※13話のその後のお話、になります虹の向こうで
「――先輩、オビト先輩!」
「……ん、ああ、すまん」
ハア、と深く溜息を吐く後輩の姿を見るのは、本日何度目のことだったか。
「お気持ちも分かりますけどね、今日限りにして下さいよ」
「ああ……悪いな、シスイ」
自分でも必死で気を引き締めようとはしてみるのだが、いかんせん気が付けば上の空になりかけてしまう。
「全く、これだから困りますね、色男は」
「やめてくれ、気色悪い」
戯けた調子でチクリと言ってのけたこの後輩は、オレの苦々しい顔を見て少しは溜飲が下がったらしい。
「それじゃあ先輩、明日の会合、遅刻しないように頼みますよ!」
別れ際、何度も念押しされながら帰路に就く。
まだ明るい、日没前の空を仰げば、先程まで降り続いていた雨もぱらつく程度になっていて、雲の切れ間からは薄陽が顔を出していた。
――名無子。
砂隠れの里へ任務に赴いていた名無子が、木ノ葉へ帰還して、今日で七日が経とうとしていた。
あれからオレたちは、離れていた隙間を埋めるかのように、自然と互いを求め合っていた。
「オビトさん」
あの日の晩、名無子は何度も何度も、そうやってオレの名を呼び、確かめるように指先を絡めてきた。
オレもまた、名無子に応えるように、傍にある温もりを必死でかき抱いた。
「……そういえば……」
夜も更けた頃、うとうとと舟を漕いでいた名無子が、出し抜けに口にした。
「これで……二度目ですね、オビトさん」
「…二度目…?」
「うん……オビトさんの……泣き顔、見たの」
彼女の頬にかかった髪を除けてやれば、ふにゃ、と崩れかけた表情で、こちらを見上げる。
「みたんですよ……わたし、あの日……」
「ん…?」
「追悼慰霊の…式の、日……、」
まさか、と思ってまじまじと名無子を見つめる。
「もしかして……、見てたのか?」
「はい……あの、お墓の、前で」
さっきまで微睡んでいた双つの瞳が、はっきりと意思を持ってオレを見つめ返していた。
――さて、どうしたものか。数瞬ほど迷って、ようやく、ぽつぽつと口を開く。
「あー、あのな、情けないところ、見せたな」
「……ううん……ただ、すこし、びっくり、しました」
「ああ……」
「はじめて、見たから…オビトさんの、泣き顔」
きゅっと肩をすくめて、名無子は目を伏せる。
「でもな……オレも昔は、実は、泣き虫だってよくからかわれてたんだよ」
うそ、と呟く名無子に、本当だって、とオレは苦笑いする。
「そりゃあな…オレだってもう、ガキじゃあるまいし、それに、」
それに、込み上げる気恥ずかしさを呑み込んで、言葉を続ける。
「それによ、お前の前で、そんなカッコ悪ィところ、見せらんねえって、思ってたんだけどよ……」
「……、」
「あの日は……、あの日は、な」
思い出すだけで、様々な思いが胸に溢れて、綯い交ぜになって、声を詰まらせる。
「……大切なひと、なんですもんね」
オレの代わりにとでも言うかのように、名無子が口にしたその言葉。それに軽々しく頷いてしまうほど、オレも愚かではなかった。
だが、名無子は、握り締めたオレの手のひらを指でなぞって、続きを促す。
「…確かに…確かにな、オレは、いつもいつも…リンの墓の前に行って、リンの、昔の面影を求めてた」
だがな、と力強く手を握り返せば、驚いたように名無子は目を丸める。
「あの日は違ったんだ…不思議と…あの日は、オレは、はじめて、未来のことを話せたんだ」
――そうだった。
それまでオレは、過去のことを振り返ってばかりいて、いつまでも昔の幻影に囚われていた。
リンの墓前に立っても、思い浮かぶのは楽しかった思い出たちと、迫り来る後悔の影ばかりだった。
しかし、あの日は違った。墓の前に立った時、自然と、オレは。“これから”の話をしていた。
「これからな……名無子……お前や、カカシ、先生、仲間たちと……一緒に、頑張るから……、ってな」
心の中で、リンに、そう語りかけたとき。
何故だろう。そんなわけなどない、はずなのに。声が聞こえた、気がしたんだ。
“がんばってね、オビト”
リンは、そう言って、微笑っていた。
……今までは。墓前で何度語りかけても、リンは、ずっと昔のまま。記憶にあるままの姿で、ただ、佇んでいるだけだった。
なのに、あのとき、確かに彼女は。舞い上がる風に紛れて、オレに、声を届けてくれた。そんな気がしたんだ。
「ま、その直後にお前に逃げられちまったんで、全然カッコつかねェんだけどよ」
ハハ、と笑い飛ばして全て話し終えるより先に、名無子が、オレの胸に向かってぐりぐりと顔を埋めてきた。
「……おい、なんだ、名無子」
「……オビトさん、私、やっぱり」
ぎゅうっとしがみつくように背を丸めて、ぼそりと彼女は呟いた。
「オビトさんのそういうところ、好き、だけど嫌い、です」
「なんだよ、それ」
言い逃げするように身体を反転させ、背を向けた名無子に、今度はオレが追いすがる。
「なあ……、オレは名無子が好きなんだがな」
「っ、やめ、て、それ、くすぐったい」
耳元で囁いてやれば、ほんのり肌を染めながら身を捩らせる。
