December Moon
めっきり寒くなった、冬の日の帰り道。
「カカシさん、今日はどうもありがとうございました」
「いえいえ、どういたしまして。うまくいくといいね、名無子ちゃん」
久々に再会を果たしたカカシさんとは、あれから何度か連絡をとったり、細々と交友が続いていた。
どちらかと言うと私が相談にのってもらったりとお世話になりっぱなしで、今日も一日買い物に付き合ってもらったところだ。
12月ともなると、街の中はイルミネーションがちかちかと輝き、すっかりクリスマス気分。どのお店を覗いても親子連れやカップルで賑わっていて、なんとなくカカシさんと二人で歩いているのが申し訳ない気もしてきた。
「あの、ここで大丈夫です。わざわざ送ってもらっちゃってありがとうございました」
「気にしないの。代わりに、いい報告、期待してるからね」
意味ありげに笑うカカシさんに、少しだけ頬を染める。
「本当に今日はありがとうございました。今度お礼もしますね。じゃあ、また」
またね、と手を振るカカシさんに背を向け、自分の家へと足を早めた。
どこか軽快にも見える名無子の背中を見送りながら、カカシはふぅ、と少しだけ息を吐いた。
名無子から恋愛事で相談したいと言われた日には驚いた。
カカシの記憶の中にはまだ、オビトが好きだと言って目を腫らしていた名無子がいたからだ。
だからこそ、同時に安堵した部分もあった。
オビトの件を知ってショックを受けていた名無子も、もう別の恋を見つけていたのだと分かったから。
急に寒さと共に時の流れが身に沁みたようで、カカシは肩を竦める。
『……すまないけど』
『そっか…いいの、気にしないで』
色褪せかけた記憶がぼんやりと甦る。崩れかけた笑顔で涙を堪えていた、リン。遠くへ行ってしまうというリンから想いを打ち明けられて、それに応えられなかったあの日。
突っ立ったまま、そこから走り去っていくリンの姿を、ただ眺めていた。
そしてまた、その様子を陰から窺っていたオビトが、こっそりと去っていく後ろ姿を、ただただ眺めていた。
***
「はあ〜」
冷えた手に手袋の上から息を吹きかけてやると、真っ白な息が漂って、すっかり寒くなったものだと実感する。
ふと空を見上げると、澄み切った冬の夜空に、円く大きな月が浮かんでいた。それがあまりに綺麗だったものだから、思わず足を止めてしまった。
「名無子ちゃん」
妙に潜められた、けれど聞き慣れた声が名前を呼んだ。
「トビくん。こんばんは」
「こんばんは〜にしてもちょうどよかったっ!今から家来ない?」
「えぇっ!?」
あまりに唐突に持ちかけられた話にうろたえる。
「いや〜実はさ。なんか最近クリスマス向けで色々ご馳走売ってるじゃん?せっかくだし美味しそうなの買いこんでおこうとしたら買いすぎちゃって」
「なにそれ…」
「消費するの手伝ってよ!ね、お願い」
正直すごく迷った。なにしろトビくんの家にお邪魔するのなんてはじめてだったから。
二人で出掛けたりしたことも、お互いの家の玄関先まで覗いたこともあったけど、なんだかんだで部屋の中まで入ったということは一度もなかった。
仮にも好いている人の家にはじめて上がるきっかけが、こんな流れでいいのだろうか。
しかし目の前で手を合わせているトビくんに、数秒後には折れてしまった。
「わかった、いいよ」
***
その後一度家に帰って荷物を置き、すぐにトビくんの家へ向かった。
手ぶらと言うのはさすがに申し訳ない気がして、途中、コンビニに寄って適当なアイスを買った。
ピンポーン
チャイムを押すと、先に帰っていたトビくんがドアから顔を出す。
「どうぞどうぞー!」
「お、お邪魔します…」
よくよく考えてみたら、もしかして私以外にも誰か呼んだのでは?なんて期待していたけれど、そんなことはなかった。本当に私とトビくんしかいない。
自分のとこより大分お高そうなトビくんのアパート。部屋に招き入れられて、どんどん緊張してくる。と同時に、空腹を刺激するような美味しそうな匂いが鼻をくすぐった。
