地平線が赤く染まる。
 そこに呼吸はひとつもなく、異様な静けさに包まれていた。闇の底を焦がしてなお燃え盛る炎の名残が、今も街を汚し続けている。それは希望ある若者なら煉獄と呼び、生を終えようとする老人ならば永遠の黄昏と呼ぶ光景だった。

 男は自身の手を何度か確かめるように開いては握り、片手に抱えていた大剣をしげしげと眺めたあとに軽く宙で横に薙ぎ、上から下に振るった。体は過不足なく動く。武器の扱いも支障はない。問題といえば―――自分を召喚したマスターの姿が見えないことか。
 聖杯戦争。万物の願いをかなえる「聖杯」を奪い合い、聖杯を求める七人のマスターと、彼らと契約した七騎のサーヴァントがその覇権を競う魔術儀式。
 しかし、何もない。
 己がここに霊体を得て顕現しているということは、必ず契約状態にある(彼にとっては信じがたいほど奇矯な)魔術師がいるはずなのだが、歩けど探せど周りは炎と瓦礫ばかり。まるでこの世の終わりのような場所だった。

 ―――キャアーー……!!
「!」

 女の悲鳴だ。
 ここに来て初めて聞いた何かが燃える以外の音に、男は剣を肩に担いですぐさま走り出した。建物や道は既に形が崩れ、すべて踏みしめて真っ直ぐに進むのを阻まない。このサーヴァントの敏捷性は数値にして平均的なものだが、それでも人間離れしたスピードで火の海を駆けていく。
 やがて炎ではない動くものが見えた。影は四つに増えている。まだ年若い少年たちとそれに襲いかかる禍々しい異形。どちらが倒すべき敵かは一目瞭然だった。男は瓦礫を蹴った勢いのまま剣で一太刀にすると、襤褸をまとった骸骨が呆気なく崩れていく。

 突然の乱入者に武器を下ろさない三人の人間に、彼は地面にその巨大な剣を下ろして手を離した。

「……それで、誰がオレのマスターだ?」

 本当は跪きでもしたほうが良かったのかもしれない。だがまだ誰とも知らぬ主人に膝を折る気にはなれなかった。愕然とした表情の白髪の女に、盾を持った少女は恐らくサーヴァントか。その後ろに黒髪の少年―――見たところ彼だろうか?

「な――――」
「ン?」
「なに、なによ、次から次へと、デミ・サーヴァントは今になって成功して、サーヴァントが現れて……!いえ、それに貴方!わたしの演説に遅刻した一般人がどうしてマスターになってるのよ!」
「所長、落ち着いてください!」

 あちこちを指差しながら錯乱してヒステリックに叫ぶ女の声が炎の街に響く。まずいところに来たか、と男は片目を閉じて罵られている少年を見据えた。どうやらこっちもこっちで事態を把握できているわけではないらしい。

「……あんたら、先に話し合いでもしたらどうだ。お互い言葉が足りず戦場で死ぬのは望むところじゃないだろ」
「ええと、貴方は?」
「オレは喚ばれて来ただけで事情は知らん。とりあえずは敵ではない」
「なるほど……ありがとうございます。では、マシュ・キリエライトと先輩から状況を報告します」

 腕組みをして少女の話を聞く。どこまでも淡々とした口調に女の感情の波も凪いできたようだった。
 入ってくる情報を聖杯からの知識で補完すれば、だいたいの状況は把握できた。彼らにとってここは過去であり、不慮の事故によりこの地へ飛ばされ、そして本来この時代にあったはずの聖杯戦争は変質し歪んでしまっている、ということらしい。
 なるほどと言えばいいのか、どうりでと呆れればいいのか。発言権の強いらしい女のほうも整理がついたのか、虚勢を張るように鼻を鳴らす。

「……フン、まあいいでしょう。状況は理解しました。それで、そ、そこの貴方……見たところセイバーのサーヴァント、よね?」
「ああ。マスター適性のある人間がこの地に現れたからか、そこの娘が半英霊だったせいか、オレはその歪みに引っ張られたらしい。本来の聖杯戦争の産物じゃないんだろうな」
「バグ―――のようなものかしら」
「まあ、サーヴァントとして動くことに支障はない」
「そう……貴方というサーヴァントが味方に付くことは我々にとってはこの上ない幸運です。あの一般人マスターでなければさらによかったんだけど」
「え? あはは」

