(10/10)


「お前の最後の仕事だ」

ついに、この時が来たんだ。

「オレが戻ったらすぐに輪廻眼を移植する……準備しておけ」

「はい、」


去っていく背中を見送り、言われた通り、私は準備に取り掛かる。
そう、私はこのために彼に見出されたのだ。莫大すぎる力を秘めた眼を、恙無く彼のその眼窩に収めるために。流石に計画を左右する重大な作業だけあって、移植自体は彼自身が行う予定だったが、私はその補佐をすることになっている。

途中彼の駒として不自由ないよう私自身写輪眼を移植されたのは幸運だった、私にとっては。彼にとってはもしかしたら、思ったほどの収穫はなかったかもしれない。

「トビ……」

ふと、誰もいないアジトでその名を呼んでみる。今日は例のアジトとは違う、雨隠れの里に程近いアジトへ来ていた。部屋の隅でちかちか光を反射している硝子瓶、その中の粉々になった花飾りをそっと見つめる。

私はあの花と引き換えに力を得た。その力を使うため、密かにチャクラを練り続けてきた。

そうだ、彼もいつか言っていた、“光ある所に影はある”、“何かを得るためには何かを失う”。

私と彼の関係もそれと同じなのだ。

彼の素顔を、あの日偶然見た過去の彼の姿を思い出し、じわりと込み上げてくる感情に手のひらを握る。

私は彼を愛した。けれど彼は私を愛さないと言った、愛しているのは別の人だと言った。それでもなぜか、私の中は彼への愛しさで溢れていた。むしろ求める気持ちが日毎に増していくようだった。

“憐れんだのか”、彼はそう問うたけど、私自身分からない。確かに私の方が哀れな存在かもしれない、けれど、私がいなくなったら、今この世界で一体何が彼を慰めるのだろう、そう不安に駆られることがある。

――いいや、本当は、私が怖いだけなのだ。彼以外、もう私の支えとなるものはない。この世界に私たちを慰めるものなんてもうなにもないのだ、だから、たまらなく怖くなる。

同時に、私を愛さないと言った彼の言葉に、安堵と共に、いつしか諦めを覚えていた。

最初から分かっていた、彼が私を愛さないと知っていた、それでも愚かな私は、ずっとずっと愛されたいと願っていた。本当はずっとずっと、最初からずっと、あなたのものになりたいと思っていた。あなたが本当は誰かなんて、関係なく。

でもそれは、この世界じゃ叶わない。あなたのものになれない私なんて、意味もないのに。私を愛さないあなたを愛した、それでもそんなあなたに愛されたい、この私の滅茶苦茶な願望は現実では満たされない。


だからあなたが示してくれた“無限月読”のために、私はこれまで生きてきた。


私たちの愛には、きっと、夢の世界にしか救いはないのだ。

そう、あなたが“リン”を好きでも構わない、夢の世界で私だけに笑ってくれるなら。
現実のあなたが愛してくれなくても寂しくなんてない、夢の世界でまた逢えるのなら。


それに本当はね、気付いてたんだ、あなたは優しさを捨て切れてない人だから、きっと私を“何とも思っていない”わけがないんだって。

嬉しいけど悲しかった、私は過去を追い求めるあなたが好きだから。私なんてきっとあなたの汚点になってしまう。
これから大事な戦いを控えている、“月の眼計画”の仕上げに、私が妨げとなるようなことは万が一にもあってほしくはない。だから私は、これから、大それたことをしようとしている。成功するかなんて分からないけれど、やらなきゃいけない。


今頃彼は無事目的地へ着いただろうか、思いを馳せる。



***



予想外に苦戦させられたが、無事に長門から輪廻眼を回収し、名無子のいるアジトへ向かう。
途中自力で最低限の治療を施し、神威で直接アジトの中へ跳ぶと、すっかり準備を終えた様子の名無子が待っていた。

小南との戦闘でぼろぼろに砕けた仮面を投げ捨て、同じく破け放題の外套を脱ぐ。
名無子はいつになく乱れたオレの様子にはじめは心配そうにしていたが、すぐに治療に取りかかった。