「じゃーん!」
言っていた通り、確かにテーブルの上にはクリスマスの雰囲気溢れるオードブルが所狭しと並んでいた。
「うわあ…よくこれひとりで買う気になったね…」
まあね!と得意気にしているトビくんに、褒めてないからね、と突っ込みを入れる。
「ほらほら!もう準備万端だし、早く食べよ!」
進められるがままに座ると、トビくんはどこからともなく洒落た感じのボトルを取り出した。
「え、もしかしてお酒飲むの」
「あったりまえでしょ名無子ちゃーん!ハイ!」
びっくりしている間に二つのグラスに透明なそれが注がれてしまった。
正直お酒は好き好んで飲む方じゃなかったので困惑したけれど、「少し早いクリスマスパーティーってことで!」とはしゃぐトビくんを前に、少しくらいならいいか、と息を吐いた。
「カンパーイ!」
それから数十分。やっぱりお酒は止めておくべきだったかと少し後悔した。
てっきり最初の乾杯くらいだと思っていたのに、トビくんは次々とお酒を追加して、かなりハイペースで飲んでいた。私は結構お酒に強い方なんだけど、トビくんが用意してくれたカクテルが意外なほど美味しかったせいでつい飲み過ぎてしまい、大分酔いが回ってきていた。
そして案の定、こんなに飲んで大丈夫かな…と心配していたトビくんは、数時間後、そのまま伸びて眠り始めてしまった。
「ぐー…ぐー…」
「トビくん、起きてトビくん」
体を揺するけれど、気持ち良さそうな寝息のペースが僅かに乱れるだけだ。
正直いつの間にか、満腹感と酔いとで自分の方もかなりの眠気が襲って来ていた。今までこんなになるまで飲んだことがなかったから、不味いと思ったけれどもう遅い。
次第に意識は眠りの中へと沈んでいった。
***
熱く火照った体にひやりと空気が触れて、少し心地良く感じた。
けれども次の瞬間、ぴちゃり、と濡れた感触がして、思わず声を漏らす。
「んっ…」
薄らと目を開けるも、真っ暗闇でよく見えない。混乱する頭をよそになにかが私の体を這いまわって、妙な感覚が湧きあがる。
すぐ近くから感じる自分以外の息遣いに、今何が起きているかやっと悟って、急激に意識が覚醒する。
「やめっ…」
胸に埋められている頭に手をかけて、精一杯押しやる。やっと暗闇に慣れてきた目でよくよく目を凝らして見ると、それはどこか見覚えのあるもので。
「トビくんっ…!?」
考えてみたら、あの状況でそれ以外はないというくらいなんだけれど、そうであってほしくないと願う自分がいた。
少し怯んだ隙に思い切り鎖骨のあたりに吸いつかれたかと思うと、彼は体を離し頭を上げた。
「トビくん、」
酔ってるの、そう言おうと思った言葉はかき消されて。
「名無子……」
聞いたことのない声色は私の体を硬直させた。
トビくん、それとも、誰。恐怖と混乱が頂点に達しようというとき、徐にその顔が近付けられた。
「うそ……」
確かに、シルエットは間違いなくトビくんだった。
けれど、暗闇に浮かんだその素顔は、あの雨の日に見た遠い記憶の彼だった。
「……オビ、ト…?」
なんで、そう言おうとした声は降ってきた唇に塞がれた。
「お前は無防備すぎる…今日も簡単に上がり込んで…」
彼は終始私を責めるようだった。合間合間に語られるそれは、彼がトビくんであることを証明しているようで、頭がぐちゃぐちゃになる。
「名無子…」
好きだ――
最後に聞こえたそれは、涙と共に滲んだ。
***
目が覚めると、すっきり片付いたトビくんの部屋で私は横たわっていた。
太陽の上り具合から見るに、もう昼過ぎくらいかもしれない。
自分の体を確認して、やっぱり昨日のことは現実なんだと顔を歪めた。
どうにか立ち上がって、一通り家の中を見てみるが、トビくんの姿はなかった。
そして最後に玄関先を見たとき、視界の端に見覚えのある黒い傘を捉え、私は確信したのだった。
それから、どれくらい経っただろう。数十分、それとも数時間くらいだろうか?
