄なの?」
「英雄かどうかは微妙なセンだけどな」
「まあまあ、奥ゆかしい方なのね。でも、私に比べたらここの皆は勇猛果敢な英雄だわ」

 同列にクー・フーリンがいると思うと赤面したくなるほど気まずい話だった。確かにマリー・アントワネットは激動の時代の人物、現在は知らぬ者がいないほどの有名人だが、戦いにおいてなにか逸話があるわけでは決してない。その知名度と人物像によって概念的な魔術を使えるらしい。
 彼女は流れるように優雅な仕草で紅茶のカップを傾け、そう楽しい話もできない男を相手に、本当に嬉しそうに話している。

「そうね、私はいつも守られているばかりだったけれど……少しはお手伝いできるのね」

 母親のように優しい微笑みだった。
 この極寒の地の、人類の最果ての地で、心から微笑むことのできる強さを持った者が一体どれだけいるだろう。少なくともサハルには難しい。けれど確かに必要とされるならば、迷う暇もなく剣を振るうことだけはできる。
 サハルはやっとカップに手を付け、恐る恐る紅茶を口にして、少し冷えたそれを一気に飲み干した。

「美味かった、感謝する」
「ええ、今度はきっとマスターや皆も誘ってお茶会をしましょう。きっとよ、サハル」
「ああ、妃殿下」
「まあ!貴方にそう呼ばれるのはなんだか意外で楽しいわね、うふふ」

 客人の不作法を咎めることなく、フランス最後の王妃は可笑しそうに笑う。初めて口にした紅茶は薫り高く、思っていたよりも苦かった。
 きっとこれから、数多の英雄がここに召喚されることだろう。それまでの間くらいなら、役目を果たせるかもしれない。今を生きる人間の礎となるために、英霊はここに在るのだから。




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