13:手のひらに花、花に雫
そして君には



朝。
一晩中降りしきった雨が嘘だったかのように、外には晴れ渡る空が広がっていた。


「おはようございます」

一体何日ぶりだろう。複雑な気持ちで見慣れた扉をくぐれば、久しぶりの店の面々が笑顔で迎えてくれた。

「名無子!おかえり!」

「おはよう名無子ちゃん!元気そうでよかった」

「ふふ、ありがとうございます。今日からまた、よろしくお願いしますね!」

しばらくぶりの仕事に不安もあったけど、その日は幸か不幸か、訪れる客足も疎らで、ゆったりとした時が流れていた。任務先で見聞きしたことや砂隠れのこと、店のみんなや常連さんにも、訊かれるままに様々なことを話した。


「そういえば」

「ん?」

それから、穏やかな日差しの降り注ぐ昼下がり。
新しく入荷したいくつかの鉢植えを、店先に並べていたときだった。

「あのときのさ、名無子ちゃんが持ってったサボテン、どんな感じ?」

「ああ……」

思わず言い淀んだ。だって今、あのサボテンは、もう、私の元にはないのだ。
実は昨日、任務から帰還して、自分の家へ帰ってからはじめて、その事実に気が付いた。

「……実は、あの後、人にあげちゃったんですよ」

「あれ、そうなの」

嘘ではないが、真実でもない。苦笑いしながら口にして、微かに胸が痛む。
でも、多分、あの人の家へ置いてきてしまったから。今後取りに行くようなことも、ないのだろう。

そう思いながらまた、軽く頭を振って、上の空になりそうな意識を引き戻す。
まだ疲れもとれてないし、本調子ではないけど、それでも、仕事を入れておいてよかったと思った。
でなければ、とりとめもなくまた、物思いに耽ってしまいそうだった。



