(10+2)
少々計画外の事態もあったが、オレは着々と計画の実現に向けて駒を進めた。十尾を復活させ人柱力となり、六道の力を手に入れ、忍の極みへと登り詰めた。
なのに何故だ。
オレは敗れたのだ。うずまきナルトに。そしてナルトの仲間に。
アイツはオレに似ていた。アイツの後ろに、オレがいつか描いていた未来が見えた気がした。戦えば戦うほど、ナルトを絶望させてやろうとすればするほど、オレの仮面が剥がされていくようだった。
そうして気付かされたのだ、後悔などないと、自分で自分を縛りあげてきたことに。
だが、どうだ。今のオレは。
身も心も疲弊しきって、悔悟の念に塗れ、かつての恩師と友の前で、惨めに地べたへ斃れ伏している。
歪んだ形とはいえ成就した無限月読の大幻術も、空しい結果を生んだだけで、積年の計画は瓦解した。
“生きて償うことだってできる”、カカシはオレにそう言った。だがそれは生温い。輪廻眼を奪われ、代わりに元通り眼窩へ収められた、自分の二つの写輪眼に力を込める。
尾獣を抜かれ満身創痍のこの状態で、ありったけのチャクラを振り絞った。最早死ぬことは怖くない、むしろ死を望んでいる自分さえいた。死に急ぐように戦った。
『オビト』
力尽きて枯れ果てた、そう思ったその時、誰かがオレの手を引いた。
『リン……』
オレの記憶にあるままの姿で、優しく微笑んでいる。後悔だらけになってしまったこれまでの自分を、それでもリンは決して責めなかった。
ああ、リン、オレはずっと、もう一度お前に会いたかった。会って言葉を交わしたかった。認められなかった。リンが死んだということ、この世界にもう、リンはいないのだということ。
だがもう、それも過去のことになろうとしていた。自分の夢も、悔いも、全て洗いざらいぶちまけて、いっそ清々しい気分でもあった。リンに手を引かれて、全てが楽になる気がした。
“――オビト”
ふわり、不意に、どこか遠くから運ばれてきた若草薫る微風が、頬を掠める。
『オビト?』
急に歩を止めたオレを、リンが振り向いて覗き込んできた。
胸を衝かれたようだった。身勝手にもひとり、苦しみから解放されようとしていたオレに、まだやり残していたことがあったのだと、風が知らせるようだった。
『リン……ごめん、オレ…』
強く握っていた手のひらから、力が抜けていく。けれどもリンは変わらず微笑んでいた。
『大丈夫。オビト、』
頑張れ、そう言って見守るリンの手を離すと、オレはぐるぐると渦巻く歪みの中へ身を委ねた。
***
「――ッ、ハァっ、うっく、名無子……」
オレが目を覚ました頃には、ナルトが、そしてカカシが、全てに決着をつけようという時だった。
もう未練はない、そう思っていたこの世界にまた戻って来てしまった。這い蹲ってでも、どうしてももう一度、行かなければならない。その一心で。
大の字に投げ出していた全身から残るチャクラを掻き集め、オレは神威を発動する。完全に渦へ呑み込まれるその一瞬前に、オレは確かに、希望の光を掴む、ナルトの姿を見た。
「ゲホっ、ふぅ、っク……」
神威空間から吐き出され、平らな床に強かに体を打ちつける。
自分でもあてもなく飛んできたその先は、雨隠れの里近郊にある“暁”のアジトだった。
そうだ、全てオレが出てきた時のまま、あの日オレがお前と別れ、輪廻眼を移植した、あの日のままだ。口の端から垂れていた血をぐい、と腕で拭うと、足を引き摺って、部屋の隅の棚に手をかける。
まるでオレを見守るように柔らかく輝く棚の上の硝子瓶を、ひったくるように掴み取り、またすぐに神威で飛んだ。
***
それからどれだけ経ったか。まるで手の中の硝子瓶に導かれるように、オレは崩れかけたアジトの前に辿り着いた。
半分以上崩れ落ちている入口に、どうにか身を滑り込ませる。壁が剥がれ落ち足の踏み場もない瓦礫の中を、手探りで進んでいく。そうしてとある小部屋へ足を踏み入れた時、オレは目を見開いた。
「名無子……!」
ぐったりと寝台に横たわっているその姿、見間違うはずもない。
無限月読のせいか弱り果て今にも掻き消えてしまいそうな名無子のチャクラを感じ、細ったその手を強く握る。
「名無子…頼む…」
そのまま力を込める。
オレは気付いていた。これまでオレが命を永らえたのも、神威を連発できたのも、まぐれでもなければ奇蹟でもない。一度は六道仙人に比肩するまで到達した、そのために、オレは今までにない力を発揮できたのだ。そして今も滾々と湧きあがりつつある自分のチャクラを、名無子の中へ注ぎ込む。
