ここにあるもの総ては何処にもあり、ここに無いものは何処にも無い。


 古代インドの英霊、ケイ。
 インドに伝わる二大叙事詩の内の一つ「マハーバーラタ」によれば、自ら犯した罪によりインドラに幽閉され、その間に最愛の母を喪ったインドラの落とし子である。叔母のラーダーに引き取られ英雄カルナと共に育ち、その中でアルジュナと人知れず友愛を育んだ。
 しかし先の戦いにおいて自らが味方した二人の兄弟――義兄のカルナと異母兄弟のアルジュナ―――どちらかが死ぬという予言を受け、悩んだケイはカルナを裏切り、パーンダヴァの将軍となったのである。

「ではおまえはクンティーの言葉どおり、パーンダヴァに付くというのか」
「違う、オレは我が友アルジュナに付くのだ。不死身不屈の英雄カルナ、そして悪を為す我が兄よ。次に相まみえるときは敵同士、情けは無用と知るがいい」

 カルナの弟であるケイをドラウパティーは信用せず、彼女の策略によって生まれ故郷の攻略を任された。母の眠る地を蹂躙することを拒否したケイは、金剛石でできた大剣を振り回し、インドラの雷を操って街に一人の兵士を入れることなく戦い続ける。疲弊した兵たちに、彼はこう宣言した。

「パーンダヴァの兵たちよ。この地から撤退するというならば、オレは首を差し出そう」

 この男を打ち倒すことは困難と判断したパーンダヴァ側はこれに頷き、裏切者の処刑を粛々と行った。インドラの子ケイ戦死の報は戦場に響き渡り、二人の兄弟を裏切ったケイはクルクシェークナの戦いののち、こう呼ばれるようになった。
 インドラの怪物、曙の戦士―――そして「偽りの英雄」と。


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 奇特な魔術師に呼び出された先では、大きな戦いが待っていた。人理が焼却された世界で歴史を取り戻すのだという。英霊として召喚されたのがよりにもよって己とは、いかな世界の窮地といっても悪い冗談のようだった。
 怪物には何も救えまい。
 ただ―――人類最後のマスターはあまりに弱く幼い、本当にただの人間だった。英霊としての誇りなど持ち合わせているつもりはなかったが、どうしてもその手を振り払う気にはなれない。それだけの理由で、ケイはまだこの地に留まっている。

「英霊召喚か」
「うん、今はちょっと余裕あるしね。ケイ、召喚付き合ってくれない?」
「俺じゃ魔術の手伝いはできないぜ」
「いいの、心の問題だから!」

 この少年はケイによく懐いた。ここに居つく神の眷属や高貴な生まれの者が多いなかでは、平民の出で歳近い者は接しやすいのかもしれない。
 カルデア。人類の最果て。
 優秀な魔術師が地脈の力を借りてやっと召喚できる英霊を複数呼び出せるのは、恐るべき叡智と言うべきだ。もっとも、子供は無邪気に「今日は強い英霊に会える気がする」と笑っているのだが。

「目当ては?」
「うーん、とにかく今は戦力が欲しいかな。マシュと相談した時は、広範囲の宝具を持ってる英霊はどの場面でも頼りになるって。狙って来てもらえるもんでもないけど……」
「国やら軍相手に戦った英霊なんか、持ってる可能性が高いかもな」

 ふむふむ、とマスターは鮮やかな空色の目を真剣にサークルへ向けた。虹色の光を放つ聖晶石を装置に嵌め込むと、それを魔力の媒体に「英霊」かその力の一端である「概念礼装」が召喚される。
 触媒があるわけではないから、その地域や時代はランダムだ。ギリシャ神話の英雄から現代にほど近い発明家、文化黎明期の偉人など多岐にわたる。古今東西四方八方から戦力をかき集めるにはこの方法が相応しいのだろう。

 かつてケイがいた古代インドにも英雄は多い。パーンダヴァの王子にして授かりの英雄アルジュナ。すべてを魅了する方クリシュナ。カウラヴァ軍最大の英雄ビーシュマ。薔薇色の瞳を持つ理想君主、ラーマはすでにこの地へ降りてきた。
 そして不死身の英雄カルナ。
 あの男ならば、人理の危機に瀕する少年の声にはいち早く駆け付けそうなものだ。極寒の地に太陽神スーリヤの加護厚き英雄が来れば、道筋も照らされることだろう。問題は、カルナが―――兄が自分を赦すかどうかということだ。

(―――インドラが僧侶に化けて自分の鎧を剥ぎ取るのすら拒否しない、やつだからな……)

 後悔はしていない。しかし共に育った兄弟に軽蔑されるのは恐ろしく、あの揺らぐことのない瞳が許しを施すのも見たくはなかった。インドラに許しを乞うたときから何も成長していない。やはり英霊として座に登録されていることが間違いなのだろう。
 バチ、と召喚サークルが青白い光を放つ。吹き荒れる風が少年と青年の髪をもてあそび、やがて青が黄金に代わってゆく。強い力を持つ英霊の証だ。やがて光の渦から現れた姿に―――ケイは言葉を失った。
 肉体と一体化した黄金の鎧。胸元に埋め込まれた赤い石。白い髪の奥からは鋭い目がのぞき、大英雄は自らを召喚したマスターを見据えた。

