※それほど直接的な描写はありませんが大人向け表現を含みます。その上全体的に教育上よろしくない(薄気味悪い)雰囲気ですのでご注意ください。


夢寐に契る


近頃、身の回りで妙なことが起きる。ちょっとした小物がなくなったり、逆になくしたと思っていた物が思いもかけない所から出てきたり。部屋の大掃除をしたわけでもないのに、自分でどこになにを置いたのか、さっぱりわからなくなるときがある。

他にも、昨日なんかは、お風呂場でボディソープを詰め替えようとして、「あれ、そういえば、この間で詰替え切らしてたような」とはじめて気が付いた。でも確かにこの前自分で買ってきたような、買ってもいないような。普段から割と大雑把に生きてきた私は、その辺の感覚が曖昧だった。
そもそも、今のところ実害が出ているわけでもないし、日々のあれこれに追われている中で、そんなことを深く考えようという気力も湧いてこなかった。


「最近、疲れてるのかな」

そう言って職場で同僚に愚痴を零した日には、「そりゃあそうですよ」と苦笑いされてしまった。
曰く、「最近の名無子さん働き過ぎですもん」。

そうかな、と首を傾げるとここぞとばかりに、後輩たちが「そうだそうだ」と口を揃える。

「今日は少し早めに切り上げたら」

先輩にもそんなことを言われてしまい、結局その日、いつもより早めに上がらせてもらえることになった。
みんなの気遣いに感謝しながら、やっぱりもっと自分がしっかりしなきゃ、そんな思いを新たにした。



「はあ、どうしよっかな」

早く帰ったら帰ったで、案外することがない。
独り身の私にはなにか華やかな約束事が控えているでもなく、時間を費やすべき嗜みがあるでもない。

そんなこんなでだらだら過ごしていると、せっかくの休みもあっという間に時が流れてしまう。

「そろそろ……夕飯の準備でもするか……」

ここしばらくまともに料理らしい料理もしてなかったから、今日はなにか作るか、と決めて家を出る。

そうして冷蔵庫になにか残っていたかな、と頭に思い浮かべながら、数十分ほどで買い物を終えた。



「あ、」

帰宅し早速台所に向かったところで、重大なことを思い出してしまった。

焦って戸棚に手を伸ばし、引き出しを開ける。

「あれ……なんだ、まだあったのか」

味噌を切らしていて買い忘れたような気がしていたけど、気のせいだったらしい。
そこにはちゃんと、いつもの位置に、いつもの味噌が収まっていた。


それにしても、最近本当に、こんなことばかりだな……なんて我ながら呆れつつ手を動かす。

その後もどうも味の薄い煮物に何度目かの醤油を足したところで、違和感に気が付いた。

「ん……この醤油……?」

この間買ってみたら薄口がいまいち口に合わなかったから、前まで使っていた濃い口のに戻して、とりあえず奥の方にしまっておいたはずなんだけど。特に意識せず手を伸ばして取ったのが、この薄口の醤油だった。

「…………、」

それから少し上の空で作った味噌汁は、味見もしなかったせいでかなり薄味になってしまった。



***



「……っ、ヤバイっ、寝過ごしたっ!」

次の日の朝。
夕食の後ぼんやりと過ごしてそのまま寝入ってしまったせいか、すっかり寝坊してしまった。

急いで顔を洗って、とりあえずなにかお腹に入れておこうと昨日の残りに手を付ける。

身支度を整えて、洗い物も脱ぎ捨てた寝間着もほとんどそのまま、ダッシュで部屋を出る。

そんなだから、起きてすぐ啜った味噌汁の味なんて、私の記憶には残らなかった。
昨日あんなに薄かったはずの味がちょうどよくなっていたなんて、当然、気付くはずもなかった。



大慌てで仕事場へやって来た様子の私を、みんなは「昨日は随分ゆっくりできたみたいだね」なんてからかってきたけれど。
案外その日は、特に何事も無く、平穏に時間が過ぎていった。