「治療が終わったら、いつでもはじめられますよ」

どこか穏やかな声色で名無子が告げる、その赤く染まった双眸も、波が凪いだように静かだ。

そういえば、と思い出す。

自分の仕事に感けて確認せず仕舞いだったが、この写輪眼を移植した日、名無子は奇妙な体験をしていた。本人の語ったところによると、どうやら生前のこの眼の持ち主の記憶を追体験したようなものらしい。もしかするとこの眼には、そういった“記憶”に纏わる能力が秘められていたのかもしれない。

まあ、仮にそうだとしても、名無子は結局この眼を使いこなせてもいなければ、今後使うような機会も最早無いだろう。

輪廻眼を移植するのに、万全を期さねばならない。しばらく時間を置き休息すべきだろうか。念入りに傷を診ていた名無子が、ふと伏せていた目を上げて、口を開く。

「最後にお願いがあります」

先程までの様子と打って変わって、哀願するように目を潤ませた名無子に、気が付けば“なんだ、”と返していた。

「少しだけ、目を瞑ってくれませんか」

下らない、そう思いつつもコイツと会うのも最後か、そう頭を過った時には瞳を閉じていた。

それからどれくらいだったか。
もう目を開けようかというその刹那、唇に柔らかいものが触れた。それを認識した瞬間、すぐに離れていく。

――ああ、そうだ。身体を重ねたことは何度もあったのに、唇を重ねたことは、口付けたことは一度もなかった。

オレとしたことが些か感傷的な気分にでもなったのか、閉じていた瞳を開けた時には、もう遅かった。


「さようなら」

オレの目を見つめる名無子の赤い瞳が、見たことのない輝きを放っている。
そんな馬鹿な、微かに目を見開いたオレの顔がその眼に映っている、そしてそのまま、引き込まれる。



***



どこまでも続く緑の絨毯。風そよぐ草原に麗らかな太陽の光が降り注ぎ、草木が瑞々しく息づいている。

一本大きな木の生えた小高い丘の上に、一人の女が立っていた。女は、目の前に立てかけられたキャンバスを難しい顔で睨んでいる。真黒の下地に色とりどりの絵具で雑多に描かれたそれに、女は筆ではなくナイフを構えて小難しい顔で向き合っていた。

「何をしているんだ」

どこから現れたのか、男が女の背中に声をかける。

「絵を直しているんです、失敗しちゃったから」

そう言いながら、まだ乾かぬ絵具にぐり、とナイフをあて削り取っていく。
それがなぜか男にとっては堪らず不愉快だった。

「やめろ」

「なぜ?ほら、だってこの方が、綺麗でしょう?」

ぐり、とまた剥がす、不愉快なはずなのに、確かに。その下から現れた絵は、男にとってこの上なく美しい気がした。

「ごめんなさい、やっぱりこんな色、いらなかったよね」

眉根を寄せていた男が制止する暇もなく、女は一気に手を動かし絵具を削ぎ取った。

「もう忘れて」

そう言い残し去ろうとする女の手を掴もうとした、なのに、男はなぜかその絵の前に釘付けになって動けない。


「さようなら、トビ」



***



「っは、う……」

はじめてまともに使った写輪眼、じくじくと熱を持ち痛む。

成功したか失敗したかは分からない、けれども目の前で気を失った様子の彼を確認し、すぐさま一つだけ薬瓶を手に取り、アジトを飛び出した。

輪廻眼の移植、それを最後まで見届けられないのは心残りだったが、準備に不足がないよう念入りに用意しておいた。正直あれこれと教え込まれた私なんかより結局彼の方が技術はありそうだったから、私がいなくとも問題ないはずだ。


私に移植された写輪眼には、人の記憶に対する干渉能力があったらしい。それを使って私は消した、彼の中から、私の記憶を。

不意打ちで彼が弱ったときを狙ってやった。けどちゃんと消せたかどうか、確認することはできない。多分もう、彼に会うことは二度とないのだから。それでもよかった、結局これは、私の自己満足に過ぎないのだ。

未だに痛み視界がぶれる瞳をそっと手で覆う。この眼にはお世話になったが、私はやっぱり、自分の眼が一番いい。だから元に戻すため持ってきた、薬瓶の中で浮かぶ二つの眼球。

