05:二度死んだ男



無意識に、いつも同じ方向を見ていると気が付いた。
そしていつしか、お互いの視線が交わる回数も増えた。

その感情の名も知らぬままに、私は少し背伸びをしたくなった。
リンもそんな私をお見通しだったのだろう、だからあの日きっと、ペンダントをくれたのだ。

彼にちょっとでもよく見られたい。そしてあわよくば褒めてほしい。
最初は同じところを見ているだけでよかった。リンの肩越しに一瞬、目が合うだけでよかった。
むしろ、ただそれだけの関係だったはずなのに。

『ん?…名無子、それ、』

彼が目を留めてくれたことも、ぎこちない言葉で褒めてくれたことも。
あのときの私にとって、どれだけ嬉しかったことか。



だからあの日、彼が帰って来なかった日のことは、いつまでも忘れられない。


それでも私にはまだ、リンがいた。リンのおかげでできた、友達がいた。母さんもいた。
きっとリンの方が悲しかったはずだ、泣きたかったはずだ、だから私は堪えられた。
ひとりでは越えられそうになかった彼の死も、日毎に薄らいでいった。

その頃だったかな。母さんがしきりに父さんの話をしたり、昔の夢を語ったりしはじめたのは。
また昔みたいに、父とそうしていたみたいに、色んな地を巡ってみたいと。
それから、新婚の頃二人で海辺に買ったひっそりした家に戻って、好きなものに囲まれて暮らしたいと。

私は漠然と、そんな母の夢を継いでいきたいと、リンにもそう言った気がする。
そしてリンはいつもみたいに笑って、いいね、って、お互い頑張らなきゃね、って。

それが彼女と私の、最後の記憶になった。


けれども、涙は出なかった。そんな暇さえ与えてくれないのだ、この世界は。
母さんの容態が一気に悪化して、余命宣告を受けたのも同じ頃だった。
病を患っているだなんて、おくびにも出さなかった。
たったひとりの娘になぜ教えてくれなかったのかと、恨めしい気持ちもあった。

病床の母はしきりに口にした、父のこと、そして夢のこと。
そして最後にもう一度、あの海の見える家で眠りたいのだと。



母の最後の願いは叶った。

環境のおかげか、見立てより大分長い期間生きながらえて、穏やかな最期だった。


私はたったひとり残されて、なぜ私だけ生きているのだろうと、不思議に思った。
みんな死んでしまった。リンも、母さんも。オビトも。でも、私は生きている。

みんなのおかげで生きている。だから、精一杯生きねばならないのだと。
そう自分に課すことで、どうにか生の意味を見出していたのに過ぎないのだけれど。
それでも、死んでいったみんなの思いを、私が受け継いでいるのだと、そう信じたかった。



***



「あつッ、」

ぼうっとしていたせいで湯が沸騰していたのにも気付かなかった。
急いで火からおろし手を水で冷やす。

「……はあ」

こんなことをやっていると、自分が今、どんな状況にあるのか忘れられそうに思う。
近くの椅子に深く腰を落ち着け、溜息を吐いた。


今私がいるのは紛うことなき台所だ。
他にも居間や手洗い、風呂場、寝室とここには一通り揃っている。
水や食料もいつの間にかどっかから出てくるし、不便はないのだ、ここから一歩も出られないことを除いては。

たまにやって来る彼と顔をつき合せても、不毛な会話が生まれるばかり。
生きていたなら今までなにをしていたのとか、今はなにをしているのとか。
一方的に感情をぶつけるのにも疲れて、今はただ、外の空気を吸いたいと思うようになった。


ちょうどよく冷めてきたお湯でお茶を淹れ一杯啜っていると、不意に、妙な気配を感じた。

「………なにコイツ…?」

それはこっちの台詞だろう、としか言えない、意味不明なトゲトゲが床から生えている。

「ふうん…トビのヤツ…最近なにやらコソコソしているとは思ったけど…」

「コンナ所デ女ヲ飼ッテイタトハ、意外ダナ」

びっくりしすぎて、悲鳴も出てこない。
ただたった今、この白いヤツが口にした単語だけ耳にはっきり飛び込んでくる。

「アンタたち…アイツの仲間なの?オビトは今なにをやっているの?」

なぜだろう、今度はむこうが少し動揺したように見えた。

「へえ…“オビト”を知っているわけか、どうりで」

「ねえ、アンタたちも暁なんでしょ?一体なにをやってるのよ!?」

勿体ぶった後、気味の悪い笑みを浮かべて、そのトゲトゲは口を開いた。



***



久しぶりに顔を出してみれば、やけににこやかな名無子に出迎えられた。
どうせ暫くすればいつものように詰られるのだろうと思えば、

「ねえ、お腹とか空いてない?今日少し多めにつくったんだよね」

などと言いながら、いくつかの料理を勧めてくる。

「これ、いつもあなたが持ってきてくれてるんでしょう?」

これ、というのは目の前にある料理の材料を指すのだろう。
こちらが黙っているのも気にせず、名無子は湯気の立つ皿をこちらへ押し付けてくる。

「……何のつもりだ……」

「え?」

「オレに飲み食いは必要ない」

「………そっか……」

絶やさずにいた微笑みが、僅かに翳った。

「……変わったね、オビトは」

「…お前も見ただろう。オレの半身は―」

あの日海辺で一度だけ素顔を晒したことを思い返しながら面をなぞっていると、名無子が遮る。

「違うよ。体のことじゃなくて、中身のこと」

それだけ言うと、顔を伏せて、震えた声が紡がれる。

「ねえオビト…なんで…昔みたいに……」


頭の奥が急速に冷めていくようだった。
コイツが今日は妙な態度でいたのも、このためだったのかと合点がいく。
同時に、冷えた頭の何処かがカッと熱くなる。

「お前が…お前が知ったような口をきくな…」

「…そうだよ…私なんてなにも知らない…分からない…なんであなたがこうなったのか…」

“木ノ葉のみんなだって、きっと望んでいない”。
最早決まり文句とも言えるそれを、冷静な自分と、熱を持ち始めた自分が聞いていた。


「なあ…名無子…先に裏切ったのは、裏切られたのは、どちらだろうな?」

「…………」

「オレだって望まなかったさ…だが…オレをこうしたのは、お前たちだ」

「――、」

「分かるか?オレは死んだ。お前たちに美化され祀り上げられ、過去のものにされ。オレの本当の遺志なんてものは捻じ曲げられ、踏み躙られた。蔑ろにされ、息絶えた」

そうだ。オレがあの死に際に何を考えていたのかなんて、本当は誰も知りはしなかったのだ。
だから簡単に死ぬ。里のためにと言って、リンも自ら死を選んだ。
それをオレが望んでいたか?オレはそんな未来のために死んだのか?

あのとき死んだリンにとって、そんなことはどうでもいいことだったのだ。
ただオレは裏切られた。そんな世界にしがみついて、何になる?

「昔のオレを殺したのは、お前たちだ」

潤んだ瞳が大きく見開かれている。

「…だがのうのうと生き延びたお前は、今のオレさえも否定しようとする」

瞬きすることを忘れてしまったように、必死で見開いている。

「またオレを殺す気か?名無子」



「ねえ……待ってよ、オビト……」

打ちのめされた、そんな顔の名無子を残し去ろうとすると、弱々しい声が追い縋った。

「あなたは変わったけど…まだ変わってない……」

「……どうとでも言え……お前は何故そこまで、以前のオレに拘る」

「それは、だって……」


“だって、あなたが好きだったから”。



(2015/04/04)


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