「先輩、今日の帰りにどうです?」

「ん、いいね」

そういえば誰かと飲みに行くのも久しぶりだなあ、なんて思いながら、夜を迎えた。



「うっ……ごめん、ねぇ」

「はは、気にしないでください」

大失態。情けないことに、家路に就いた私の状態は、まさにそんな感じだった。

このところの疲れとか、ちょっとした不安とか、そんなものを忘れたくて酒を飲むうちに、私の方が飲まれてしまった。

「ごめんね、もう……ここで、大丈夫だから」

肩を貸して家の近くまで送ってくれた後輩に、ごめんねごめんねと、別れ際子どものように謝って、それからどうにか自力で歩き出した。


「……う、」

なんとかサンダルを脱いで、玄関に上がったところで、ついに力尽きる。
それでもこんなところは流石にマズイと、壁伝いに歩いて、やっとのことでソファの上に寝転んだ。

それからのことは、記憶がはっきりしない。



「――……?」

薄ぼんやりとした意識の中、息苦しさを感じて目を開ける。

やけに視界が揺れ動く。そう思いながらベッドの軋む音を聞いて、あれ、私いつの間にベッドに……と鈍る頭を働かせようとするも、

「あ、」

下半身に、そしてそこから全身に広がる妙な感覚のせいで、思考が飛んで思わず声が漏れる。

「やっ、なにっ…!?」

腹の内側を探られ穿たれる衝撃に混乱していると、ピタリと動きが止んだ。


「なんだ……もう起きちゃったのかァ……」

「……っ?」

声のする方へ必死に目を凝らすと、暗闇に紛れてオレンジ色が現れる。
同時に中から異物が引き抜かれ、その感覚でいよいよ己の身になにが起こっているのか、悟らざるをえなくなった。

「やっ……うそっ、やだ…!」

「そんな泣かないでよ……ボクの方も悲しくなっちゃうでしょ?」

そう言ってオレンジの下から伸びた赤い舌が、ぬるりと私の頬を這う。

「ねえ、ほら。ちゃんと“着けてる”しさ、安心して?」

「ひっ!」

突然顔に近付けられたそれに悲鳴をあげ、必死で頭を逸らす。

「やだっ、やめてっ!」

「うんうん、やめるよ、今日はこれでオシマイ」

「だって無理矢理したいわけじゃないんだから」と、身体を引いた男を見つめる。
聞き覚えのない声、見覚えのない姿形、なにもかもが私を混乱させる。

「あなたっ、だっ、誰…なの…っ?」

「ハハ、そんなこと言っちゃって。どうせ教えても、すぐ忘れちゃうんだから」

ようやく闇に目が慣れてきてはっきりと目に映った男の風貌は、渦巻いたオレンジの奇妙な仮面に、黒ずくめの服装だった。

「本当はもう、“はじめまして”じゃないのにね?」

「な……なん、なの、あなた……やだ…っ!放して…!」

「もうっ、ひっどいなァ、ボクってばあーんなに、君に尽くしてるのに」

「……っ?」

「甲斐甲斐しくお世話してさ…。今日だって君の服、全部ボクがたたんだんだから。味しなかった味噌汁だって、ちゃーんと美味しくなってたでしょ?」

その言葉で近頃の違和感が全部繋がった気がして、一気に怖気が止まらなくなる。
知らず知らず全身が寒気立ち、絞り出した声も震えを帯びた。

「……なんでっ、なんでこんな…っ」

「なんで?って、そりゃあもう、ボクたち、恋人同然でしょう?だから君が心配で」

「っ、なにを…言って…っ!」

「ウフッ、それどころかもう、夫婦みたいなもんかな?ボクらの仲だし…なんだか照れちゃうね!」

はしゃぐように笑う男からとにかく離れたくて、我武者羅に腕を突き出すも、簡単に捕らえられてしまう。

「……でも確かに、まだ、早かったかな」

急に低いトーンで、独り言のようにそう呟いて、男はオレンジの面をぐっとこちらへ近付けた。

仮面に空いた穴から覗く、赤い眼。
その色を捉えた瞬間、振り上げた手から、身体中から力が抜けていく。

「……あ……や……、」

「フフッ…そう焦らないでよ……また、逢いに来るからさ……」

目蓋も意識も閉じる前、最後にそっと、愛おしげな声だけが脳裏に響いた。

「名無子……」



***



「……ッ、」

バっとベッドから跳ね起きて、ズキリと痛む頭を抱える。

「やばい……また寝過ごした……!」

だるい身体を引き摺って洗面台へ向かおうとしたところで、やっと気が付く。

「……今日……遅番だったじゃん……」

はあ、と一息ついて、一杯水を飲んでから、ソファに腰を落ち着けた。
目を閉じるとまだ疲労や痛みが尾を引いて、まともに頭が回らない。


そのまましばらくゆっくりして、今日の予定を確認しながら立ち上がる。

「そうだ……少し部屋を片付けとかなきゃ……」

カーテンを開け部屋中を見渡したところで、動きを止めた。

「あれ…?」

最近随分と部屋を取っ散らかしていたような気がしてたけど、片付けるべきものは特に見当たらない。

「……? まあ、いっか……んー……」

そんなことより今はもう少し休みたい、そう訴えかける身体に勝てず、もう一度ベッドに横になった。


そうして二度寝してしまい、結局ドタバタと家を出ることになったのが、数時間後のこと。

「もうっ……ありえない…っ!」

きっちりと着ていた寝間着をむしるように脱ぎ捨て、ベッドに放る。

既視感のあるようなないような、そんなことを意識する暇もなく駆け足で玄関を飛び出す。


バタンッ!と私が勢いよく扉を閉め鍵をかけると、先程までの慌ただしさは嘘のように、沈黙だけが部屋に残った。



――ガチャリ。


「よいしょっと」


その沈黙がいつも通り、黒装束の仮面男によってきっかり五分後に破られたことは、当然私が知る由もない。




END

(2015/08/23)

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