今でもたまに夢に見る。
真冬の凍てついた暗い道路。大通りの横断歩道を、覚束ない足取りで渡っていたお婆さん。
咄嗟に体が動いた。そう自分が認識したときには、真っ白なライトが視界を覆っていた。
けたたましいクラクションの音。タイヤが滑る、耳障りな音。
『あああアァぁぁあっあぁ…』
暗闇の中、たった一人でもがいていた。
いつから自分がそこにいたのか、いつまで苦しみが続くのか、分からないまま。
全身を蝕む痛みに呻きをあげても、底知れない闇の中、虚しく響くだけだった。
『オビト!』『オビト』
誰かが自分を呼んでいる。縋るような思いで顔を上げると、目の前には確かに、自分が求めていた友の姿があった。
『リン…!カカシ…!』
二人に近づこうとするも、全身を千切れるような苦しみが駆け巡って動けそうもない。
こちらを見守っていた二人は、いつしか背を向けて遠くへ行こうとしていた。
『待ってくれ…っ!』
絶望に声を振り絞る、しかしリンとカカシはどんどん遠のいていく。
やがて在りし日の二人の姿は高校生から大学生へ、大学生から社会人へと変わっていった。
『リン……カカシ……!』
それでも離すまいと、痛みを振り払って手を伸ばす。
けれども、視界に映った自分の腕は、皺くちゃのぐちゃぐちゃに歪んだ、奇妙な形をしていた。
『あぁ……あああぁぁぁああぁッ…!』
腕だけじゃない。自分の半身が。燃えるような痛みの中、黒い闇に融けるように、体が崩れていく。
リン、カカシ、リン、カカシ……――
散り散りになっていく意識の中で、ぐるぐると駆け巡る。だけどなにか、なにかもうひとつ、忘れている気がした。
公園のブランコで泣いていた、幼いあの日。
自分こそ泣き虫のくせに、いつもオレのことを“すぐ泣く”と言って笑っていた。
『名無子……』
黒い渦に呑みこまれながら、眩しい笑顔で笑っていた姿を思い出す。
『オビト……』
不意に、後ろから声が聞こえた。
『オビト…!』
ぐい、と力強く、まだ残りかけていた左手を、誰かが握った。
そう、そうだ、お前はいつもそうやって、少し後ろに立ってたっけ。
オレが振り向くと、少し嬉しそうな顔をして、笑っていたっけ。
『名無子……』
ほら、やっぱり。
それを見た瞬間、息苦しい闇の中に、僅かな光が差した気がした。
♪〜… ♪〜…
着信音にびくりと身を起こし、枕の下に埋もれていたそれを確認する。名無子からの着信だった。
今日はクリスマス・イブ。あれから晴れて正式な恋人同士となったオレたちは、今日の夕方から、ちゃんとしたクリスマスパーティーをやろうと計画していた。
名無子の方はまだ今日まで大学の講義が入っていたから、それが終わり次第オレの家へ来る、という内容の連絡だった。
時計を見ると、まだ少し時間はありそうだ。既にパーティーの用意はしてあったが、なにかサプライズ企画でも用意してやるか、と思いオレは家を出た。
***
ピンポーン
チャイムを鳴らしてみても、しんとして返事はない。
クリスマスに加え既に冬休みムード漂う浮ついた大学の空気を鑑みてか、今日の講義はかなり早めに切り上げられた。
私はそのまま喜び勇んでオビトの家へ来たわけだけど、まだ早かったせいか、留守にしているようだ。
仕方がないから出直そうか、そう考えていたとき、なにかドアの向こうで物音がした。
どうせ気のせいだろうとは思いつつ、ドアノブに手をかける。
「(あれ…開いてる…っ!?)」
駄目元でやってみたのに開いてしまったドアに、内心で焦る。そのままの勢いで半分以上ドアを開いたところで、背筋が凍った。
「…なんだ?貴様は」
そこには、見たことのない、異様な迫力のある男の人が、仁王立ちしていた。
長い黒髪が片方の目を覆い隠していて、けれども露わになっているもう片方の目つきの鋭さといったら、身が竦むようだった。
しかも落着いてよく見てみると、一般大学生の私の目から見てもいかにも高級そうなスーツを、小洒落た感じに着こなしている。
「あえ…と…私、は、名無子、と申します……」
威圧的な雰囲気につっかえつっかえで名乗ってみたはいいものの、なんなんだこの状況は。自分の名前を教えてしまってよかったのだろうか。
戸惑っている私に、なぜだか男の人はほう、と言って少し楽しそうに口の端を上げた。
「お前が名無子か」
なんだろう。まさか私はこんな人にまで知られるような有名人だったのだろうか。いい加減頭の中が混乱しすぎだ。
その間目の前の男は、押し黙って突っ立っている私のことを、まるで品定めするかのように上から下まで眺めまわしていた。
「フン……おい、オビトに伝えておけ」
不意に飛び出したオビトの名に、混乱していた頭がぴくりと反応する。
