08:The One I Want
カーテンが清冽な白波となって、青空を背景に翻っている。
その白色に紛れて、ひらひら、ひらひらと、桜の花弁が舞い落ちる。
麗らかな陽気と吹き抜ける薫風が、本格的な春の訪れを告げていた。
「や、起きてたの」
ガチャ、と物音がして、白い室内に、自分以外の誰かが現れる。
振り向けば、相変わらず口元をマスクで覆った、眠たげな瞳と目が合った。
「こんにちは、カカシさん」
軽く手をあげて応えるカカシさん。昔見た姿と変わりなく、久々に再会したあの日も、私は一目で彼と判った。一方の彼が、朧げにでも私を記憶していたことは、驚いたものだけど。
「退院するんだって?」
「はい。一週間後に。色々と、お世話になりました」
「いや。……早いもんだねえ、もうすっかり、春だ」
「……あれからもう半年ですか……本当に、」
ありがとうございました、と頭を下げようとしたら、「いいよ、オレは本当に、何もしてないから」と、彼は少し寂しそうな表情を浮かべた。
「でも、一度里を出た私を、こうして受け入れてくださいました」
「ああ…何日も目覚めなかったから、どうなることかと思ったよ」
第四次忍界大戦が終結し、人々が無限月読の呪縛から目覚め、早半年。
戦地から遠く離れた湖畔に倒れていた私は、木ノ葉の忍によって発見され、保護された。
それから一向に目覚めない私を一度木ノ葉へ連れ帰り、こうして療養の手配までしてくれたのが、カカシさんだったそうだ。
長い眠りから覚めて、混乱の中彼と交わした言葉は、はっきり覚えている。
『あの、私のこと……わかったんですか』
『まあ、なんとなくね。でもそれより、キミがずっと、呼んでいたから。譫言で、オビトのことをね…』
***
止まっていた時が急に動き出したかのように、この一週間は目まぐるしく走り去っていった。満開だった桜の花もすっかり風に散り、いよいよ熱を帯びた日差しが顔を出し始める。
「また会いましたね」
「名無子か」
里を出る前にと立ち寄った、ひっそりとした慰霊碑で、銀髪にマスクの彼と鉢合わせた。
「家に戻るんだって?」
「はい。だから最後に、挨拶に」
カカシさんが手向けた花の横に、私も白い花を供える。
しばらくの沈黙の後、先に動いたのはカカシさんの方だった。
「オレは邪魔者だろうから、先に行くよ。……名無子、達者でな」
「ありがとうございます。機会があれば、また」
ひゅう、と春の微風が吹き抜けて、カカシさんの背中を見送る。
ひとりきりになった後、私は目の前の物言わぬ石碑に呼びかけた。
「ねえ、私、あの海辺の家へ戻るよ。オビト」
顔が見えないからこそ、思ったままのことを口にできる気がした。
「カカシさんから全部聞いたよ? オビト、リンに逢えたんだって?」
昔、この里で友人だったときみたいに、話せる気がした。
「リンも、最後まで見守っててくれたんだってね。やっぱり、私とは大違いだよね。私はただ、何もできなくて、自分のわがままで、ただ生きててほしいって、願ってただけなの。でもリンは、最後まで助けてくれたんだね」
堰を切ったように溢れ出てきた言葉が、春風と共に消えていく。
ねえ、オビト。私ちょっと、不思議だったんだ。あなたがなんでそこまで、リンを想えたのか。
だって私なんか、あなたが死んでも、リンが死んでも、母さんが死んでも、いつの間にか、全部受け入れたような顔で、痛みなんて忘れたような顔で、ずっと生きてきたんだから。あなたをそこまで駆り立てたものはなんだったのか、ちょっと不思議だったの。
でもね、今ならあなたの気持ち、わかる気がするよ。リンをずっと想い続けた、あなたの気持ちが。
だってね、やっぱりあなたは、私にとってただ一人、あなただけ、たったひとりだけの、大事な人なんだから。
今だったら、あなたが世界を壊したくなった気持ちも、少しだけ分かる気がする。
けれど私にはそんな力も意思もないから、多分これからまた、なにもかも知らない顔をして生きていくよ。
「ねえ、やっぱりあのとき、あなたが私を呼びに来てくれたんでしょう」
あの夕日色の夢の中。
あれがなんだったのか、無限月読の夢だったのか、未だによくわからないけれど。なんとなく、あの夢の中の彼が私を呼び覚ましてくれたのだと、そんな気がしていた。
ねえ、だからこそ私は。あなたとリンが命懸けで守ったこの世界を、また生きていくよ。
「それに今そっちに行ったら、私きっと、邪魔になっちゃうもんね」
さわさわと、足元の白い花が揺れている。
「ねえ、もしそっちでリンに愛想尽かされたら、いつでもこっちに来ていいからね」
“じゃあね、”とだけ残して、私は慰霊碑に背を向けた。
***
名無子が慰霊碑から去るより、少し前のこと。
「カカシ先生!」
「…ナルトか」
「カカシ先生……今、女の人と会ってた?」
「ああ……そういえば、ナルトは会ったことなかったな。ちょっとしたオレの昔馴染みの人だよ」
「そっか……あの人……いや、なんでもねーってばよ!」
ちらりと遠くから見えた名無子の姿を思い返し、ナルトは頭を振る。
初めて見たはずのあの姿が、なぜだか見覚えのあるような気がして、どうも気にかかる。
「(ああそうか…あの人、)」
ぼんやりとした記憶の奥を探っていると、確かに、見つけた。
「(あの時、オビトの中で――)」
最終決戦のあの日。ナルトが垣間見た、オビトの心の中で。
火影になったオビトの傍、控えめに微笑んでいた名無子が、確かにいた。
(2015/04/25)