01:運命だった出逢い


きっかけは確かに、偶然だったのかもしれない。
それでも、それから起こった何もかもが、あなたと過ごした時間の全てが、“運命”だったんだって、信じてた。信じたかったの。

でも今思えば、そうはしゃいでいたのは、私だけだったんだね。
あなたにとってはきっと、積み重ねてきた日々の、ほんの一部にしか過ぎなかったんだ。

それでもやっぱり、私にとって、あの日は“運命の日”だった。あなたは“運命の人”だったの。


今振り返ってみると素直に言える、あの日あのとき、多分私ね、あなたに一目惚れしたの。



***



「お、終わったあぁ……!」

数時間に渡りにらめっこしていた帳簿を放り出し、ウンと背伸びをした。

「お、名無子ちゃん、お疲れ」

奥の戸棚の影から店長が顔を出し、“今日はこれで上がっていいよ”と手を振る。
すぐに私は「やったあ!」と跳ね起きて、疲れなんて吹っ飛んだようにきびきびと帰り支度を始めた。

「ああ、そういえば。名無子ちゃんが欲しいって言ってたアレ」

「ん? ああ、」

「結局売れ残っちゃったから、持ってっていいよ。裏口の前に置いてあるから」

「ほんとですか!? やった、じゃあっ遠慮無く!店長ありがとうっ!」


そのまま小躍りするように、バイト先の小さな雑貨屋を後にした。

「へへっ、帰ったら早速水をあげなきゃね〜」

抱えた袋の中からは、トゲトゲのついた緑色が顔を出している。

私がこいつに目をつけたのはもう結構前のことだ。
うちの雑貨屋は店長や従業員のみんなが気に入った品をかなり雑多に取り扱っていて、こいつもその中のひとつとして店にやって来た。
何日も何日も店先に残っている姿を見ているうちに愛着でも湧いてしまったのか、私は中々こいつが気に入っていた。
だから、恒例の「従業員向け売れ残り商品叩き売り」に出される日が来たら、喜んで私が引き取りたいと名乗りを上げていたのだ。


「ふんふ〜ん たっだいまー!」

自分以外誰もいない一人暮らしの部屋にも、こんな日には、ここぞとばかりに声を上げて帰宅する。しんとした家の中が、乾いた西日に包まれていた。

「よしよしさてさて…… あっ」

荷物を下ろし、ふと机の上のチラシを見たところで、大事なことを思い出す。

「やばい……やばいっ!」



さっきまで浮かれ放題だった自分を、詰ってやりたい気分だった。

「やばいやばい…っ!ああっ、お願い間に合って…っ!!」

家を飛び出し、全速力で通りを駆け抜ける。こんなときは、「体術は苦手だから」なんて言わず、もっとちゃんと足腰を鍛えておけばよかった……なんて日頃の自分を後悔する。


「はあっ はあっ」

見慣れた臙脂色の幟が見えてきた。

あの角を曲がれば、目的のお店だ。疲れかけていた脚を奮い立たせる。

そして、思いっ切り地面を蹴って、茂った生け垣を右に曲がったときだった。


「あたっ!」

「っ!」

よろけて、尻もちをつきそうになったのを、どうにか堪える。

「ご、ごめんなさ…っ」

どうやら正面からぶつかってしまったらしい、男の人に謝りながら顔を上げると、

「いや……、」

(あ……こ、この人……!)

きつく眉間に皺を寄せ、こちらを見下ろす隻眼。眼帯に覆われた傷痕のはしる顔に、見覚えがあった。


(う、うちはの人だ……!)

どっと冷や汗が吹き出る。

“うちは”といえば、この里で知らぬ人などいない、名の知れた一族だ。
里の警務を一手に引き受けていることもそうだが、どことなく漂うエリート集団っぽい雰囲気とか、他を寄せ付けない孤高でクールなイメージのせいか、私はどうもこの“うちは”が苦手だった。

加えて、この人。
その険しい顔つきや私よりはるかに高い背丈も相まって、一層の威圧感を感じさせる。

「すみませんっ!ほんっとうに、すみませんでしたっ!」

焦って勢いよく、ぺこぺこと何度も頭を下げた。
「気にするな、大丈夫だ」と男の人が言っている気がしたけど、怖気づいてしまって顔を上げられない。


「ありゃりゃあ、名無子ちゃんかねぇ」

数瞬ほど自分のつま先と地面を視界に捉えた後で、のほほんとした声が聞こえてきた。

「お、おばあちゃん……」

店先に立っていた顔馴染みのおばあちゃんが、ちょうど臙脂色の幟を手にこちらを見ていた。

「あ…それ……、も、もしかしてもう……売り切れ…?」

「ああ、ごめんねえ。ちょうど今さっき、完売しちゃったところで」

「あ……ああっ…」

「ごめんなさいねぇ。名無子ちゃん、せっかく楽しみにしてくれてたのに……」

眉尻を下げ「ごめんね」と繰り返すおばあちゃんを、責められるわけもなく。
溜まっていた疲労がどっと押し寄せた気がして、私はがっくりとうなだれた。

「私の……私の練乳いちご大福ちゃんがあぁ……」


毎年この時期だけ、期間限定、一日数十個限定で売り出されるこのお店の「練乳いちご大福」は、私の大好物だった。
今年もそれを楽しみにしていたのだが、近頃中々忙しく、結局買いそびれてしまっていた。

頑張った自分へのご褒美に、なんて思いながら、今度こそ絶対に買いに行こうと決めていた、今日がその、今年の販売最終日だったのに。


「……おい」

「……あ、は、はいっ!」

思わず涙目になっていたところへ、さっきのぶつかってしまった男の人が声をかけてきた。
一瞬その存在を忘れかけていたけれど、改めてそのきつい眼差しに晒され、竦み上がってしまう。

「お前……ここのいちご大福を買いに来たのか?」

「あ…、は、い、」

「………ほら」

「……?」

徐ろに差し出された小さな包みに、疑問符が浮かぶ。

「いちご大福。オレがさっき買った…最後の一個だ」

「……え、」

「欲しかったんだろう? お前にやるよ」

「え……そっ、そんなっ!悪いですからっ!」

「いや、いいんだ。元々オレが食べるもんじゃなかったしな」

「で、でもっ、」

わたわたしているうちに、手の中に包みが押し付けられる。

次の瞬間、自分でも余程混乱したのか、我ながらよく分からない行動に出てしまった。

「あじゃっ、せ、せめてっ、半分こでどうですか!?」

包みから丸くて白い大福を取り出し、指に力を込めてみるものの。
当然ながら、あのもちもちとした大福を綺麗に二つに割ることなんて、できるはずもなく。

「あやっ、あ、っ!」

「………くっ、」

最早自分が何を口走っているのかさえ分からない、頭が真っ白になりかけたところへ、微かな笑い声が落ちた。


笑っていた。

目の前のあの、怖そうな男の人が、ちょっと困ったような、呆れたような顔で、笑っていた。

「気にしないでくれ。お前が食ってくれた方が、きっと大福も喜ぶだろ」


そう言って去って行く後ろ姿を、形の崩れた大福を手に、ただ呆然と見つめていた。

彼の背中に飾られていた団扇の模様が、やけに目に焼き付いた。



(2015/07/18)


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