「女に現を抜かしているようなヤツに用はない、とな」
ニヤリ、妙な色気のある表情で笑ったその男の人は、いつの間にか私の肩を押し玄関から出ると、どこへともなく去って行った。
「え…… え?」
ぽかん、としばらく間抜けな顔を晒していた私も、さてどうしようか、とりあえず家に上がっていいかな、などと逡巡していたところ、物凄い速さで足音が駆け寄ってきた。
「あ、オビト」
「名無子!!」
ぐわしっ、と勢いよく肩を掴まれ揺すられる。
「おい、今、誰か会ったか!?」
「えっ うっ うん…っ」
「何かされなかったか!?」
「だ、大丈夫…!とりあえず落ち着いて…!」
二人でオビトの部屋に上がり、一息つく。
オビトが橙の仮面を外しはあ、と溜息を吐くのを見て、そう言えば、あの仮面をつけたままの“オビト”なんてレアなものを見てしまったなあ、などと呑気に考える。
なにしろその後もオビトは“トビ”として日常生活を送っていたから。
「ねえ、さっき家に来たら勝手に上がり込んでる人がいたんだけど…」
「ああ、分かっている。…アイツはうちはマダラだ」
うちはマダラ。知らない名前だけど、すぐに合点はいった。
「もしかして……例の親戚の?」
オビトは黙って頷き肯定する。
「なんかね…オビトに伝えろって言われたよ。“女に現を抜かすヤツに用はない”とかって」
私の言葉を聞き、オビトは眉間の皺を更に深くする。
正直なんの話だかよく分からないが、オビトには話が通じているのだろうか。
「お前には…まだ全部話したわけじゃなかったからな…」
「えぇとつまり…あのマダラさんは、とにかく危ない方の人間なんだ?」
“危ない方の人間”ってなんだ。いささか語弊のある言い方だった。オビトも噴き出すのを堪えた様子がバレバレだ。
オビトの大怪我を治すために、巨額の資金を負担してくれたという親戚のマダラさん。
どうやら大金持ちなだけに、あまりクリーンな世界に生きている人ではなかったらしい。
そもそもなぜオビトを助けたのかというと、マダラさんは幼少の頃からオビトの才能に目をつけていたらしく。
手術費を肩代わりしたのをきっかけに、オビトにもそっち系の仕事へ入るよう要求してきたそうだ。
実際借りがある以上逆らえなかったオビトは、それから相当後ろ暗いこともしてきたようだ。
話そうとするオビトが辛そうだったから、あまり深くは聞けなかった。
「だがそうだな……そんな中で、またお前に助けられた」
「え、なんのこと…?」
「あれから…一度だけお前に会いに行ったことがある」
マダラの目を盗んで、一度だけ、どうにか名無子の通っていた高校の近くまで行けたことがあった。
無計画、かつ当てずっぽうだったから、実際あのとき名無子を見つけられたのは奇跡だった。
『あれっ、名無子もう帰っちゃうの?せっかくテニス部の先輩たちが来るのに!』
『うん、ごめんね』
物陰からこっそり垣間見えたのは、名無子と、もう一人見覚えのある顔。確か同じ中学校だった子だ。
『ははっいいよいいよ。名無子ってばまだうちはくんのこと』
『ちょ、やめてよっ!っていうか知ってたの!?』
『知ってたというか、バレバレだったじゃない。気付いてないの、本人くらいだったでしょ』
かあっと、目に見えて真っ赤になった名無子の顔は、今でもはっきり覚えている。
それからだ。オレがもう一度失われた高校生活をやり直し、大学へ入り、再び名無子たちの元へ行きたいと、希望を持ち始めたのは。
そしてオレは、学生生活の傍らマダラが出すノルマを絶対果たすという条件の下、やっとの思いで今の生活を手に入れた。
「ちょっと!!なにそれ聞いてないよ…!」
あの日と負けず劣らずまた顔を赤くした名無子に、オビトは笑う。
「え、じゃあなに?オビトって私がオビトを好きだったってこと…もうずっと知ってたの…?」
てっきり私は、この間の告白ではじめてオビトに想いを伝えたと思ってたのに。
「まあ、そういうことになるな…」
ニヤ、とどこかいやらしい笑いを浮かべるオビトに、私は思わず熱くなった顔を手で覆った。
「名無子……」
頑なに顔を隠しているとそのまま体ごと抱き寄せられ、耳元にくすぐったい息が吹きかかる。
「好きだ……」
恥ずかしい、けれどそれよりも嬉しさが勝った。
「私も、好きだよ……オビト」
じわり。嬉しいはずなのに、目頭が熱くなる。力の緩んだ手を除けられて、そっと唇が重なった。
好き。あなたが好き。想いを伝えられるって、なんて素晴らしいことだろう。
そしてなにより、それを受け入れてもらえるって、なんて幸せなことだろう。
9月の雨、
10月の台風、
11月の雪、
12月の月。
巡り巡る季節の中で、
いつまでもあなたと寄り添いたい
END
(2014/12/23)