03:転げ落ちた心



「お疲れさまでしたー!」

すっかり日の傾いた夕暮れ時。
ともすれば表に出そうになる疲れを隠しながら、私は店を後にした。


連日無理をして働いてきたツケが、じわじわと私を侵食してきていた。
強烈な西日を全身に浴びて歩いていると、不意に意識がクラっと揺れそうになる。

「はあ……」

家へと向かう足取りが徐々に鈍りはじめた頃。一度立ち止まって、道端のベンチへ腰掛けた。

「……、」

そっと目蓋を閉じてみる。
途端に肩の上にどっと荷物が落ちたような疲労感、両の足が宙に投げ出されるような脱力感が襲いかかり、深く息を吐く。

(どっかに寄って栄養剤買ってこうか……)

確か昨日開けたので最後だった――そんなことを考えつつ、手のひらで額を覆う。

明日は朝から病院へ顔を出す予定だ。
看護する側の私がこんなんじゃいけないってわかっている、わかっているけれど、そう思えば思うほど、肩の荷が増すようだった。


そうしてどれほど座り込んでいただろうか。

閉じた目蓋の上に注がれていた夕日が、ふと、途絶えた。

「よう」

それから耳に入ってきた声に、まさか、と自分を疑う。
けれどそんな疑いをよそにその声は続けた。

「どうした、こんなところで」

「……、オビト、さん?」

恐る恐る目蓋を開けると、確かに、逆光の中、彼はそこに立っていた。

「なんだか、お前と会うのは久しぶりだな」

「……そう、かもしれません」

ずっと意識しないように、してきたはずなのに。
その言葉を聞いたとき、私の方はきっと彼よりもずっと、何倍も、本当に「久しぶりだ」って感じていたはずだ。

実際、それほど大した時間でもなかったのに。それくらい、この人に会いたかったと、込み上げる気持ちが抑えきれない。

「随分、疲れた顔をしている」

「はは……バレちゃいました?」

「……聞いたぞ。最近、病院で手伝いをしてるんだってな」

「よく、ご存知ですね」

「まあな……」

そこで一旦、会話は途切れる。

私は、少し遠くへ目を向けたオビトさんの、茜色に染まった横顔をぼうっと見つめた。

彼の顔に刻まれた傷痕の、その一つひとつが深い陰影に縁取られていて、とても、きれいだと思った。

「家まで送ってってやるよ」

さわり、微風が頬を撫で、オビトさんの眼帯の、結び目の先を揺らした。

「……悪いですよ」

「といってもな、そんな顔でいられたら、放っておけないだろ」

彼のあたたかな左手が私の右手を包んで、急に鼓動が騒ぎ出す。

「でも、」

「いいから、ほら」

困ったな、やっぱり、“私はこの人を好きなんだ”って思い知らされて、胸が痛む。

「……本当は、里の中では極力使わないようにしてるんだが…今回は、内緒でな」

オビトさんはイタズラっぽい笑みを浮かべ、手袋をした右手でトントンと、自分の右眼を指した。

それに従い彼の真っ赤な目を覗き込むと、巴模様が輪を描くように広がっていく。遅れて、すべてがぐにゃりと歪むような、奇妙な感覚に呑まれた。



それから、気が付けば二人で私の家の前に立っていて。
ぽかん、と驚く私に彼は、「オレの写輪眼の能力だ」と笑った。

「なんだか、すみません」

玄関の鍵を開け、どうもありがとうございます、と頭を下げようとしたところで、クラリ、足元がふらつく。

「っと、大丈夫……じゃあ、ないよな」

家に着いてつい安心してしまったのか、そんな自分が情けなくて、申し訳なくなる。

「大丈夫です、ありがとうございます」と離そうとした手を、オビトさんはなおも掴んだ。

「ちょっと、邪魔するぞ」

そのまま彼に支えられ部屋の中へ進み、入ってすぐのソファに降ろされる。

「……お前、一人暮らしか」

こく、と頷くと、オビトさんはどうしてかしばらく黙り込んだ。
その微妙な空気を打ち払いたくて口をついて出たのは、我ながら変な発言で。

「でも最近、同居人がいます」

あれです、と目で示すと、訝しげに眉をひそめたオビトさんが、ややあって、合点がいったように呟く。

「サボテンか……」

なんでこんなことを言ったのか自分でもよくわからない、けど彼は窓際のその鉢植えを見て、柔らかく口角を上げた。

その表情にどうしようもなく惹きつけられるとともに、切なさで胸がいっぱいになって、目頭がじんと熱くなる。

「オビトさんは、優しいですね」

不意をつかれたというような瞳が、こちらを向いた。

「優しすぎて、……ひどいです」

これ以上はもう、止まらなくなる気がして、ぐっと口を噤んだ。
視線を逸らしていると、ハハ、とオビトさんの自嘲混じりな笑い声がした。

「確かに、よく言われる」

唇を噛み、自分でもなんだかわからないものをとにかくぐっと耐えていると、彼は続ける。

「……正直な、心配だったんだ」

「……」

「近頃、お前、全然見なかったから」

その乾いた声が真っ直ぐに、胸に突き刺さる気がした。

「なんだろな。毎日みたいに会ってたから、今日はどうしたのかって」

気になっちまって、と告げる彼の声を、思わず溢れた言葉が、遮る。

「――ずるいですよ、そういうのは」

こちらを覗き込むオビトさんを直視できなくて、面を伏せる。

「……自惚れそうになります」

ぼそり、至極消え入りそうに呟いて。後悔が襲う。ついに、言ってしまった。

「……ああ」

どういう意図で彼が頷いたのか、捉えきれなくて、俯いていると、大きな手のひらがポンと頭を撫でた。

「明日からは、オレが会いに来るから」

理解が追いつかない。信じられないと、黙ったまま目を見開き聞いていた。

「それじゃ、悪いがそろそろ、行かなきゃな」

立ち上がった彼の声が、「しっかり休めよ」、頭上から降り注ぐ。


「オっビト、さ、」

やっと顔を上げ離れかけた背中を見つめると、振り向きざま、肩越しに彼は手を振った。

「またな、名無子」


“しっかり休め”なんて言ったくせに。
あんなことを言って、あんな笑みを残して、去って行くから。

その夜、私はしっかり休むどころか、すっかり寝付けなくなってしまったのだった。



(2015/09/16)


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