すう、と小さく息を吸い込んで、唇に添えた管へそっと送り出してやると、ぽぽぽ、と微かな音をたてながら、吐息がシャボン玉となって次々と飛び出した。
その様子をじいっと見守っていたくりくりの目が、途端にきゃっきゃと色を変え輝き出す。「すごい! もういっかい!」せがまれてまたぽぽぽ、と出してやれば、少女は弾けるように笑いながら、青空へと昇っていくシャボン玉を追いかけ始めた。あちこちに散っていく透明な玉を必死で掴もうとする姿は、さながら踊っているようでもあった。
天高く馬肥ゆる秋。そんな言葉が脳裏を過るような、晴れ晴れとした秋の大空へ、シャボン玉がいくつも飛んでいく。空の青を映したシャボンが気まぐれに風に乗っては、きらきらと太陽の光を反射して揺れている。
目の前のあどけない少女は、飛び散るシャボンたちのその頭上に広がる空をも掴もうとするかのように、頼りなく小さな手のひらを精一杯、天へと泳がせた。
「ヒマちゃんも、ふーって、やってみる?」
「うんっ! やりたい!」
もう一本、新しい管を液につけてから、差し出された少女の手のひらへと渡す。さっき自分がやっていたように、そっと息を吹いてごらん、と促してやれば、管の先から勢いよく、大小のシャボン玉たちが飛び出した。「きゃあ!」それが面白くて仕方がないようで、すぐまたシャボン液をつけて、何度も何度も、飽きもせず少女はぽぽ、ぽぽ、とシャボン玉をつくりだした。
「おーいヒマワリ!」
「あっ、おにーちゃん!」
しばらくそれを繰り返していたら、どうやらお迎えの時間が来てしまったらしい。ひょっこり、黄色い頭の少年が現れた。帰ろう、と言われて見せた少女の名残惜しそうな顔が、どうにも放っておけないような庇護欲をかき立てる。
「ね、これ、あげるから、今度はお兄ちゃんと一緒に遊んだらどうかな?」
「……ほんと? いいのっ?」
「うん。それにお父さんとお母さんもね、きっと一緒にやったら楽しいよ」
淋しげにうなだれていた表情が一瞬でぱあっと明るくなって、「わあ!」と無邪気に喜ぶので、思わずこちらも笑みがこぼれる。
「あのね、きょうねっ! これからおとうさんのたんじょーかいなんだよ!」
「……、そっかあ……」
「だからおとーさんにもね、これ、ふーってしてあげよっ! おねえちゃん、ありがとう!」
それから、少しだけ背丈の高いお兄ちゃんに手を引かれ、二人並んで、上機嫌で去って行った。
私はその後ろ姿を見送りながら、残った自分の管をもう一度口に咥えて、ぽぽ、と息を吐き出した。高く高く、シャボン舞う澄み切った秋空を背景に、仲良く鼻歌を歌いながら歩いて行く兄妹の姿は、限りなく“平和”そのものなのだと思えた。
「……綺麗、だね」
里の中でも少し小高いこの場所からは、今日も穏やかに息づく人々の営みが見渡せる。第四次忍界大戦からの復興を経て、急激に変化を遂げてきたここ、木ノ葉の町並みも、やがては連綿と受け継がれてきた里の歴史の一部として、ゆるやかに溶けこんでいくのだと思うと不思議なものだ。
「もう、そんな時期かあ」
つい先程、少女が口にしていた言葉を思い返す。抜ける蒼穹を仰ぎ、もう一度、管からふうっと息を吐き出した。そのまま息の限りに吹き続けた大量のシャボン玉は、どこからともなく運ばれてきた枯れ色の木の葉とともに、ひらり、ふわり、翻って里の思い思いの場所へ散っていく。
「……あなたも、見たかったでしょう、こんな景色」
家々を飾る赤い屋根の上まで飛んで、ぱちり、と、シャボン玉たちは少しずつ消えていった。その中でどうしてか、いつまでも消えずに残ったひときわ大きなシャボンが、屋根を越え屋上を越え、ぐんぐんと里を一望できそうな高みまで昇っていく。
あのシャボン玉からは今、いったい、どんな景色が見えているのだろう。あなたがもし、あのシャボン玉だったなら。こんなふうに、秋風に乗れたなら。いったいなにが見えただろう。あなたはどんな思いで、見ていただろう。
一陣の風が吹き抜けた。肌寒い木枯らしに煽られて、ゆらり、最後のシャボン玉が、パンと弾けた。
いっそ私のこの思いも、空に弾けて、ぱっと消えてしまえればよかったのに。いつまでも、いつまでもいつまでも、何年経っても、消えないまま。残っている。今年もまた、心のなかで、あなたが消えてからの日々を、あなたのいない寂しさを、数えてしまう。
「もうあれから、十年経ったよ」
もうひと吹き。最後の最後にぽんと出た小さなシャボン玉も、私の小さな独り言も、風の音に紛れて、あっという間に空へと去っていく。
それでもやっぱり、きっと。よくも悪くも、あなたが残した意志は、面影は、ずっと褪せない。ずっと、消えない。消せないから。だからせめて、願わくは。これからの私たちをどうか、どこか遠い空から、見守っていてね。
「ねえ、オビトさん」
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うちはオビトの命日によせて
2015/10/09