 言葉に反して彼女はまだ心労がなくなったとはいえないのか、追い詰められたように目を細める。少年は相変わらずあまり話についていけてないのか、二人に顔を見られてなぜかはにかんで笑った。
 とりあえず互いの確認はできたのか、女性二人は地面に盾を置いて霊脈にアクセスを試みている。召還サークルなるものが立ち上がると、赤と黒しか存在しなかった視界に明るい青色の光が輝いた。

『よし、通信が戻ったぞ!ふたりともご苦労さま、空間固定に成功―――うひゃああ!所長、生きていらしたんですか!?』
「ちょっと、なんで医療セクションのトップがその席にいるのよ、ロマニッ!」
『いやなんでと言われましても、それよりサーヴァント反応が増えてるんですが後ろの彼は一体!?』
「………」

 やかましい声が増えた。
 まだ分からぬことが多いからと大人しく話をしていたが、もともと面倒な話は苦手だった。もう一度同じ説明するのはごめんだ、と男は眉間にシワを寄せて召還サークルから少し遠ざかる。

「セイバーさん、どちらへ?」
「見張りでもやってる」

 あとは魔術師同士に任せた、と言うと真面目くさった少女の返事が返ってくる。今さら英霊として召喚されたせいでまだ頭と体が混乱していた。全盛期の身体といえばそうなのだろうが"死に間際に神から授かった剣"があるのに"幼年期の足枷"まで付いているのはどういうことなのだ。
 英霊とは逸話と伝説の存在。確たる姿などなのが定説だが。蛇の舌のように地を這う火を見ていると、ざくざくと小走りの足音が近づいてくる。マスターだ。

「セイバー……さん?」
「セイバーでいい。会合に居なくていいのか」
「ジャマだから自分のサーヴァントと話してこいって、オルマガリー所長が。まあ、何も知らなすぎる俺が悪いんだけどね」

 特に落ち込んだ様子もなく肩を竦める。聞けばオルマガリーが所長を勤めるカルデア、正式には人理継続保障機関フィニス・カルデアにまったくの一般人枠で採用されたのが彼らしく、つまるところ魔術的な知識はカケラもないという。それでもマスター適正があるのだから不思議な話だ。
 少年はこのような状況においても不思議と落ち着きをはらっていた。胆力があるのか図太いのか、その両方だろうか。

「……真名を隠すのが聖杯戦争の流儀だが、マスターには教えておく。オレはケイという名の英霊だ。恐らく、あんたは知らんだろうが」
「え、うん、ごめん聞いたことないかも。ケイ、ケイか。ちゃんと覚えとかなきゃな。というか、俺に教えちゃってもいいの?」
「オレは不死身でもなければ死因に大した逸話もない。宝具も単純だ。第一、知名度もないしな」
「でも、英雄なんでしょ?」
「"偽りの英雄"だとさ」

 自嘲を込めて軽く笑ったつもりだが、少年はどう捉えたか嬉しそうな顔をする。彼に言うべきだろうか?自分が英雄などとは程遠い、怪物と呼ばれるべき存在だということを。そうすればいたずらに恐怖をあおってしまうだろうか。
 ケイの一瞬の葛藤を知ってか知らずか、少年は言葉を探して口を開く。燃え草を失った炎が熱風を吐いて、彼らを容赦なくなぶった。

「俺、藤丸立夏。実はまだ分からないことだらけだから、たぶん迷惑かけると思う。とりあえずは生き残るために―――力を貸してくれる?」

 なんて歯に絹着せぬ物言いだ。彼が聖杯を求めてやまない英霊だったとしたら今少年の頭と胴は繋がっていまい。だがそれだけに嘘はなく、祈るでも縋るでもない、ただ訴えかけてくる声だった。泳げもしない人間が大海で必死にもがいて手を伸ばしているように、どうにも若く無様で。
 闇と炎のなかに浮かんだ、真っ直ぐな青い瞳がやけに輝いてみえた。

「まあ、望まれるうちは剣を振るってやるよ」







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