05:掛け違えた思い
オビトさんとともに過ごす日々は、決して楽しいばかりじゃないのだと、嫌でもすぐに気付かされた。落胆。自己嫌悪。理想と現実。それらの狭間で揺れ動きながら、どうにか彼の側にいたいと、手探りでもがいていた。
「……オビトさん、」
「ん…?」
「今度から、無理して食べなくてもいいですよ」
そう、確か、付き合い始めて間も無く、一番最初のすれ違いがあった。
「…、何を……」
「聞いたんです。オビトさん、本当は普段、飲食しないんだって…本当ですか」
この里の中で、良くも悪くもオビトさんは有名だった。
だから、彼の側にいれば自然と、行く先々で彼の話題を振られた。
そんなとき、私の知らないオビトさんがあまりに多すぎて、そんな当たり前のことに私はいちいち思い悩んだ。
「……話せば、長くなるんだが」
「…じゃあ、本当なんですね」
ごめんなさい、俯きがちに告げれば、「何故お前が謝る」なんて、彼は心底困ったようにこちらを見つめる。
「私の自己満足でいろいろ、付き合わせてしまって」
「いや、確かにな…オレは飲み食いが必要ない。だが、味がわからないってわけじゃないんだ」
「……」
「だからうまいもんを食ったりとか、そういうのは純粋に好きだしよ」
だからな、とオビトさんは続ける。
「お前の手料理食べるのも、一緒にどっか食べに行くのも、オレが望んだことだから」
「……オビトさん」
「……悪かったな、名無子」
「…今度からは…そういうことは、遠慮せず教えてほしいです」
「ああ…そうする」
そうはいっても、私たちの関係は必ずしも順調にはいかなかった。
物理的にはすぐ側にいるはずなのに、相変わらずオビトさんはどうやっても私の届かない場所にいるみたいで。彼を求めるたびに、まるで雲を掴むような思いがしていた。
それでなくとも、オビトさんは本当に多忙で、気がつけば恋人らしい二人の時間なんてほとんどなかった。思えばまともにデートしたことなんて、指で数えるくらいしかなかったかもしれない。
だからあるとき私は、二人ぶんのサボテンに水をやりながら、こんなことを口にしてしまった。
「…私たちって、恋人、だよね」
「……は…?」
降り積もった不安、もあったかもしれない。それに加えてちょうどこの数日前、友人の恋愛相談に乗っていたとき、「名無子はどうだったの?」とあれこれ聞かれて、そういえば、と気付いてしまった。私たちはちゃんと、この関係を、言葉にして表現したことがないんじゃないか、って。
「……お前は、どう思う」
「…え、」
「もしお前が……この状況でオレたちが恋人じゃない、ってなら……オレは、お前の常識を疑うが」
言葉だけで捉えたら、ちょっとひどい物言いとも思えたかもしれない。
けれど振り返って見たオビトさんが、かすかに頬を染めながらふいっと目を逸らしたのが、なんだか可愛くて。
「素直じゃない、ですね」
くすくす、笑っていたら急に、後ろから抱きとめられた。
「そんなに不安なら、今すぐ、恋人らしいことのひとつでもしてやろうか」
そのちょっと拗ねたような声色がやっぱり可愛らしくて、一度やんわり腕を解いて、彼の胸に顔を埋めた。
「オビトさん」
「ん」
「好き」
昇ったり落ち込んだり。辛いときもあった。けれどやっぱり私は、彼が好きだったから。その気持ちだけで頑張れた。頑張ろうと、してこれた。
(…オビトさん、今日、遅いな……)
任務のせいで急に帰りが遅くなることなんてしょっちゅうあったけど、その日、オビトさんは非番のはずだった。連絡も無いまま時間だけが過ぎていき、私は心配を募らせていた。いよいよ探しに行こうかと思い始めた深夜頃、やっと彼は帰宅した。
「オビト、さ…、!」
「……う、」
「…っと!」
「あ、もしかしてあなた、名無子ちゃん?」
「は、はい」
「ごめんね、私たち、オビトくんの同期の者なんだけど…」
言ってしまえば彼はすっかり酔い潰れていた。
それを送ってきてくれたのが、オビトさんの同期だという男女二人組だった。
「どうもすみません、ありがとうございました」
「いやいや!じゃ、あとはよろしくね」
二人の手伝いもあってどうにかオビトさんを寝かしつけたところで、やっと一息つけた。
――さて、用意していたオビトさんの分の夕飯、どうしようか…と考えながら少し窓を開けると、心地よい夜風に混じって、何やら話し声が聞こえてきた。
“――もちょっと、意外だったかな……”
途切れ途切れに聞こえてくるそれは、どうやら先程の女の人と、男の人の声だった。
“確かになー、名無子ちゃん?――……と似てなかったよな、リンと”
その言葉を噛み締めながら、ガラガラ、と、私は窓を閉めた。
のはらリンさん。
その名前は嫌でも耳に入ってきた。何度も、何度も。
けれど私は直接オビトさんにそのことを問うたことはなかったし、逆にオビトさんもその話題を私に向けることはなかった。
だから必然だったのかもしれない。
いつしか私たちの間に、決定的な溝ができてしまったのは。
「あ、ほれほれ、名無子ちゃん!」
そういえば、オビトさんとこういう関係になってから、里のお爺さんやお婆さんによく声をかけられるようになった。
「ちょうどよかった!これ、持って行きなさいね」
「そんな、いつも悪いですよ!」
「いいのよいいのよ!よかったらオビトちゃんと一緒に、ね」
持たされたのは、いつだったかオビトさんが食べていた、ラーメン屋さんのタダ券。
「本当に、ありがとうございます」
「ふっふ、オビトちゃんをよろしくねぇ」
以前、オビトさんが言っていた。
たまたまここのラーメンを「美味しい」って言ったら、それを覚えてくれたお婆ちゃんが、よく券をくれるようになったんだって。
顔馴染みの店員さんも、食べに行くといつも喜んでくれるからって。
ね、だからあなたは、優しすぎるんだよ。
本当は食べなくたっていいラーメンを、そうやっていつまでも、食べに行ってる。みんなのために。
そんなあなただから、好き、だけど、辛い、っていうのは、私の我儘、なのかなあ。
「オビトさん……」
帰ってから、まだオビトさんのいない、ひとりきりの部屋で、たっぷりと二つの鉢植えに水をあげた。
「ねえ、私なんかが」
乾いた土はみるみるうちに潤っていく。けれど。
「あなたを任される資格なんて、」
同じく湿っているはずの私の心の中は、どうしてかいつまでも、冷たく乾き果てている気がした。
(2015/12/30)