September Rain


あの日も確か、しとしとと雨が降っていた。夏も盛りを過ぎた雨は、それでもじっとりと湿った不快感を伴っていた。

『え、引っ越し?』

『うん。もう明日って聞いたよ』

学校でクラスメイトから教えてもらった情報は、幼い私をガツンと殴りつけた。

初恋だった。

近所に住んでいて、私ともよく遊んでくれた、明るくて、優しくて、かっこいい年上のお兄さん。

大分年が離れていたし、ほとんど憧れからくる恋だったけれど、彼が引っ越して遠くへ行ってしまうと聞いて、私はいてもたってもいられなくなった。

雨上がりでぐちゃぐちゃになった道を蹴りつけて、お兄さんの家へひた走った。幼心にも、どうにかこの想いを伝えたいと必死だった。

けれど、ようやく着いた彼の家の前で、私は見てしまったのだ。

大好きな笑顔で笑うお兄さんが、とても綺麗なお姉さんと抱き合っていたのを。


その後自分が何を思って、どうしてそうなったかは覚えていない。ともかく記憶にあるところによると、私はお兄さんによく遊んでもらった近所の公園で、ひとりブランコを漕いでいた。

雲の切れ間から太陽が顔を出し、水たまりがきらきらと輝いていた。

『…ふ…うっ……』

やがて溢れだした涙は、ぼたぼたと頬を伝って服に染みをつくった。どうせ誰もいないから、濡れたブランコに座ってたせいですっかり服が濡れてしまったのも構いやしなかった。

けれど、一人きりだと思っていた公園に、いつの間にか私以外の誰かが立っていた。

『おい。なにしてんだよ』

『っ…!?』

誰もいないと思っていたから心底びっくりして、声も出なかった。

そんな私に、目の前にいる少年は「ほら、拭けよ」とだけ言って、ぐい、と青いタオルを差し出してきた。

『あ、ありがと…』

それを受け取り、少年の顔をまじまじと見つめると、どこか見覚えのある顔だった。名前は知らないけど、多分学校で何度か見かけたことのある顔だった。

少年はそのまま私の隣のブランコに立ち乗りすると、ぎこぎこと何度か漕いだ。
互いに無言だったけど、私は不思議とその空間が嫌ではなかった。

やがて涙も乾いたころ、ぽつぽつと二人の間に会話がはじまった。

そうして別れるころには、私たちはすっかり友達になっていたのだった。





それから数年。私たちは同じ中学校に通っていた。

彼には同級生にずっと前から好きな子がいた。あれから色々と彼に励まされた私は、どうにかその恋を応援しようと頑張った。

私より彼は二つ年上だったから、同じ校舎で過ごした時間は短かったけど、その分一緒にああでもない、こうでもないと悩んだり四苦八苦したり、毎日一生懸命だったのを覚えている。

