あなたのことが好きだった


その日も変わらず、雨隠れは雨だった。
しとしとと降り続く空を見上げながら、私は一息つく。

「今日もご苦労ね……名無子」
「あっ、天使様!」

パラパラと紙が寄り集まって、目の前に現れたのは“天使様”。

「本日も異状はありません!」
「そう」

天使様は辺りを一瞥してから、またサッと紙になって散っていく。

「ふぅ……」

雨隠れの里で、一番高い場所。“神様がいる”なんて言われてもいるこの高い高い塔の、その入口を見張るのが、私の役目だった。
たまにこうして天使様が様子を見にやって来たり、仲間たちが戦死した者の遺体を運び入れたりする以外は至って“平和”というか、それこそ神様や天使様たちのおかげで、私はこうして比較的平穏な日々を過ごせている。


「お疲れ様でーす」
「お、お疲れさまです……?」

“あの人”がやって来たのは、どんよりと暗い空の午後だった。
いつものように「今日も何事もなく終わるかな」とぼんやりしていたところ、突如見慣れぬ顔が現れて、その上なんだか妙に馴れ馴れしく手を上げて挨拶されたものだから、ちょっとばかしぎょっとした。

「あ、あのー……」
「ん?」

見慣れぬ顔、というか。その人は。

「あの、あなたどちら様で……?」
「ああ、ボク、トビっていうんで。以後よろしく」
「よ、よろしく……お願いします」

トビ、と名乗ったその人は、真っ黒な装束に緑の襟巻きと、嫌というほど目を引くオレンジの仮面を着けていた。

……まあ、もし仮に、この人が不審人物だったとして。いくらなんでも、ここまで来るのにこんな怪しい男をみんながほっとくわけないし、なにより神様のこの“雨”があれば、みすみす侵入者を見逃すはずもないだろうからと、ひとまず私は警戒を解くことにした。

「小南さ……いや、“天使様”に会いに来たんスけど」
「あぁ、それなら……先程からちょっと不在にされていて」
「みたいっすね」

それからそのトビという男は、「せっかくだから少しおしゃべりしましょうよ」だのと隣に陣取って、あれこれと他愛もない話を振ってきた。

「へえ〜、名無子さんはいつもここの見張りをしてるんですか」
「ええ、まあ」
「その“天使様”とは結構仲良いんすか?」
「いや、とんでもない! たまーにちょっと話すくらいで……私にとっては雲の上の人というか……」

そんなこんなで、しばらくしてからトビは、「また出直すことにします」と言って、結局去って行った。

それから、トビとは何度か顔を合わせる仲になって。そのたびに彼は私にしょうもない世間話や近況を聞かせたり尋ねたりしてくるのだった。


「名無子」
「天使様! お疲れさまです……今日も異状ありません!」
「そう……ところで」
「?」

ちょうどトビがやって来るようになってから、数週間後くらいだったか。珍しく天使様が立ち止まって、私に問うてきたことがあった。

「最近、面をした男と、よく話していると聞いた」
「え……? というと、トビ、のことですか?」
「ええ……彼とは以前から知り合いで?」
「いえ、この間……たまたま声をかけられて、それでまあ、話くらいは」

「そう」とだけ言って天使様は、まるで覗き込むみたいに私の目を見つめる。

「どんな話をするの?」
「え? いや……本当に、取るに足らない話です。どこどこの国に行ってきたとか、その日の夕飯の話とか……」
「……」

私はなにか不味いことでもあったかと緊張して、言いながら心臓が嫌に脈打っていた。

「すっ、すみません。今後、勤務中に私語は――」
「いや……、いいわ。気にしないで」



「――っていうことがあってね」

「へえ。そんなことが」

何かお咎めがあるかと完全に身構えていたけれど、天使様はその後も、相も変わらずたまに顔を出しては、ちょっと一言くれるくらいだった。

「ボク実は、天使様に目ェ付けられてるかもしれないんスよ」
「え、なにそれ。そうなの?」
「まあ、色々ありまして……」

トビはさも深刻そうに話していたけれど、わかる気がする。だって彼、このキャラだもの。

「もー今度はボクが怒られちゃうかもしれないんで、シーッ、ね、名無子さん次からシーッ!」
「はいはい、わかったよ」

いつも「シーッ」ができてないのはどっちなんだか、と思いつつ、必死に面の前で指を立てるトビがおかしくて、つい笑ってしまった。



……それから。変わらない毎日が過ぎてゆく。
見上げる空はやっぱり晴れ間もないけれど、どうしてか、前よりも私は、きっと“明日”が楽しくなる、そんな希望を抱いていた。

