今宵、星降る海で杯を


キラキラと星が光っている。
夜空に浮かぶ幾千の星々が、競い合うように光を放ち瞬いている。

昼の熱気の残滓が、夜風とともに海辺に吹き渡る。
暗く佇む水面が空を映し、星たちが広い海の波間を漂っていた。

コトリ。

海を臨む浜辺のベンチで、女がひとり、杯を傾ける。
杯を満たす透明な酒にも夜空が映り込み、まるで杯の中に星々が浮かんでいるようだった。

「独り酒か」

どこからともなくかけられた声に、女はぴく、と肩を震わせる。

「……なんだ、もう、愛想尽かされたの?」

「…“もう”、か。中々、手厳しいな」

隣にやってきた男に、女は、空の杯を渡し、なみなみと清酒を注ぐ。

「あれからいろいろあったよ」

「そうか」

ぐっとそれを男が煽ったのを見て、女は少し、唇を歪めた。


「私、やっぱりリンにはなれなかった」

「当たり前だろう」

「……キッパリ言うんだ、ひどいね」

「オレもお前も、所詮誰にもなれはしない。自分以外の、誰かになど」

「………」

「お前も本当は、誰にもならなくてよかった。誰にも――」

“リンにも”、という言葉を、男は酒とともに喉に流し込んだ。

それを見た女も、最初の一口以外口をつけていなかった杯を、一気に傾ける。

そこではじめて、女はこの奇妙な空間におかしさを感じ、小さく笑った。
不思議だった。こんな風に、自分とこの男が酌み交わし、慣れ親しんだ顔で語り合っていることが。


焼け付きそうな、澄んだ液体が喉を通り、体の中に広がってゆく。

杯に浮かんでいた夜空が、星たちがそのまま喉を通って、体内を満たし煌めくような感覚。
それが隅々へ染み渡り、いつしか体からも溢れ出し、全身が空へ、海へ一体化していく。


「ねえ、私ももうすぐ、リンのところへ行くから」

「ああ……」

穏やかに佇む二人の影が、真夏の夜の海に滲んでいく。

酔いのせいか、女には、これがまるで一夜の夢のように思われた。
いいや、それとも。これまで自分の見てきたすべてが夏の夜の夢だったのか、もう、分からない。
喜びに沸いた時も、怒りに駆られた瞬間も、哀しみに暮れた日々も、楽しかった一時も、遠い夢のように思い出される。

「名無子――」

心地良い声が、名前を呼ぶ。

その音の中へ溶け込みながら、きっと少なくとも、これからもう自分は、ひとりきりで夢をみることはないのだと。女はそう、微笑みを浮かべ、思うのだった。



終劇 (2015/04/25)


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