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いつからだったろう、気がつけばあなたが支えになっていた。
はじめは自分の方が目上みたいで違和感のあったその口調にもすっかり慣れて、今は隣にいることが当たり前のように感じられる。
「あ、名無子さん!大丈夫っスか?」
「トビ…うん、大丈夫。ありがとう」
いつも通り、アジトの入口で待っていたトビと合流する。
あれから私は定期的に呼び出されては、例の任務に従事していた。相変わらずあの男ははっきりと姿を見せようとしない。が、言葉の端々から見るに、確かに暁のメンバーの一員、どころかかなり中心部にいる存在だということは間違いないように思われた。
「名無子さん、最近お疲れじゃないっスか?」
「これが私の仕事だからね」
大丈夫、そう言ってやはりどこか残る疲労感を振り払うように頭を振ると、トビがくい、と袖を引く。
「嘘っスよ!…すみません、ボク、知ってたんです」
急に暗い調子で俯いたトビに驚いていると、そのまま手首をぐっと掴まれ、手を握られる。
「名無子さんがいつも、ここで何をしているか、ボク知ってたんです」
「え……」
「すみません……辛い仕事だって知っていたのに…」
項垂れるトビ、けれども私の中には、彼を責める気持ちなんてこれっぽっちも湧いてこなかった。
「……あのね、トビ、私、確かに辛いと思ってた。でも、あなたがいてくれたから」
トビが握っていた手を、今度は私がそっと包むように握り返す。
「いつも明るく励ましてくれるトビがいてくれたから、頑張れたよ。これからも頑張れる、だってそれが私の仕事だもの。トビと一緒に、暁の一員として、私だって力になりたいから」
「…名無子さん……」
にこ、とできるだけ自然に笑ってみせると、ぎゅうとトビが手に力を入れて。
「それって、告白っスか」
「えっ! あ、えっ?と、ちが、」
慌ててぱっと手を離す、
「ちが、わ、ない、です…?」
否定しようと思ったはずが、口からは勝手に本心が飛び出していた。
「ハハハッ!なんすかそれ名無子さん!」
かあっと顔が熱を持つのが、自分でも分かる。
「フフ、でも嬉しいっスよ!ボクも名無子さんのこと、好きっス」
「え、」と、言葉の意味を飲み込めない私の体を、ぎゅっとトビが抱き締める。
「なら今日から、ボクら恋人同士っスね!」
「え……えぇっ!?」
***
もちろん、それを私が断るはずもなかったんだけど。急な展開に頭がついていけない。
その後アジトを離れて次の任務に向かう途中、トビが用事があると言うので、近くの人里に立ち寄ることとなった。
「じゃあすみません、ちょっとその辺見て待っててくださいね!」
「うん、気をつけてね」
正直トビとこのまま一緒にいると心臓に悪そうだったから、ちょうどよかった。
適当に人の行き交いに紛れて、ぶらぶらと出店を見て回る。しばらくしてふと、視界にきらりと眩しい光が反射した。
「わあ…きれい」
無色透明な硝子細工。所狭しと並んだ一つひとつが、キラリと光を映して光る。
動物や草花、雑貨、大小も様々な硝子細工に、思わず足を止めて見入る。
その中でも、硝子で作られた小さな白い花が、何十と寄り集まって一つの房となっている花飾りが、一際私の目を引いた。
花弁の一つひとつが光を受けてきらきらと輝き、うっすらと透明がかった白に自分の顔が映り込んでいる。いくら見ていても飽きない、そんな美しさがそこにはあった。
「それ、欲しいんスか?」
「あっトビ」
食い入るように眺め、今ついに手を伸ばそうとした硝子の花。
背後からやって来た腕がそれをひょいと掴む。
「さっきからずーっと見てたでしょ?買ってあげましょうか?」
「えっ、そんな悪いよ…」
「遠慮しないの!ホラ、恋人同士になった記念に?ボクからプレゼントっスよ!」
強引な腕はあっという間に会計を済ませ、さっきまで店に陳列されていた硝子の花は、私の手のひらの上にあった。
「あの、トビ、ありがとう。大切にするね…」
どういたしまして、そう言って笑ったあなたの声に、私も微笑む。
「そうだ、早速つけてみようかな」
ちょうどよく腰のポーチに引っ掛けられそうだったので、そのままつけてみると、りぃん、と、硝子が透き通った音色を奏でる。
