12:溢れ出る涙



「そろそろ観念したらどうだ?」

嘲笑と共に襲い来る無数の手裏剣を躱し、すかさず懐を探る。

「観念するのは、お前の方だ」

「――!」

ヤツの足元に放った二つの玉が爆ぜ、辺りが煙に包まれる。
怯んだ隙を逃さず切りかかれば、靄の中で互いの赤い眼が交錯する。
相手も負けじと応戦してくるが、ただの写輪眼に引けをとるほどオレも衰えてはいない。

「ぐあ!」

倒れ伏した首元にクナイを突き付ける。
己の敗北を理解したのか、ヤツは構えを解いて高笑いをあげた。

「……クッ、ハハ、ハッハハハ!諦めろ!もう遅い!今頃オレの仲間が――」

「……一言いいか……」

「……聞く気はねェ、くたばれ、この裏切り者!!」

最後の悪足掻きとばかりに、跳ね起き向かってくる拳を、神威を発動させ身体ごとすり抜ける。

「なっ…!?」

「オレが諦めるのを――」

がら空きになった背中へ、手刀を振り下ろす。

「――諦めろ」

「ッ!!」

もはや抵抗する力も無い、横たわる同胞の顔を見下ろせば、諦念に染まった瞳がこちらを見つめ返す。

「くっ……オレをやっても、無駄さ……」

「……」

「オレたちがこの、呪われた忍の世界に……生きている限り……平穏は、ない……」

その濁った瞳の色は、いつか見たことのある。オレ自身も、よく知っている色だった。

「……なら――、オレがその呪いを解いてやる」

ハッと、黒い瞳が見開かれる。

「平和ってのがもしあるなら、オレがそれを掴み取ってみせる」

そっと、手のひらを差し伸べる。

「オレは、諦めない」



***



「……すまなかったね、オビト」

「……いえ、それはむしろ、こちらのセリフです」

無事に任務を遂行し、火影室へ報告に向かえば、心底申し訳無さそうな先生がオレを出迎えた。

「ここしばらく静かだったので……油断していました」

「ああ……。キミたちの苦労のおかげでここ数年、随分改善してきたと……オレもそう思ってたんだけどね」

「……先生……今回の件、どうなさいますか」

「ん……ひとまず、フガクさんとも話し合って、今後の処遇を決めるよ」

わかりました、とだけ返すと、ミナト先生は困ったような笑いを浮かべる。

「…それにしても。昨日の今日で、こんなタイミングで、悪かったね」

「先生のせいじゃありません。それに、ちょうど良かったですよ。自分に活を入れる意味で、いい運動になりました」

「そうか……なら、悪いニュースの話はここまでにして、今度は、良いニュースがあるよ」

良いニュース。その言葉を聞いたとき、オレはなんとなく内容を察した。
胸の奥がざわめくのを抑えきれなかった。

「オビトが任務に行ってくれている間、報告があった。砂隠れに派遣していた救援部隊、全員が無事に帰還したそうだよ」



***



先生に背中を押され、少し湿った匂いのする夕空の下、オレは町へ急いだ。

だが、はじめは確かだった足取りも、次第に重くなっていく。

(オレは……)

一体、どんな顔で会えばいいのか。どんな言葉で迎えればいいのか。
あれだけ発破をかけられたというのに、今更になってまだ、オレは、そんなことに迷っている。
アイツのことになると、どうしようもなく臆病な自分がいる。脆い自分に、気付かされてしまう。


もはや最初の威勢を失った頼りない歩みを進めながら、はたと考える。
そもそも一体、オレは、どこへ向かっているのか。どこへ、向かえばいいのか。

よもやオレの家に帰ってきて、はおるまい。なら、今頃は自宅にいるのだろうか。突然自宅に押しかけていいものか。
仮にも恋人のくせに、こんなどうでもいい些細なことがオレを躊躇わせる。