「サーヴァント、ランサー。真名、カルナという。よろしく頼む」
「よろしく―――ってカルナ!? カルナって……!」

 マスターが思わずといった様子でこちらを振り返る。ケイを召喚したとき、当然ながら原典に目を通したのだろう。腹に鉛を流し込まれたかのように重い。少年につられてこちらを見た男の鋭い目がにわかに見開かれ、何かを言おうとしたが、情けないことに喉が張り付いて何も言えなかった。
 やがてすべてを受け入れたように、カルナの瞼が閉じられる。ぐっと拳を握りしめると、張られた弦のような空気を裂くように男が口を開いた。

「幾星霜と経ったが……変わらないものだな」

 白髪の男が幽鬼のように足を踏み出す。その迫力に思わず後ずさったマスターに、礼を欠くことを詫びるように視線を寄越した。目の前に相対した兄から目を反らせず、動かすこともできず、木偶の棒のように突っ立っているしかできない。

「いいか、ケイ」
「ああ」
「この……大馬鹿者!!」

 空気がキン、と鳴るほどの一喝だった。物理的な衝撃があったかのように堪らず一歩よろめくが、それ以上逃げることができない。カルナの青い瞳が燃え立つ焔のように怒り揺れていることに、弟はようやく気が付いた。
 怒っているのだろうか。あのカルナが。焦りや弁解などよりも先に驚きが襲ってくる。まるで父親が子を叱るような威厳と慈悲とが、その底には籠っていたからだ。

「お前の嘘を俺が分からないと思ったのか」
「だから―――だから何も言わなかったんじゃないか。言ったら自ら死地に赴くじゃないか!オレは知っているんだ、お前がそういう男だと!」

 喉にかけていた枷をこじ開けられたかのように、口から次々と言葉が飛び出した。偽りを看破する力を持つ兄に自分の姦計がばれていたとしても、詳しい理由までは分からないはずだ。それは一世一代の賭けだった。既にその身に余る呪いを数多受けていたカルナに、あろうことか自分が死の呪いを与えるなどできるはずがない。
 死の呪いが道を砕いても、カルナは戦うことを止めなかっただろう。そしてそれはアルジュナとて同様だろう。その高潔さが彼らを英雄たらしめる理由でもある。それでも止めたかった―――カルナが自分の兄で、アルジュナが友だったからだ。

「お前やアルジュナが死ぬのは、命を落とすよりもいやだったんだ」

 情けない釈明だった。
 結局兄は数々の呪いによって戦場で追い込まれ、友は望まぬ決着を果たすことになった。自分の行いは無意味だったのだろう。戦士としての誇りも愛する者も何一つ掬い上げることもできず死んでいった、愚かな裏切り者なのだ。
 ケイが俯いて顔を上げられないでいると、ごつりと額に何かが当てられる。目を開けるとカルナがこちらに額を合わせ、仕方がなさそうな表情を浮かべた。幼い頃、弟が馬鹿なことをしでかしたら当然のように叱っていた、昔日の記憶と変わらぬ声色で言う。
 
「馬鹿な弟だ」
「……悪かったよ」

 今度は簡単に言葉が出てきた。二度と言葉を交わせないと思っていた相手に向けた謝罪は、ことのほかケイの胸を軽くしてくれた。
 ぐす、と鼻をすする水っぽい音がする。ふと横を見ると年若いマスターがこの場の誰よりも目元を赤らめて号泣していた。あまりの様相に兄弟が唖然とした顔をすると、恥ずかしくなったのか袖で乱暴に涙を拭いはじめる。

「ごめ……続けて……もらい泣きが……」
「泣いてるのお前だけだぞ」
「だって……ケイ……良がったね……俺、マスターやってて良かったぁ……!」

 飾り気のない物言いに、こちらのほうが恥ずかしくなる。そこまで感動するような光景でもないだろうに、わんわんと涙を流し続けるマスターにカルナが息を漏らした。頬をほんの少し緩めただけだったが、それが微笑みだということはすぐに分かった。

「善きマスターに巡り合えたようだな」
「……ああ、そうだな」

 焼却された人理修復の旅。まさに前人未到の偉業といえよう。立ち向かうのは英雄でもなければ天才でもない、本当にどこにでもいるただの人間だ。だからこそ自分はここに至り、綺羅星のごとく輝く英霊たちもここに集ったのだろう。
 きっとそんなつもりはなかったのだと思う。けれど彼は自分に与えてくれた。再び家族に出会い、肩を並べて戦うという、気の遠くなるような奇跡を。ケイは兄のマスターの前に押しやり、二人に改めて言葉を交わさせた。願わくば自分の兄が、少年の善き導き手になることを願って。





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