「――っくしゅ!」

決定的だったのは、ひどく風が吹き荒ぶある日のこと。
その日はやけに雨が冷たくて、長いこと外に立っていたせいですっかり体がかじかんでいた。

「大丈夫っすか、名無子さん」
「あ、トビ」

ひょっこりどこからともなく現れたのは、オレンジ仮面の目立つ彼。

「今日もお疲れ様っスね」
「うん。まあ、仕事だからね」
「ふぅ……そんな頑張る名無子ちゃんにはハイっ、これ」

不意にトビは、身に着けていた襟巻きを解いて、そのままそれを私の首元へかけてくれた。

「え? トビ、これ」
「寒そうだったんで、使ってもらっていいっすよ。トビくんからのご褒美! なんちゃって」
「でも……」

いいからいいから、と言いながらトビは、私の肩をポンポン、と叩いた。

「……ありがとう」
「どういたしまして!」
「じゃあ今度、洗って返すね」
「えぇっ、そんなのいいって」

そうはいっても……と言い淀んでいると、トビはさらりと答える。

「実はそれ、もう使わないと思うんで」
「えっ?」
「もらってくれていいっスよ」

それじゃ、とトビは手を振って、私が口を開く間もなく去って行く。

「風邪引かないでくださいね〜、名無子さん!」

首に巻き付けたそれが、やけにあったかい気がしてなんだか恥ずかしくて。まるで彼の体温が移ったみたいだったから、きっと私、頬まで赤くなっていた。



「そうは言っても、やっぱり、返したほうがいいよね」

トビはああ言っていたけれど。やっぱり、悪いと思って、しっかり洗って、綺麗にしていつでも渡せるようにしておいた。あとは次、いつ彼が来るかなって、私はもうすっかり心躍らせて待っていたのだけど、来る日も来る日も、彼は、姿を現さなかった。



* * *



「天使様」

私が自分から天使様へ声をかけたのは、多分これが最初で最後だったかもしれない。

「……どうしたの、名無子」
「あの、トビは……トビは、最近どうしてますかね?」
「……」
「しばらく、顔見てないな、なんて……もし、ご存知でしたら」

天使様は逡巡するように空へ目を向けて、それからゆっくりと私の方へ戻して、こう告げた。

「彼なら、戦死したわ」
「え――」



にわかには信じられなかった。だってこの間まで、あんな元気にしてたのに。
全く実感は湧かなくて、けれども待てど暮らせど彼は現れず、日を追うごとに私は現実を突きつけられた。

「トビ……」

いなくなってから気がつくだなんて、本当にどうしようもない。私は大切にしまっておいた襟巻きを目にするのも辛くなり、いつしか箪笥の奥に押し込めてしまった。触るたび、彼の温度を思い出す気がして。今や冷たくなってしまったそれを手に取る勇気がなかった。



――それからまた、月日は巡って。

「名無子」
「……おはようございます、天使様」

心にぽっかり、穴が空いたようで。それでも、時間はとめどなく流れていく。雨はひたすら、この里に降り続く。

「今日はひときわ、雨がうるさいですね」
「……そうね」

ビシャーン! と、雷鳴が轟いて、二人の会話をかき消す。天使様は何か言いかけたように見えたけれど、その表情はよく窺えなかった。


天使様が去ってから、ひたすらぼうっと雨空を見上げる。

ビシャーン! もう一度、雷が閃いた。

「……?」

視界の端で、何か動いたような気がして。じっと目を凝らす。

「……、トビ……?」

いや、まさか。でもあのオレンジの面を見紛うはずもない。それを裏付けるように再び、稲妻が迸って、私ははっきりと、彼の姿を捉えた。

「トビっ!」

強雨のなか私は必死で手を振った。仮面のせいで断言はできないけれど、彼もこっちを向いた。
なのに、何の反応を示すこともなく、トビはそのまま背中を向け薄闇に消えていく。