気が付けば、鈍りに鈍ったオレの足は、通い慣れた生け垣の茂る道を歩いていた。
ぼうっと無意識のうちに来てしまったかと思ったが、見慣れた臙脂色の幟を見て、ああ、と悟る。

(ここは……)

そうだった。
懐かしい、あの日の光景をなぞるように、曲がり角に立ってみる。


感慨深い気持ちでじっと佇んでいたら、不意に、人影が飛び込んできた。

「!」

「あっ、ごっ、ごめんなさ――」

よろけそうになった体を抱きとめて、まさか、と目を疑った。

「……名無子……?」

こちらを見上げた瞳が、これ以上ないくらい見開かれる。


「名無子…」

確かめるようにもう一度、名前を呼べば、名無子ははっと口元を覆い隠す。

「オビト…さ…っ!」

懐かしい、どこか潤んだその目を見つめていたら、いつの間にかオレは、名無子を抱き締めていた。

「心配した……っ……名無子……少し痩せたか?」

腕の中にある温もりに、どうしようもなく安堵する。
だが、名無子は黙ったまま、身を固まらせて一言も発しない。

「……名無子……?」

腕をゆるめ顔を覗きこめば、オレの拘束を解いて、名無子は一歩後ずさる。

「……、ごめんなさい」

俯いたまま。名無子は胸に手を当てて、静かにそう言った。

「何を……」

「あんな風に……。ちゃんと話もせず、出て行ってしまって……」

「ああ……気にするな。何か、事情があったんだろう?なら、」

相変わらず俯きがちに、名無子はこくり、と頷いた。

「オビトさん……私……私たち――」

たっぷりの間を置いて、名無子は顔を上げた。


「私たち、別れましょう」


一体今、オレは、何と言われたのか。理解が追いつかない。

「な、にを……」

「ごめんなさい」

そのまま、後ずさって、去ろうとする名無子の手を咄嗟に捕らえる。

「名無子!」

「……ごめん、なさいっ、オビトさん…っ!」

頑なに顔を伏せこちらを振り向いてくれない、名無子の後ろ姿を呆然と見つめる。

「……もうっ、私たち……、一緒じゃ、いられないの」

「…そんな…何故…っ」

「だって……だって、」

掴んだ小さな手が、肩が、震えていた。

「私ね…わたし、本当に、オビトさんのことっ、好きだから……!」

「…っ?」

「だから…私、本当はっ、ずっと、オビトさんにっ、一番に、愛されたかった…!」

掴んでいた手の力が抜け、名無子の細い手首が離れる。

「私、わがままだから……はじめは、傍にいられるだけでよかった。オビトさんと一緒にいられるだけで…毎日たのしくて、嬉しくて。幸せだった。なのに、」

ひゅっと、名無子が、息を吸う音が聞こえた。

「どうしてかな…っ、今はっ、ただ、傍に居ても、辛くなるばかりなの…っ!」

ぽたり。
どこからか、一粒、雫が落ちる。

「愛されたくて…苦しくなるのっ、それで、それでそんな自分が、嫌になる!」

ぽた、ぽた、と、次々、冷たい雫が降ってくる。

「あなたを思えば思うほど、胸が痛くて……だから、だからもうっ、一緒には、いられないっ、」


「――っ、待ってくれ、名無子!オレは……っ!」

「ごめんねっ、オビトさん、私やっぱり、あなたには釣り合わない。あなたを支える覚悟も、受け止める勇気もない…ただ、そのくせ一人前に愛されたい。欲張りでわがままな女なの。あの日だってそうだよ」

