01:砂に書いた文字



「……どちら様ですか?」

人の家の周りを探るようにうろうろしていた背中へ恐る恐る声をかけてみると、振り返ったのは、予想外に怪しげな出で立ちの人物。

「…あ、ねえ、キミ、この家の人知らない?」

この爽やかな海辺にそぐわない、上から下まで黒一色で着込んだ服装。極めつけに、ぐるぐると渦巻いているオレンジの仮面。怪しい、怪しすぎる。

「…ここに住んでるのは、私だけですけど。何か御用ですか」

さっさと去ってほしいので無愛想に答えたところ、なぜか数秒間、沈黙。
仮面のせいでどんな顔をしているのか、どこを見ているのかも分からず、かなり不気味だ。

「……あの、」

「そっかあ、キミ、名前なんていうの?」

居たたまれなくなり口を開いてみたらこれだ。こんな怪しい人物に、自分の名前を教えてやる義理なんてあるだろうか、いやない。だからキッパリ断れたらよかったんだけど。

「…そんなこと訊いてどうするつもりですか」

これでも一応初対面の相手に対する礼儀を気にしてしまう私は、そう返すのが精一杯だった。

「ハハハ、つれないね。そう言われるとボク、もっと知りたくなっちゃうかも」

「は、はあ」

まだ数分も言葉を交わしていないのに、これは面倒な相手だなあと、ビシバシ感じてしまう。
思いっきり不自然な作り笑いを浮かべていると男は、不意に明後日の方向を向いて、ひらひらと手を振ってみせた。

「そんな警戒しないでよ、もう行くからさ」

言葉通り、こっちがまだ混乱冷めやらぬうちに怪しい仮面男は姿を消した。
本当にわけの分からない人物だったが、去り際の身のこなしから、とりあえず忍らしいということだけは分かった。

「………なんなの、一体」



***



「………で?」

「え?」

「“え?”じゃないでしょう、なんでまたここにいんの…?」

翌朝。相変わらず清々しいお日様の下、例の流木のある波打ち際近くまで出てきてみれば、もう二度と会うこともないと思っていた黒装束がお出迎えしてくれた。

「だってぇ、昨日教えてくれなかったじゃない、名前」

これは本当に面倒なことになった、ちょっとヤバいヤツに絡まれてしまったかもしれない。

「あっ忘れてた。ボクはトビ!」

誰も聞いちゃいない、のに嬉々として名乗ってきた自称とび。鳶?と反射的に頭の中で思い浮かべていると、どこで拾ったのか、小枝を手にとって砂浜に突き立て、“トビ”とカタカナで二文字を書き付けた。

「ほら、こっちが名乗ったんだから、教えてよ」

頭を抱えたくなる。頑なに口を閉ざしていると、フフッと隣でトビが笑う。

「仕方ないなァ、じゃあ、当ててあげるよ、“名無子ちゃん”」

耳に入ってきた音に瞠目する。ざりざりとトビがまた手を動かし、砂の上に“名無子”の文字が、ちょうどさっき書かれた“トビ”の隣に浮かび上がった。

「ハハッ、驚いた?調べてきちゃった!」

「…アンタ、なんなの…なんのつもり…?」

「って言われてもなあ、ボク、キミが気になっちゃうみたいで」

どういう意味、なんて聞かずとも嫌な返答しか待っていない予感がした。だから黙っていると、またトビはガリガリと砂の上に枝を走らせる。

「見て見て、相合傘〜みたいな?」

“トビ”、“名無子”と並んで書き付けてあった上に現れた三角形。そしてそこから二人の名前の間に引かれた直線。

「……はあ」

静かに息を吸って、これみよがしに溜息を吐いてみる。そうして何も言わずトビに背を向けた。

「あれっ?ちょっと!どこ行くの名無子ちゃん!」

“待って!”なんて追いすがる喧しい声も無視、無視だ。こういう輩は構ってやると調子に乗るから、とりあえず無視するのが一番有効、そうに違いない。



案外諦めが早いのか、数メートル進んだところでトビは追ってこなくなった。
このまま一旦家へ帰るか、そう思って、晴れた空に飛んでいる、見慣れたカモメたちを見上げた時だった。


ドオオォォン!!


「ふわっ!」

背後から鳴り響いた轟音、続けてやって来た突風をもろに背中に受ける。煽られて、つんのめって膝をついた。

「なんなのっ?」

咄嗟に起き上がり振り返ろうとした刹那、すぐ近くに、鋭い刺のある気配を感じたが、もう遅い。

「――動くな」

「っ」

喉元に当たる冷たい感触。
体を硬直させていると、喉に突き付けられた冷たさはそのままに、強引に腕を引かれ、羽交い締めにされ立たされる。


「あーあ、だから“待って”って、言ったのに」

舞い上がる砂の合間から、徐々にあのオレンジ色が垣間見えてきた。

「――トビっ」

呆れたように両手を上げ首を振っているトビの背後にも、ギラリと嫌な光が突き付けられている。

もうしばらくこういう世界とは無縁だったから、完全に鈍っていた自分を後悔する。今更周りを取り囲む複数の気配に気付いてしまった私は、絶望するしかない。

「ねえ、名無子ちゃん、見て」

下手なことをしたらやられる、そんな緊迫した状況を知ってか知らずか、トビは上げていた右手を自分の目元へと持っていくと、トントンと人差し指で指差した。それに釣られて、私の視線は、トビが示した仮面の穴へ注がれる。


「名無子ちゃんは、少し寝ててちょうだい」

そこから覗いていた赤、赤、赤。

空も、海も、砂浜も、太陽も、カモメも、全部、全てが染まっていく。
赤く、赤く、炎のような、血のような、赤色に染まっていく……――。




(2015/02/28)


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