自由都市リェンカの首領邸には、近ごろ一人の少女が姿を表すようになった。とはいってもそれほど頻繁というわけではなく、彼女はごくたまにしか使用人とは顔を合わさない。朝と夜に用意された食べ物や飲み物がなくなってしまったときや何か必要になったときに来て、件の傭兵ーーーケイモスの部屋へと戻っていくのである。
 ケイモスがラチェフに見出されリェンカにやってきたときには、彼女は既に連れ歩かれていた。どうやら大陸の出身ではなく島の少数民族の出で、拙い言葉を拾ってかろうじて名前が「アンリ」であることは分かっている。ケイモスは見た目に反して物に頓着せず、ラチェフにより上等なものを与えられれば素直に受け取ったが、アンリのことだけは自身の財産であると強調して手放さなかった。
 無比の強さを誇る恐ろしい男に財産ーーーすなわち「奴隷」と呼ばれる少女は、それを分かっているのかいないのか、足枷の鎖をじゃらじゃらと鳴らしながら大人しく彼に従い続けている。


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 この女は恐れ知らずなのか、それとも救いようのない馬鹿なのか。ケイモスは村の領主に案内された部屋よりもずっと上等な屋敷の一室で、ベッドに寝転がりながらそんなことを考えた。アンリは銀の水差しから杯に注ぎ、主人へと渡す。
 差し出された水を飲んだあと、ケイモスはじっと奴隷の娘を見た。睨んでいるといっていい眼光だった。そうすると落ち着き払った黒い瞳が、いつも静かな水のように自分を見るので、ケイモスは毎度不思議になる。

(怖れるでも厭うでもない)

 理由はなんとなくわかっていた。彼女にとって庇護者たる者はここにケイモスしかいないからだ。ひょっとするとこの大陸にも、そうでなければ世界にも。
 言葉もおぼつかず、雇われるだけの才もない。生まれてこのかたずっと力で人の頭を押さえつけ、怖れられ続けた男しか縋るものがない。

「アンリ、こっちに来い」

 呼べば無警戒な動物のように寄ってくる。じゃらじゃらと細い鎖がたなびく。男は少女の細い腕を引き倒してベッドに縫い付けたが、影になったアンリの顔はやはりいつもどおりだ。
 ケイモスが自分を害するなんてことは微塵も思っていない。ただなぜ鳥は飛ぶのか、なぜ魚は泳ぐのか、子供が大人に尋ねるような顔で首を傾げている。それを見ていると本当に馬鹿らしくなって、ケイモスは思わず笑い出した。
 男はベッドについた腕を少女の背に入れ、そのまますくい上げるように抱えたあとそのままごろんと寝転ぶ。アンリはますますきょとんとした顔をしていた。

「寝る」
「ねる……」

 意味は理解したらしい。復唱したのを待たずにケイモスが目を閉じると、アンリも観念したように身を委ねた。つま先に華奢な鎖が触れる。こんな細い枷からも逃れられない、美しくも賢くもない女。
 お前はおれの持つ「財産」だ。
 あらゆるものの価値には興味などないが、居なければ寂しいものくらいは分かる。役に立たないものは愛するほかにないのだから。




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