「名無子ちゃん、今日はもうあがっていいよ」

辺りが茜に染まる、夕暮れ時。
久々の勤務初日ということで、私は早めに仕事をあがらせてもらえることになった。

「それじゃあ、お疲れさまでした」

帰り支度を終えて、店の裏口から出る。そのまま表に回っていくと、なにやら「う〜ん」と、難しそうな声が聞こえてきた。


「困ったわねえ……」

店の前で、じっと花の鉢植えを品定めしている女の人がいた。
どこかで見たことのあるような、腰あたりまで伸びた真っ赤な髪が、ぱっと目を引いた。

「……あの、どうかなさいましたか」

「あっ!……いやね、この花、とっても綺麗だったから、買っていこうかと思ったのだけど……あいにく今、手が塞がっちゃってって」

そう言って女の人は、買い物袋を提げた両手を軽く挙げてみせた。

「それなら、よかったら荷物、私が持って行きますよ」

「えっ、いいの?助かるわ!」

「ええ、私、この店の者なので」

女の人は「ありがとう」とにっこり笑って、小さな鉢植えをひとつ抱え、会計に向かった。


「それじゃあこれ、近くの公園で連れと待ち合わせてるから、そこまでお願いできるかしら?」

「はい、大丈夫ですよ」

「ふふっ、ありがとう。お願いするわね」


二人で店を離れ、すっかりオレンジ色に包まれた通りを抜けていく。
本当に、昨日のあの雨なんて忘れてしまいそうな、綺麗な夕焼け空だった。

彼女の斜め後ろ。一歩ほど下がって歩いていると、その燃えるような赤髪に夕日が差して、一層眩く映えて見える。ときにそよ風に舞う艶やかな髪に、つい目を奪われた。

「実はね、その花、大切な人に贈ろうと思って」

「そうなんですね…お花、喜んでもらえるといいですね」

道すがら、そんな他愛もない会話を交わす。


「……ねえ。あなたには、いるのかしら?そんな、大切な人」

不意に、立ち止まって。投げかけられた問いに、戸惑った。

「……そう、ですね……。私にも、いました。大切な、人が」

「いました、ってことは、過去形なの?」

「そう、なりますかね……」

「あらら。失恋?」

「いえ、失恋……というわけでもないんですが、そうと言われればそう、なのかもしれません」

どう言ったらいいものか。自分でも分からずに、曖昧に笑みを浮かべる。

「私がほとんど一方的に、別れを告げたばかりなので」

女の人は、どこか見守るような、優しげな眼差しをしていて、自然と促されるままに話してしまった。

「私にとっては、とても大切な人でした。とても…それこそ、今でも。でも、相手からは、そうではなかったのかもと、思ってしまって」

辛くなりました、と、ぽろぽろ、気持ちが溢れる。

「彼にはきっと、私より大事なものがたくさんあって……それを受け止められない、自分が情けなくて。申し訳なくて、嫌になったんです」

自嘲しながら目を落とせば、振り返った彼女が、じっとこちらを見つめる。

「……あなたって、優しいのね」

「え…?」

思わぬ言葉に顔を上げれば、目を細めて彼女は言う。

「だって、私なんかね!好きになったら一直線!振り向いてもらうためなら、なりふりなんて構ってられない!そんな感じだもの」

拳を突き上げるようにして、勢い良くまくし立てられる。


「でもあなたは、ちゃんと相手のことを考えてるから。だからこそ、辛くなる……優しいのね」

「そんな……そんなこと、ないです。ただ、わがままなだけですよ」

「わがまま?そんな、自分だって愛されたいと願うのは、ごく当たり前のことじゃない」

ぽん、と肩を押されて、よろけるように、それでもまた少しずつ、歩き出す。

「相手を好きになればなるほど……自分も好かれたいと願う。大切にされたいと思う。そんなの、当然のことじゃない」

彼女がそう言ってくれると、なぜだか、本当に自分でもそう思えるような気がして。

「きっと相手だって。本当はあなたのこと、大切に思ってくれてる。そうに違いないわ」

たとえ気休めだとしても、気持ちが軽くなるような、どこか救われるような、不思議な感覚だった。


「それにね、そんなに難しく考えなくてもいいと思うわ」

「…?」

「だってね、アイツときたら、多分、あなたが思っているほど、立派な人間じゃないのよ」

意味が飲み込めず、私は僅かに眉を寄せた。そして疑問が口をついて出るより先に、向かい側から“何か”が、物凄い勢いで走ってきた。

「かーちゃんかーちゃんっ!」

ボン!女の人の元に、黄色いツンツン頭の男の子が突っ込んでくる。

「こらっ、ナルト!そんなに走ったら危ないでしょ!」

「だってよ、だってよ、オビトのヤツが――」

――その三文字が耳に入った瞬間。

「おいっ、ナルト、お前――!」

続いて駆け寄ってきたその人に、一瞬、時が止まった。


「――オビト、さん」

「――、名無子」


声を上げたのは、ふたり同時で。

互いに目を見開いていたら、いつの間にか私の手の中の荷物を、女の人がさらっていってしまう。
それから、彼女は手荷物を男の子に預けて、オビトさんの背中をバシッと強く叩いた。

「ほら、しっかりしなさいってばね!オビト!」

「っ、」

「……あなたも」

今度は私が、正面から真っ直ぐ見据えられて。

「わかる?オビトってばね、あなたに一度は振られたと思って、落ち込んで、もうどう声かけていいかもわからない、そんなことでぐじぐじいじけて悩んでるような、結構情けない男なんだから」

だから、と続けて、彼女はふっと笑った。

「だからあなたが、支えてあげてちょうだい」


呆気にとられているうちに、女の人と男の子は、まるで嵐のように去って行って。
その場には、私とオビトさん、二人だけが残される。


……しばらくの沈黙の後。
これが最後の機会かもしれないと、言いあぐねていたあのことを、思い切って私は、切り出してみた。

「あの、オビトさん。……サボテン」

それだけで、私の言いたいことは、ほとんど通じたらしかった。彼は静かに頷いて、こう言った。

「ああ……。まだ二つとも、家にある」

「見ていくか?」と問われ、無言で小さく頷く。

それから、不思議なもので。私たちは何を言うでもなく、二人で、彼の家へと向かっていた。


斜陽に照らされ、長く長く伸びたオビトさんの影が、私の影と重なって。
見上げた彼の横顔が、いつかの帰り道、夕日の中の光景と重なった。
相変わらず、何度見ても。オビトさんは、悔しいくらい、かっこよかった。


じりじりと、歩みを進めて、影の位置も変わった頃。
ようやく、しばらくぶりの、彼の家が見えてくる。

――ああ、結局、また来てしまったんだと。そう思う一方で、今度こそこれが、最後になるかもしれない。ひとり覚悟を決めた。


少し息を詰めて、ついに敷居を跨ごうとしたところで、しかし、オビトさんは、ぱたりと立ち止まった。

「なあ、名無子」

こちらを振り向くこともなく、彼は、背中で呼びかける。

「……狡いとは思わないか」

急に、思いもかけないことを言われ、思わず困惑の眼差しで彼を見つめる。

「昨日は、お前ばっかり、言いたいこと言って帰りやがって……」

けれども責めるような言葉とは裏腹に、どこか淋しげな、掠れたオビトさんの声が落ちて、ひどく切なく、胸に響く。

「今度は少しぐらい、オレの話を聞いてくれても、いいんじゃないか」


ざり、と砂利を踏みながら。裏手の庭へと向かっていく、彼の背中を追いかける。

「オレは……オレは、口下手だから。上手く言えないかもしれない。そのせいでこれまでも、お前を困らせてきたかもしれない」

彼の語る一言一句を、聞き逃さないよう、耳を傾ける。

「ああ、そうだ……さっき、クシナさんにも言われただろ?オレは、多分、お前が思っているほど、大層な男なんかじゃないんだ」

それで、と何度か言葉を選んでから、彼は続ける。

「あー、やっぱ、上手く言えねェけどよ。それで、お前が帰ってきたら、なんて言おうかって、ずっと……ずっと、考えてたんだが。気の利いたことも言えなくて。ホント、情けないよな。――だから、」