私のその思いがいつしか別の方向を向きはじめたのに気付いた頃には、もう遅かった。

『なあ、名無子、今日の放課後、空いてるか?』

『うん?空いてるよ』

『じゃあちょっとあの公園に来てくれよ。約束な』


待ち合わせた例の公園。なにかあるかもと期待に胸を膨らませていた、幼すぎた私。まさかあの日と立場が逆転してしまうなんて、夢にも思っていなかった。

『リンさ…親の転勤で、引っ越すんだってよ…海外にさ……』

ぽつぽつと彼が語り出したのは、彼の思い人の話。

『オレさ…言えなかったよ…お前がいつも応援してくれてたのに…やっぱり告白さえできなかった…っ』

そうだった。初恋の人に、思いを告げることさえできなかった私は、しきりに彼に説いた。結果がどうあれ、せめて思いを伝えなければ絶対後悔すると。

空笑いしている彼の目は赤かった。きっと涙を堪えていたのだろう。その努力を裏切るように、なぜだか私の目から涙が零れた。

『おいおい…なんで名無子が泣くんだよ…』

泣きたいのはこっちだってのに、と言う彼の目からもとうとう雫が溢れた。

『ごめんね、ごめんね…っ ただの貰い泣きだから…』

あの日と同じ、ブランコに揺られながら、二人並んでみっともなく泣き暮れた。
そしてまた、あの日と同じように、恋破れる失意が静かに私の心を濡らした。

ずっと目を背けて、蓋をしてきた感情に、愚かにもそのとき初めて気がついた。
涙と共に堰き止めきれず溢れだした想い。

初恋のときは伝えることさえできず後悔したけど、今度はもっと悪いと思った。

だって、伝えたとしても届かないことが最初から分かっていたんだから。


そう、確かに私は彼、うちはオビトに恋をしていた。



***



そんな誰にでもありそうな甘酸っぱく苦い恋の思い出は、いつしか過去の出来事になっていった。

彼が無事高校合格を決め卒業するまでにも色々とあったが、私たちの関係は変わらなかった。
彼が入った高校は中学から遠かったし、私も次第に自分の部活や受験勉強に打ち込むようになって、彼とは違う高校へ進学し、やがて気がつけば自然と疎遠になっていた。

高校の頃はまだ中学校時代の思い出話に花を咲かせることも多かったから、彼のことを聞く機会もあった。
風の噂で、未だにあのときのリンちゃんを忘れられなくて、彼女ができたこともないと聞いたりした。

そんなのは随分と可愛い方で、事故に巻き込まれて大怪我を負ったという噂も聞いた。もちろん心配しなかったわけがないけれど、こういう噂は往々にして事実を離れて独り歩きするものだ。

今でも親交のある小学校時代の親友が、病気を患って死んだなどという無茶苦茶な噂を聞いた日から、私は自分で確かめない限り噂話を話半分で流すことにしている。

それにしても、大学生になって日々に追われている今となっては、そんな話題が上ることも少なくなった。



バサッ

薄緑のビニール傘を開いて外に出る。

9月も終わりの雨は、秋の訪れを予感させる冷たい風と共に私に吹き付けた。

こんな雨の日には出掛けたくないものだけど、大学の図書館から借りっぱなしだった本の返却日が今日だったので仕方がない。昨日になってやっとそれに気がついた自分を呪うばかりだ。

ぱしゃぱしゃと跳ね返る足元の水滴。

私はこの時期の雨が、嫌いだし、好きでもあった。嫌でもあの日の恋心を思い出すからだ。叶わなかった恋は思い返すと未だに胸を軋ませるけど、確かにあった私の青春の日々の一ページでもあった。

大学前の通りで信号待ちをしながら、傘に弾ける雨の音をぼんやりと聴く。

ふと顔を上げると、交差点をはさんで斜向かいのところに、真黒な傘をさした男の人が立っていた。

傾けた傘から少しだけ覗いた顔を見て、私は息をのんだ。


「オビ――ッ」

バシャアッ

明らかに制限速度オーバーな車が豪快に走り抜ける。水たまりの濁った水が思い切り跳ね上がった。
咄嗟に一歩飛び退いて避けようとしたけれど、靴と足元が少し濡れてしまった。

「あぁ……」

鞄からハンカチを取り出そうとして、はっとして顔を上げる。
いつの間にか青い信号が点灯していて、斜め向かいの男の人は姿を消していた。
辺りを見回してみるけれど、あの真黒な傘はどこにも見つからなかった。

私は一息つくと、気を取り直して足元を拭い、横断歩道を渡った。

考えてみたら、もし仮に彼がいたとして、一体なにをどうするというのだろう?
他のみんなとそうしたように、あの頃の思い出話でもするのだろうか。
落着いた今となっては、確かにあの恋も笑い話として彼に切り出せるかもしれないけど。

やがて彼のことは頭の片隅に残りながらも薄らと遠のいていった。

代わりに私はさっさと本を返して家に帰り靴を乾かすこと、そして来る大学の新学期について思いを馳せていたのであった。



September Rain



(2014/12/15)


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