「…あの日…?」

「私が出てったあの雨の日……私ね。オビトさん。あなたに“愛してる”って、ただそれだけ、言ってほしかっただけなの」

「――、」

「私って馬鹿だから。ずっとそんなことばっかり気にしてた。あなたが一度も、“愛してる”って、ちゃんと私に、言ってくれたこと、ないなって」



『あのねっ、オビトさん』

『なんだ?』

『私、本当に…オビトさんのこと、好きだなあって、思って』

『……』

『好きだよ…、愛してる……。……ねえ……オビトさんは?』

『……ああ……、――オレもだよ』



「だからもうっ!そんな、私なんてっ、忘れて!」



――あの日と、同じ光景だった。

いつしか降り出した土砂降りの雨の中、オレは、独りきりで家の前に立っていた。

ただ、あの時とは違う。あの時とは違って、今は、この家に灯りはない。オレ以外、ここへ帰る者は、誰もいない。


カラン。


玄関へ足を踏み入れようとしたところで、何かが、爪先にぶつかった。
足元を見てみれば、見覚えのあるブリキのジョウロが転がっていた。

そういえば、穴の空いたこのジョウロ。いつか処分するかと外へ出して、そのまま置きっぱなしになっていた。

軒先から落ちてくる雨垂れが滝のようにジョウロを打って、雨粒が跳ねる。
だが、穴が開いているせいで、そこに水が貯まることはない。


びしょ濡れのまま玄関へ上がって、重くなったベストや上着を脱ぎ捨てる。
真っ直ぐ脱衣所へ向かい棚からタオルを漁るが、ちゃんと洗濯して干してあるロクなタオルが無い。

面倒になり浴室へ入って栓を閉め、蛇口を捻ると、一気に浴槽へお湯が流れ込む。

雨の染みた服をかなぐり捨て、まだ冷たいシャワーの水を目一杯浴びる。

やがて温くなった水が俯いた後頭部へ勢い良く降り注ぎ、降り注いだ滴は渦を巻いて排水口へと吸い込まれていく。


「……、穴が空いていたのは、オレか」


……名無子は、ずっと。
「好きだ」と、「愛している」と、惜しみなくオレに、溢れんばかりの愛を注いでくれていた。
きっとはじめは、愛も、幸せも、笑顔も、溢れていたはずなのに。

なのに今は、どうだ。
彼女から溢れているのは、今はただ、涙だけだ。雨のように降りしきる、冷たい、涙だけだ。


『あ、あと実は、サボテンって雨に晒すと枯れてしまうらしいですよ。知ってました?』

――ふっと、そんな。いつだったか、名無子に聞いた言葉が、蘇る。


オレは、名無子から愛されるのが、心地よかった。
はじめからどことなく、互いに好意を持って、惹かれ合っていることに気付いていた。だから、彼女に求められることが嬉しかった。
自分がただ、一方的に想うだけじゃない。想われることの、心地よさを知ってしまった。

近づき過ぎない、傷つけ合わずに済む、ぬるま湯のような距離感で、オレは、自分に都合の良い愛し方をしてきただけだった。
その陰で、名無子が悩んでいたことなど、考えもしなかった。

「オレは……」

浴槽に深く沈む。
このまま、身も心も深く、奥底へ沈んでしまいたい。そんな思いが、朧気に過ぎった。



***



その後自分が何をどうしたのか、記憶ははっきりしない。

ただ、薄暗い部屋の中で、寝台に腰掛け、じっと床に目を落としていた。


ざあざあと降りしきる雨音を聴きながら、徐ろに、顔を上げた時。
視界の端に、何か、見慣れないモノが映った。

「……?」

そちらへ目を向け違和感の正体を探すと、そこには、見慣れたアイツらが二つ、見慣れない姿で並んでいた。

「――、まさか…!」

信じられない思いで立ち上がり、大股で近寄る。
息を呑んで食い入るように見つめたそれは、間違いない。

「名無子…っ!」


もう、駄目だと思った。

「諦めない」などと、大見得を切っておいて。
あれだけ友人たちに、仲間たちに支えられ、先生にも励まされ。
それでももう、オレは、自分は、折れてしまったと思った。

だが、まだ、ここにいる。

オレを、オレたちをずっと見守ってきてくれた仲間が、ここにもいる。

「諦めるな」と。コイツらがオレにそう、語りかけてくるような気がして。


「名無子……オレは……もう一度……!」


(2016/04/12)


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