一通りじゃれ合ったところで、ふう、と一息ついて、名無子が天井を見上げながら、静かに切り出した。
「……本当は」
本当は、と語るその声色は、ひどく真剣で、しかしどこか心細そうで、オレはじっと耳を傾けた。
「ずるいな、って思ったことも、あったんですよ」
だってね、と名無子は、手の甲で自分の額を覆って続ける。
「だって、もういなくなってしまった人になんて、かなうわけ、ないじゃないですか」
「――、」
名無子が言わんとしていることを理解して、はっと、息を呑んだ。
「……名無子……オレは……、」
「もう、やめてくださいよ、そんな顔は。いいんですよ、オビトさん」
いいんです、とまるで己に言い聞かせるような名無子に、どうしてか、オレは。
「……よくなんて、ないだろうが」
「……オビト、さん?」
怒りにも似たような、理不尽な感情が押し寄せて、思わず、名無子に覆いかぶさっていた。
「もう、やめよう、そういうのは」
「……」
「名無子が……お前が、我慢することなんてないんだ。だから、正直に、話してほしい」
そのときオレは、自分の中で、ひどく身勝手な、相反する感情がせめぎ合っているのに気づいてしまった。
ひとつは、名無子に、リンのことにまで触れてほしくないという感情。
そしてもうひとつは、それとは正反対に、むしろ正面からぶつかってきてほしいという、我儘な、感情。
オレはもし仮に、例えばだが、リンか名無子かを選べと、どちらかをとそう、迫られたなら、どうなってしまうのだろう。考えたくもない。想像するだけでも忌々しい、なのに。
きっと名無子も、それを分かっているからこそ、オレにその問いを突き付けない。だからこそオレは逆に、そんな名無子にもどかしくなる。いっそ思い切り、問い詰めてくれたなら。かえって楽だったかもしれないのに。理不尽極まりない考えが、脳裏を巡る。
だが名無子は、そんな悶々としたオレの思いを受け止めるように、数回目を瞬いてから、穏やかな顔で笑った。
「ありがとう、オビトさん……でもね、本当に、いいの、私」
ゆるやかな手つきで、名無子はオレの輪郭をなぞった。
「だってね、やっぱり私、そういうところもひっくるめて、全部、あなたが好きだから」
それにね、と少しばかりはにかみながら、名無子は言う。
「どうせどうやっても過去は変えられないんだから……だったらせめて、未来は。これから先は、自分でよりよくしていきたい、って思ってね」
だから私も、頑張るから、と、彼女は言い切った。
「オビトさんの隣に立っても恥ずかしくないように…堂々と、胸を張っていられるように、頑張るから」
「……、名無子……」
本当は、今でもオレにとっては、彼女は恥ずかしくもなんともない、大切な、かけがえのない存在に違いないのだが。
それを紡ごうとした唇は、ふわりと触れ合った口付けに塞がれてしまった。
「……まあ、それに……当面の目標は……――」
そういえば最後に、名無子がなにやら独り言を呟いていたのだが、よく聞き取れなかった。
一応その場で聞き返してはみたものの、曖昧に躱され、結局分からず終いだった。
***
そんなこんなでふらふらと歩いて行くうちに、いつの間にか我が家が遠くに見えてくる。
ちょうど家の前の通りに入ったところで、ぽつんと見慣れた後ろ姿が立っているのを見つけた。
「……名無子?」
声をかければ、彼女が振り返って「オビトさん!」と破顔する。
「おかえりなさい!」
「ああ、ただいま。……どうしたんだ、家の前で」
「ふふっ、ほら、見て見て!」
はしゃぐ名無子が指し示す空には、それはそれは、美しい。
「――虹……、か……」
透き通った七色の架け橋が、空の彼方に伸びていた。
「綺麗だね……」
そう言った名無子の横顔に一瞬、「お前の方が綺麗だよ」なんて陳腐な言葉が浮かびかけたが、首を振ってかき消した。
「……あ、オビトさん、お夕飯までまだ少し時間かかりますけど、どうしますか?」
「そうだな…少し、仮眠をとるかな」
「わかりました。今日、夜勤ですもんね。ゆっくりしててください」
「ああ」
二人で玄関へ足を進めながら、もう一度だけ立ち止まり、振り返って消えかけの虹を眺める。
「……オビトさん?」
小首を傾げた名無子に目を移して、「いや、」と今度こそ、踵を返した。
「……ありがとうな、名無子」
ぼそりと呟いたはずが、名無子にはしっかり聞こえていたらしく、「なんですか、急に」と訝しげな顔をされる。
「なんでもない」
「ええ、そんなあ」と、ふざけて食い下がってくる名無子に、オレも負けじと切り返す。
「そういえばまだ聞いていなかったな」
「え?」
「なんつったかな、お前の、当面の目標、とかナントカ……」
「あー!それはっ、もう、いいからっ!」
「フッ……そんな風に誤魔化されると、ますます気になるが――」
***
――一方、その頃。
「……ヘッ、クション!」
「カカシ先輩、風邪ですか?あっ、ちり紙使います?」
「いや……大丈夫。悪いね、ヤマト」
「いえいえ」
「(……多分、風邪では……ないと思うんだけど、ね……)」
END
(2016/06/04)