いつもの、あの、見慣れた庭の、縁側まで辿り着いて。オビトさんは、足を止める。
彼が目を向けた先へ、私も目をやって、――息を、呑んだ。


「……、うそ……」


――懐かしい。毎日毎日、水をやって、話しかけていた、サボテンたち。

寄り添うように並んだ、二つの小さな鉢植えに、小さな、小さな花が、咲いていた。


「実は、昨日から……二つとも、同時に咲いてたんだ」

オビトさんは身を屈め、すっとサボテンへと手を伸ばす。
そして周りを覆うトゲに躊躇うこともなく、その大きな手のひらを寄せて、慈しむように花びらを撫でた。

「だって……そんな……オビトさん……」

「……オレは、女々しい奴だから。だから、お前のことを忘れられなくて。言葉は無理でも、せめてコイツは、と思ってな」

立ち上がって、一歩、彼はこちらに近づく。

「名無子、前に言ってただろう?いつかサボテンの花、見たいんだって」

「……っ、」


――そんな、そんなことのために。オビトさんは、私がいない間、ずっと。
毎日、この子たちを、世話してくれたのだろうか。まさか、だって。


「……なあ、名無子、昨日言ったよな。今はもう、オレと居ても、苦しくなるだけだって」

困ったように。辛そうな表情で、彼は眉を寄せて。また一歩、こちらへ歩み寄る。

「オレはずっと、それが怖かった……。オレがお前の、重荷になるんじゃないかと。お前をいつか、傷付けることになって……そしてオレ自身も傷付いて、そうしていつか、何もかもまた、失ってしまうんじゃないかと。恐れてたんだ……」

だがな、と言って、オビトさんは、私の手をとって、まるで放さないとばかりに強く、握り締めた。

「これはただの、オレの我儘かもしれない。それでも、たとえ互いに、また、傷付け合うことになったとしても。オレは、また、お前を抱き締めたい。お前の、傍にいたい」

彼の瞳の、揺らぐ深い色を捉えた瞬間。――私は、抱き締められていた。


「――名無子、……愛してる」


彼の、肩の向こうに。沈んでいく夕陽が、見える。

ぼうっとその、滲んだ色合いを、眺める。


「……ほんとう、ですか、」


滲んで、滲んで、じわじわになって。茜色が、溶けていく。

「ああ…っ」と言い切った彼の声が、なんだかひどく震えていて、どこかおかしくなった。
その上、もう一度「愛してる」と、囁くように言って離れた彼の顔が、あまりにも。あまりにも、

「……オビト、さん……顔、真っ赤」

「……うるさい」

乱暴にまた、抱きとめられて。その拍子にぽたり、どこからともなく、水滴が落ちる。

「オレは……オレが、こんなことを言うのは、お前が、はじめてなんだ」

「うん……」

「だから……だからその、まだ……口では上手く、言えないかもしれない。だがこれからは、善処する」

「うん…っ」


――いつの間にか。晴れた夕空の下、ぽたぽたと、雫が降り注ぐ。

まるで雨のように、降りしきって。全て溢れて、流されて、なにもかもなくなりそうな。
そんなまっさらな、心の中に。まだ、消しきれない。残っている、私の、ほんとうの、気持ち。

「私も……オビトさんが、っ、すきです」

たとえ、傷付くことになったとしても。この先に痛みが、待っているとしても。

「もっと、あなたのことが、知りたい…っ、もっと、ずっと、一緒にいたいっ、です…っ」

わがままだっていい。

「それから、それから…っ」

もう一度。私が、あなたが、あのサボテンたちに、水を、注いできたように。

「またあなたを、愛したい、です」


返事の代わりに、オビトさんは、しきりに私の背を撫でて。

それから、どちらともなく、身体が離れ。

夕闇に紛れた影がふたつ、寄り添うようにもう一度、そっと、重なった。



『そういえば。オビトさん、知ってます?』

『ん?』

『サボテンの、花言葉。花言葉は――……』


“枯れない愛”を。これからまた、二人で。


(2016/04/29)


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