物音がしたかと思うと、部屋にオレンジの面をしたトビくんが入ってきた。
彼は私を見て少し驚いたようだった。
私はただ黙って彼を見つめていると、すっとその仮面を外した。
「まだいたのか…名無子…」
昨夜は闇に紛れてよく見えなかったその顔も、今はくっきりと確認できる。左半分は痛々しい傷跡が刻まれているけれど、間違いない。
「やっぱり…オビトなの…?」
絞り出した声には涙が交じっていた。結局昨日は聞けなかった答えを聞きたかった。
彼が静かに肯定するのを見て、じわり、と堰を切って涙が溢れる。
「なんで…」
“なんで”、そこには色んな意味が籠っていた。
泣きじゃくる私の思いに答えるように、オビトは一つひとつ語り始めた。
カカシさんに聞いていた通り、オビトは高校のとき大きな事故に巻き込まれて重体の怪我を負った。
当時の医療技術では治療は困難だったが、突然オビトの遠い親戚だという人物が現れて、莫大な手術費と入院先を手配し、彼はどうにか生を繋ぎとめた。
「あのとき…なぜだかお前の顔が浮かんできた…」
「私…?」
「ああ…リンもカカシもいた…だが、最後にお前の笑った顔が浮かんできて…」
オビトの顔に残った傷と、治療のためにかかった時間と金。どれもがあまりに大きかった。
手術費の返済のためにオビトは暗い道を歩きはじめ、やがてトビという仮面をかぶった。
「それでも昔笑い合っていた頃が忘れられなかった…お前に会いたいと思った」
最後にオビトは、すまなかった、と言って眉を寄せた。
「久しぶりに会ったお前が変わっていなくて安心した…だが、その無防備さに苛々させられた」
「それ…昨日も言ってたよね…」
どういう意味、と聞くより早くオビトは続ける。
「トビとして近付いたオレに容易く心を開きすぎだ…それに最近カカシのヤツとよく一緒にいた」
まさか、と口を開くとオビトは少し恨めしそうにこちらを睨む。
「昨日も一日どこかへ行っていたな?」
「あれは……」
さてどうするか、一瞬迷って、もう全て隠さず言ってしまおうと吹っ切れた。
「あれね…オビト、というかトビくんへのプレゼント買おうと思って。選ぶの手伝ってもらったの」
漂うクリスマスムードに乗じて、私もどうにかトビくんに告白しようと決意していた。
「はい」
昨日も本当はタイミングがあれば渡してしまおうと持ってきていたそれを、オビトに差し出す。
「あのね、私も好きだよ」
目を見開いてプレゼントを見ていたオビトが、更に驚いた顔をした。心の中でひとり、「やっと、言えたね」と呟いた。
「名無子…?いいのか…?」
「正直まだ、分からないよ。だって私はトビくんが好きだったんだから」
いきなりトビくんがオビトだったと言われてすぐ納得できるような利口なやつじゃないんだ、私は。
「でもね、今伝えなかったら後悔すると思ったから」
「今、オビトのこと手離したら、絶対後悔すると思ったから」
突然ぐっと力強くオビトに抱き寄せられて、また涙が込み上げてきた。
後悔ばかりだった今までの私の恋を、オビトとの遠い日々を思い出した。
「…これからもっと、後悔することになるかもしれんぞ?」
「いいよ、じゃあ早くさせてみせてよ」
にっ、と強気に口角を上げると、目尻からぽろりと涙が頬を伝った。
窓の外では、早くも顔を出した黄色い月が、12月の冷たい空に冴え渡っていた。
● December Moon
(2014/12/22)
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