目的地に着いたらすぐに施術しよう、そう思いながら、ひたすらに駆けて、駆けて、何度日が巡っただろう。



私は崩れかけた、洞穴みたいなアジトの前に立っていた。
入口は半分以上塞がれていたけど、なんとか入れた。

壁がぼろぼろに抉れ足の踏み場もない中を進んでいくと、開けた場所に出て、そこはどうやら原形を保っていた。

体を落ち着けられそうな場所を確保すると、すぐさま眼の摘出作業に入り、自分の眼を戻す。

入れたときはあんなことがあったからうまくいくか不安だったが、何事もなく移植は終わった。包帯を巻いて横になると、久々にまともに体を休めたものだから、深く息を吐いた。


そのまま眠ってしまったのだろうか、アジトに着いた頃は昼間だったのに、目が覚めると日が暮れていた。痛みも違和感もない、包帯を取り払うと、はっきりと視界が開け問題なさそうだった。

起き上ると、その部屋から出て、記憶にある通り通路を辿り、小部屋に入る。


ああ、そうだ、ここで会ったんだ、私たちは、このアジトで、この場所ではじめて顔を合わせたんだ。


『名無子さんっスね!これからよろしく!』


薄暗くて無駄に広いだけの、洞穴みたいなアジト。
私たちが顔合わせに使ってからしばらくして、場所を特定され襲撃を受けたから、そのまま放棄したと聞いていた。

本当に懐かしい、なにもかもが懐かしくて、胸がいっぱいになる。

そうして更に奥の部屋へと進む。入口は荒れ放題だったが、奥の方は割と手つかずで残っているようだ。

ギイ……

見覚えのある扉を押すと、狭い個室が現れる。簡素な机に、寝台、最低限のものしか置かれていない。
しかし、寝台の上だけ妙に明るい、そう思って窺って見ると、天井に穴が開いて空が見えていた。そこから光が差し込んでいるようだ。

そのまま目線を床に移すと、打ち捨てられたそれが目に入り確信した。

「まだあったんだ……」

埃を被って、ぼろぼろになった日めくりの暦。“1”が4つ並んでいる。

そう、あの日、私はこの部屋で一夜を過ごした。あんな奇妙な人と組まされて、これから自分はどうなるのだろう、そう思って眠れずにいたのを覚えている。

そして誰か私の前にこの部屋を使っていた人が持ち込んだのか、壁にかかっていたこの暦、日付が止まっていたそれを何枚もめくって気を紛らわしたんだ。

そのまままた、あの日の日付のまま、“11月11日”のまま止まっていた暦を、元通り寝台の横の壁に掛けてやる。

寝台の汚れを軽く払い、自分が脱いだ黒い外套を敷くと、そのままその上に寝そべる。

いつの間に夜が来ていたのか、ちょうど寝台の上から真直ぐ見える天井の穴から、藍色の空が垣間見えた。そろそろだろうか、そう危惧していたけれど、ああ、自分は間に合ったのだ、静かに安堵した。


いつまでもいつまでも空を見つめていると、やがて月が昇った。とてもとても、大きな月だった。


「あなたもこの月を見ているの、オビト」

ちゃんと呼ぶのははじめての、あなたの名前。
口にするなと言われたからあれ以来一度も言わなかったけど、本当はずっとずっと、呼んでみたかった。


円く大きな月、それは見つめていると吸い込まれそうな、どこか遠い世界へと浚われていきそうな錯覚を呼び起こす。

そこに写輪眼を思わせる不気味な紋様が浮かんだときも、本当に意識が浚われようとするその瞬間も、なにも怖いことなんてなかった。


「ねえ、あなたも今頃、“リン”に逢えたかな」


ゆらゆら ゆらゆら 揺れている

波間に浮かぶように、月が揺れている、そう思ったけれど違った、揺らいでいたのは私、私の目に浮かんだ涙が、ゆらゆら、ゆらゆら、揺れていた。

 
「おやすみ、」


“オビト”


いつしか歪んだ景色はぐちゃぐちゃに混ざって、融け合って、ゆらゆら揺らぐ私とひとつになった。






ゆらゆら ゆらゆら
揺れている――

――なにが?

水面、あの人の瞳。
……いいえ、これは、空。

空、そして、月。

ゆらゆら ゆらゆら
美しい月が揺れている――

――ううん、それとも、



ドサッ

「 ふぅっ!?」

「名無子さん起きてー!」

やかましい高音と、のしかかる重量が私の眠りを奪い去った。

「名無子さんっ!おはようございますっ!」



『Pieris』 完

(2015/01/11)



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