06:覆った盆
“その日”は、刻一刻と近づいて来ていた。
「なあ、来週」
「うん?」
「追悼慰霊式の後…、少し、遅くなるかもしれない」
「ああ、うん」
第三次忍界大戦の終結から、早くも十年が経とうとしていた。
その節目となるこの年に、大々的な式典が行われることとなった。
私も参列する予定だったが、特に“当事者”でもあるオビトさんは、式の準備で何かと忙しそうにしていた。
加えて彼の仲間内でも個別に小規模な集まりがあるらしく、当日は二人で過ごす時間なんてとれないかもしれないな、と私は漠然と考えていた。
自然とオビトさんの同期の人や昔話に接する機会も多くなって、身勝手だとはわかっているけれど、疎外感が湧いてくるのを止められなかった。
でもそんなの今更、全部わかっていて彼の側にいるんだからと、自分に言い聞かせて耐え忍んだ。
――そんな強がり、いつか決壊してしまうんだって、わかりきっていたのに。
式の前日のことだった。
その日、オビトさんはいつも通り警務部隊の仕事に就いていた。
ちょうどお昼時だろうか、買い物に出たところで、たまたま私は、オビトさんの姿を見かけた。
彼もお昼休みだったのか、同僚と思しき人たちと一緒に、とあるお店の前に立っていた。
「婆さん、いちご大福、二つ」
それは忘れもしない、私たちが出会った、あのお店だった。
「はいよ。いつもありがとうね」
声をかけるなんてこともできず、ただなんとなく、遠くから見ていた。
「はあ、まったくオビト先輩も、健気っすよねえ」
「…というと?」
少し離れたところで待っている、二人の男の人の会話が聞こえてくる。
「ほら、あれ。いつも例のリンさんのお墓に供えてるんでしょう?」
「ふぅん、そうなのか」
「なんでもその人、イチゴが好きだったとかで…いっつもここで買ってくらしいですよ」
それから自分がどういう思いで、何を考え家まで帰ったかは、よく覚えていない。
ともかく気持ちを落ち着かせようとできるだけいつも通り過ごした後で、そういうときに限って運が悪く、オビトさんが早めに帰宅したことだけは覚えている。
「おかえりなさい」
「ああ、ただいま」
目を合わせるのが憚られて、後ろからそっと、声をかけた。
「今日、これから一度、家に帰るね」
「そうか」
「うん…明日の準備とかもあるから」
声や仕草が、ぎこちなくなっていないか、そればかりが気がかりだった。
「朝、ひとりでもちゃんと起きてよね」
「お前のほうこそな」
こんなやりとりがもう、これで、最後になってしまうかもしれないだなんて。
このときはまだ、私だって、思いもしなかったのに。
***
少し風のある、湿った匂いのする日だった。
戦没者追悼慰霊式は滞り無く進行し、無事、幕を下ろした。
(…、オビトさん……)
会場を後にする人々の人混みの中、無意識に彼の姿を探してしまう。
(……あ……)
人が疎らになってきたところで、ようやく彼の背中が見つかった。
オビトさんの周りには少し人が集まっていて、その中には見覚えのある人もいた。
(カカシさんに…、ガイさん……)
私だってよくその名前を知っている、木ノ葉が誇る優秀な忍たち。
オビトさんもその中のひとりなのだと、今更のように思い知らされる。
「オビトさん…」
ここからでは、オビトさんの表情は窺えない。
けれども、彼はポンポン、と肩を叩かれて、伏せていた顔を上げた。
そうして促されるようにして、オビトさんは奥の方へと歩みを進める。
会場の向こうにある墓地の、その中のあるお墓の前で、彼は立ち止まった。
私はそのまま、ぼうっとその光景を眺めていた。
風が吹いていた。
「リン……」
彼の抱えていた白い花束が、ざわめくように、揺れていた。
さっきまでは、見えなかったのに。
そのとき、オビトさんの横顔がはっきりと、見えた。
(泣いてる、の……)
はじめてだった。
彼のあんな顔を見たのは。
彼があんなふうに、泣き濡れた顔を、していたのは。
花を手向けた彼の動作も。
振り向きざまに頬に落ちた、雫の跡も。
彼を迎える人々の声も、仕草も、なにもかも、すべてがスローモーションで見えていた。
私は、ひとりきりで会場を後にした。
心の中には、何も浮かんでこなかった。ただ、無だった。無心で足を進め、家へと急いだ。
「……、」
途中、やっと気がついた。
本当は一度、自分の家へ戻らないといけなかったのに。
足はいつの間にか、勝手にオビトさんの家へ向かっていたんだって。
もうすっかり私は、彼の家へと“帰る”ことに慣れてしまっていたんだ。
「……っ、」
追われるように走った。
「はぁっ、っは、」
逃げ込むように、扉を開けて。
「……っ、ふ、ぅ、」
隠れるように滑り込んだ。
いつしか、タライをひっくり返したような大雨が、あたり一面に降り注いでいた。
雨音に紛れて、私は、子どもみたいに泣いていた。
苦しかった。せき止めようとしても、次々湧いてくるものを止められなかった。
涙と一緒に、彼との日々が胸から溢れて、流れ出て行ってしまうようだった。
――ねえ、そうして私は。あるひとつのことを決意したんだよ。オビトさん。
あなたが帰ってくるまでの間。色々考えたんだ。
あなたが「好きだ」と言ってくれたメニューをひとつひとつ、思い返しながら。
今日はきっと疲れて帰ってくるあなたを、精一杯のご馳走で迎えようって。
そうしてね、もう一度だけ、伝えてみようと思うの。「愛してる」って。
思えばいつも、どこかに行こうとか、恋人らしいことを持ちかけるのは私のほうだった。
はじめてふたりで、手を繋いだときも。はじめてこの家で、キスを交わしたときも。
唯一、あなたから誘ってくれたのといえば、はじめて肌を重ねたあのときだったよね。
「好きだ」も「愛してる」も、振り返ってみれば、はっきり言葉でくれたことはなかった。
だからもう一度だけ。
あなたがもし、「愛してる」って返してくれるのなら、私は――。
(2015/12/30)