「トビ……」

なにしろこの天気と視界の悪さだ。もしかして、彼は私に気づかなかったのかもしれない。

「……生きててよかった」

ひとまず、それだけでも安心した。


それから私は、帰って久しぶりにあの襟巻きを手に取った。

「そうだ、これ……」



* * *



「名無子、それ」

翌朝、緑の襟巻きをつけて立った私に、真っ先に天使様が気がついた。

「それは、どうしたの」
「ええ、以前……もらったんです、トビに」

そのとき、普段ほとんど感情を表に出さない天使様が、ほんの少し、唇を引き結んだのが見えた。

「そう、あの男に……」

天使様とトビとの関係が一体どういうものなのか、正直、私にはわからない。だから天使様が彼を「死んだ」と言ったのには何か訳があるのかもしれないし、深く詮索はしないことにした。それに、私はこの里を治める天使様を、そして神様を心から信頼している。尊敬している。仲間であるトビのことも、もちろん。疑う気持ちはなかった。ただ、事情があるにせよ、どうにかまた彼と会って話がしたいと、それだけを願うばかりだった。


あの日以来、トビを見かけることはまたなくなった。
けれども私は諦めず、毎日あの襟巻きをつけて見張りに立った。いつか、彼がやって来たら、気付いてくれるんじゃないかって、期待を抱きながら。


――そうして“その日”は、やって来た。


「クソッ、どうなっているんだ状況は!」
「今確認している!」
「天使様は!?」
「先ほど戻られた! 今は塔の方に――」

日常のなかに突如飛び込んできた非日常。

“神様が死んだ”

“木ノ葉の忍に敗れて戦死した”

情報が錯綜していて、いっそ嘘なんじゃないかって思いたかったけど、ひとり戻られた天使様の様子から、ただ事じゃない事態がいやでも伝わってきた。

「天使様……」

一体、これから雨隠れの里はどうなってしまうのだろう。不安を胸に見上げた空には、やはり重たい雲が垂れ込めている。

「……あ……?」

ヒラリ、その中を翻ったように見えたのは朱い雲。

「……トビ……!?」

一瞬、それはいつもの天使様のマントにも見えたけど。見慣れたオレンジを認識した瞬間、私は思わず駆け出していた。
高い塔と塔の合間を縫うように跳んでいく背中を追いかけて、必死で階段を駆け上がる。


「トビ!!」

肩で息をしながら開け放ったドアの向こう、向かい側の塔の屋上に、二つの影が立っていた。

“来たのね、マダラ――”

そう言って背を向けていたのは、

「天使様……?」

そして、聞き覚えのない声を発していたのは。

「トビ……?」


呆然としているうちに、二人の姿はかき消えていて。私はその場で動けずにいると、ポン、と後ろから肩を叩かれる。

「名無子さん」

「……、トビ……?」

耳を打ったのは懐かしい声。

「ダメじゃないですか、こんなところにいたら」

なんで、とかどうして、なんて疑問は混乱に紛れて湧いてこなかった。

「トビ、私……」
「ああ、これ」

振り向きざま、彼が私の首元に手をかける。

「まだ持ってたんスね、名無子さん」
「うん……やっぱり私、ちゃんと返した方がいいかと思って、それで――」

ふと彼の顔を見上げると、仮面の穴から赤い瞳が覗いていた。

「じゃあ、それはまた“今度”ね」

こんど――?
頭に浮かんだ三つの文字は、どうしてか、音にならないうちに深い闇へと沈んだ。



* * *



まるで、走馬灯でも見せられているようだった。瞼の裏に浮かぶ、雨隠れの景色。毎日毎日雨ばかりだったけど、その薄暗い街並みが、ときにひどく安心するものでもあった。

『名無子』

『名無子さん』

『名無子』

次々と通り過ぎていく、仲間たちの面影。
――ああ、私。はじめて天使様に声をかけてもらえたとき、本当にうれしかった。噂に聞く神様にもずっと憧れてて。この仕事をもらえたとき、みんなに認められたようで、本当に誇らしかった。
そして、それから。

「トビ――……」

……私きっと、あなたのことが好きだった。襟巻きを返したかったのも、もう一度、会って話がしたかったから。なのにねえ、今。どんな顔をしたらいいか、わからないの。だってあなたは、あなたが。


「――名無子」

私のことを揺り起こす声は、一体誰のものだったのか。


END

(2018/02/25)

*Thanks for your request !
トビくんにマフラーを借りる話/切なめ


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