そっと手でその花飾りを撫でながら、“ずっとトビといられますように”、そう、密かに願いを込めた。
***
私とトビの関係は変わったけれど、暁としての日々はそれからも変わらなかった。通常の任務をこなし、例の極秘任務にも定期的に向かう。
けれど、その日はなぜだか違っていた。
「名無子さん」
いつもと変わらず二人でやって来た例のアジトの入口、別れ際に抑揚のない声でトビが語りかける。
「ボクたち、あれから色々ありましたよね」
「……?」
「…名無子さんになら、これからボクの秘密、教えてもいいかなって思ってます」
「トビ…?」
“秘密”、って一体なんのことだろう。彼がひた隠しにしてきた、その仮面の下の素顔のことだろうか。
はっきりとは言おうとしないトビの態度に引っかかりを感じながらも、彼と別れてアジトの中へ進む。
もうこの薄暗い通路を行くのも慣れたものだけど、やっぱり最後に、あの嫌な臭いを感じながら鉄の扉を押すのだけは、いつだっていい気分がしなかった。
ギイィィ……
それにしても、トビのあんな気になる言葉を聞かされて、正直今日は集中できないかもしれない。そんな雑念を拭い去るように軽く深呼吸してから室内へ入ると、早速聞き慣れた低音が耳に入った。
「よく来たな、名無子」
向こうの部屋からやって来る人影。“マダラさん、”便宜上そう呼んでいる名前で呼びかける。
「今日はなにをするのでしょう?」
相も変わらず暗闇に姿を隠しているその人物は、今日はなぜだか殊更弾んだ声で笑っていた。
「クック……そうだなァ、名無子、さっき言った通りだよ」
「え? ……!」
一歩。私はその一歩に思わず目を見張る。
これまで絶対に踏み越えることのなかった影と光の境界を、マダラさんが一歩、こちらへ踏み込んできていた。しかしまだ足元が見えるというくらいで、全体の姿形は覚束ない。
そしてまた一歩、
「ね、名無子さん、言ったでしょ」
「“これからボクの秘密を教える”って」
「……トビ……?」
「ハハ、そんなに驚いてもらえるなんて、隠してた甲斐があるかも」、場違いな明るさで笑い飛ばしているその姿を呆然と見詰める。まるで呼吸すら忘れてしまったように。
棒のように固まった私の元へ、姿を現した彼は躊躇うことなく歩み寄って来る。
「フ、この様子だと、今日は“任務”どころじゃなさそうだな?」
グッと腕を掴まれて耳元で囁かれる、紛れもない、あのいつもの橙色の仮面から漏れ聞こえるその声に、私は目の前が真っ暗になるようだった。
「あなた…トビ…?だれなの……?」
やっとのことで呟くように吐き出したその問いを、男はクックと嘲笑う。
「前も言っただろ、オレは“うちはマダラ”。“トビ”は仮初めの姿に過ぎない」
そんな…、と言葉を失う私に、どこか心地よい低音が至近距離で語りかける。
「だが安心しろ……お前との日々は仮初めじゃあない、」
“意味が分かるか?”、よく二人で手を握った黒い手袋が、知らない生き物みたいに私の頬を這う。
意味なんて分かるわけもない、ただ言葉が音として右から左へ通り抜けて行く。だからそのまま手を引かれて奥の部屋へはじめて連れて行かれるのにも、ただただされるがままだった。
真っ暗闇の中に火が灯され、ぼうっと狭い部屋を照らし出す。
部屋の隅にある簡素な寝台にどっと降ろされ、そのまま横並びに腰かけた。
「名無子さん…お願いです、聞いてください…」
優しく握られた手のひら、意識の隅に滑り込もうとする彼の声。でもこれは全部嘘だったんだ、そう謗る自分がいるのに、いつの間にか私の手は、縋るように力を入れ指を絡めていた。
「月の眼…計画…?――ん、」
ぼんやりとした薄闇の中、ぼんやりとした灯り、ぼんやりとした声、ぼんやりとした感覚、ぼんやりとした意識。
なにかとてつもないスケールの話をしていた、なのにそれも、ぼんやりと漂って頼りなく消えていく。
ただ彼が何度も繰り返し口にしていた、“お前が必要だ”、その言葉だけが、はっきりと心に残る。はじめて見せてくれたその素肌が、指先が、私の肌に触れていた光景とともに。
事を終えてからのあの独特の空気に包まれながら、寝台に沈み込む意識の端で、なにかがキラリと光っていた。大切にしていたあの硝子の花飾りが、まるで存在を主張するかのように、このなにもかもがぼんやりとした部屋の中で唯一つ、くっきりと形を保っていた。
(2015/01/07)