「名無子…すまなかった…オレは…」
意識のない相手にオレは何をうだうだ言っているのか、だが、一向に目覚めないその顔を見つめていると、言わずにはいられなかった。
今までは言えなかった何かを、伝えたかった。今ならば言える何かを、伝えたかった、ただそのためだけに、オレはここまで這って来たのだ。
「――、」
ひたすらに力を込めていた、永遠に続くかと思われたその時、ぴく、と名無子の瞼が動く。必死になっていて気付かなかったが、よく見れば先程に比べ随分と頬の血色も良くなり、落ち着いた呼気を感じる。
ああ、名無子、
胸が詰まる、だがその瞬間、突如途方もない不安がオレの心を埋め尽くした。
不安。そう、“不安”だ。これからもし、名無子が目覚めたらと、そう思うとオレは、
そして何故だ、オレは、そっと繋いでいた手を離し、両手を上へと持っていく。
ドクドクと、自分の鼓動がやけに五月蠅い、オレと、息を吹き返しはじめた名無子のチャクラが混じり合っている、混じり合って、全てがどろどろに融け合って、形を失くしていく、ただそこに、緑色の柔らかな風が吹きつけた。
***
あの日見た光景だった。
風渡る穏やかな草原、丘の上の高い木、唯一違うのは、あの絵の前で、男が女に馬乗りになっている姿。そして男は現実でそうしていたのと同じように、女の首に手をかけた。
「名無子」
見下ろす男の顔を、女は限りなく透き通った瞳で見つめている。
「何故オレを責めない、何故何も言わない」
苦悩に表情を歪めた男の頬を、女の指先がそっと撫でる。
「だって、あなたは優しいから」
「っ、何が優しいんだ、お前を傷付けたオレが、このオレが!」
首に添う指に力が籠り、女は苦しげな息を吐く。
「でも、あなたはもっと傷付いた」
続いた吐息交じりのか細い声に、男は思わず指を緩め眉を寄せる。
「あなたは私を傷付けることで自分を傷付けた」
「――何を言う、」
「ほら、だから今も、私を締上げているのでしょう、」
“私に愛される自分が許せないから”
ざわっ、と、吹き上がる草原の風に紛れて。
心を抉り出されるような、この感覚。
男はふと思い出す、こうやって、どこまでも自分は自分なのだと、曝け出されたばかりだったではないか。それなのに女の前ではいつまでも素直になれない、そしてまた傷付けようとしている。これまでそうしてきたように。
「お前に愛されると……このどうしようもない世界に、色が付くようだった」
さわさわと、二人の間を微風が通り抜ける。
「自分で否定した世界に意味が生まれるような気がして……オレは恐れた、」
そして、頑なに拒絶した。偽物がどうだと言って、愛など認めなかった。
「そんな風に、あなたは優しすぎるから、」
今度は女の両手が男へと向けられ、その傷のある顔を包み込むように添えられる。
「だから私はあなたを愛した、愛されたかった、」
ぽた、ぽたぽたぽた
女の頬に、どちらのものとも知れない透明な雫がいくつも零れ散る。
それはまるで、二人の横に佇む絵に点々と描かれた、あの花飾りのようだった。
***
「名無子……」
薄く朱の差した頬の上、睫毛がふるりと戦慄き、名無子がそっと潤んだ目を開ける。そうして先程そうしていたのと同じように、名無子はその両手で、オレの頬を包んだ。
「――ん、」
何か言おうと開きかけた、そのふっくらとした唇を塞ぐ。たった一度だけ重ねた、あの柔らかな感触が蘇る。離れてしまうのが名残惜しくて、何度も、何度も合わせる。
ああ、本当は、オレは。こうやってお前に、口付けてやりたかった。
ただこうやって体を抱締めて、寄り添いながら、キスをしたかった。
たったそれだけだったのに、オレたちの愛は、遠回りをしすぎた。
「名無子、愛してる」
ぽたり、またさっきと同じように、二人分の涙が混じり合う。
これだけ自分勝手にやってきたオレを、それでも名無子は受け入れるように微笑む。
「私も、愛してる」
散々傷付けてきた、名無子を、自分を、そしてこの世界を。
この世界は現実だ。夢の世界とは違う、だからこれからまた悲しみが、孤独が、絶望が待っている。
オレは償いきれるのだろうか、名無子に、そして世界中の人々に。そもそも、償いとは何なのか。何もかも分からない。分からないことだらけの、痛みに満ちた世界だ。
だがそれでも、今掻き抱いたこの体は、再び合わせたこの唇は、あまりにも、あまりにも柔らかく、熱い。
熱くて仕方がない、現実。この現実を生きている、痛みと熱さの狭間で、それでもオレは、生きていく。(2015/01/18)