11:異国の空から
「よしっ、名無子さん、これで最後ですね。これを運び終わったら休憩にしましょう」
「はいっ、じゃあ、そっちをお願いします」
眩しい日差し。乾いた空気。照りつける太陽の下、額に浮いた汗をぐっと拭う。
ときたま風で砂埃が舞って、視界が霞みそうになる。
「ふうっ、これで、全部、ですね」
「はあ…お疲れさま!」
――早いもので。私があの雨の日、木ノ葉隠れの里を発って、早数週間が経とうとしている。
あちらとは全く勝手の違う砂漠地帯の気候にはじめは苦しめられたものの、ようやく慣れてきたところだった。
「明日……やっと、帰れますね」
「……うん。そうだね」
これまでの日常から離れ、慣れない異国で過ごす日々は苦労の連続だったけれど、それでも、肝心の救助活動も順調に進み、部隊の仲間たちとも打ち解けて、私なりによくやったと思う。
おかげで明日には、予定を早めて帰還することが決まった――なのに。私の心は、一向に晴れない。
「…あ、そうだ。名無子さんも、見ました?」
「え?」
「今朝みんなで話したやつです。テントのすぐ傍で……」
「――、ああ……」
「私、本物ってはじめて見ました!とっても綺麗なんですね……サボテンの花って」
そう。砂地の広がるこの一帯では、頻繁にサボテンを見かけることがあった。
そして今朝、ちょうど私たちが寝泊まりしていたテントのすぐ近くで、花を咲かせたサボテンがあったのだ。
私はまだ直接見たわけじゃなかったけど、部隊の中でちょっとした話題になっているのを小耳に挟んだ。
「そういえば、サボテンって、漢字で仙人掌、って書くじゃないですか。あれってこう、仙人の手のひらみたいに見えるから、らしいですけどね〜」
言われてみれば確かに。あの平べったくて薄い丸っこいタイプのやつは、そう見えなくもないかもしれない。そんな風に思っていたら。
「あとあれ、ウチワサボテンって言うらしいですけど!そっちの方がしっくりきますよね」
――ドクリ。一瞬、息が詰まって。胸が、騒いだ。
『ウチワサボテン?』
『そう。そっちの方がよかったですか?うちはだけに』
『はあ、なんだそれは…。いいよ、お前と同じやつで』
『……! はい!じゃあ、今度持ってきますね!』
「――名無子さん?」
「…あっ、ごめん、」
頭を振ったところで、遠くから声がかかった。
「おーい!そろそろ手伝い頼む!」
「はい!今行きますー!」
立ち上がって、砂を払いながら。
この数週間、いくらやっても振り払えなかった、あの人の影を打ち消そうとする。
『今日も熱心だな』
『ふふ。私ね、実はずっと、思ってたんだけど。この子たちにいつか、花が咲いたらいいなあ、って』
『花?』
『うん。私、サボテンの花って、実物を見たことないんです。だからいつか、見てみたいなあ、なんて……、あ。そういえば。オビトさん、知ってます?』
『ん?』
『サボテンの、花言葉。花言葉は――……』
***
空が夕暮れに染まる頃。
部隊の人々が集まって、大規模な炊き出しの準備が行われる。
トントン、と野菜を切る小気味いい音、次々と鍋から立ち昇る湯気に、自然と空腹が刺激される。
そしてなにより。
「今日のメニューはカレー、か」
この匂い。
この匂いが今、なによりも、私に訴えかけてくる。
『今日はカレーだ』
『わあ!っふふ、オビトさんの手料理!嬉しいです』
――どうしてだろう。
“匂い”というものはときに、なによりも痛切に、なによりも鮮明に、五感に訴えかけてくる。深い記憶を、呼び覚ます。
『んっ、おいしい!オビトさん、料理もお上手なんですね…!』
『いや、ならよかった。実は料理なんて久々だったからな……』
『そうなんですか!?』
『十年ぶりくらいか。あの頃…カレーはよく作ってたんだ』
ぶわっと、目の前にあの日の記憶が、光景が広がって、駆け巡る。
『ずっと独り暮らしだったからな。カレーはいっぺんにたくさん作れるし、何より楽だったもんで、よく作ってた』
『そっか……じゃあ』
『?』
『今度からは、カレー、私がつくってあげますね』
『……、ああ』
それにしたって、なんで、こういうときに限って。
「――っ、……」
溢れそうになるものをぐっと堪えて、鼻をすする。
「名無子ちゃん、大丈夫?」
「っうん、ごめん、タマネギが、すごい目に染みちゃって…!」
どうしてこんなときに運悪く、タマネギなんかを切らなきゃならないんだろう。
おかげで私は、何度も何度も顔を拭いながら、料理をするはめになった。
***
それからすっかり日が落ちて、明かりも消え、みんなが寝静まった頃。
私はひっそりとテントを抜けだして、ひとり、夜空を仰いだ。
「……」
日中の暑さが嘘だったかのように、肌寒い夜風が吹き抜けていく。
(……明日……)
明日にはここを発つ。そう思うとなかなか寝付けなかった。
「オビトさん……」
久しぶりに、口にしてみた。
もう何度、あなたのことを思い返したか。もう何度、胸の中で、あなたを呼んだか。
けれど、声に出してみて一層、恋しさが募った。
会いたい。あなたに会って、顔が見たい。
記憶の中の影ではなくて、本物のあなたに、会って、話がしたい。そして、抱き合いたい。
……けれどきっと、もう、そんなことはできないんだって。
そう思えば思うほど、後悔が押し寄せる。
私はここへ来てから、ずっと、後悔していた。
自分がどれほどオビトさんのことを好きだったのか、離れたことでより、思い知らされた。
――だから。
あんな形ではなくて。せめて最後に、きちんと、話をしたかった。それだけが、気がかりだった。
突然家を飛び出して。きっとオビトさんのことだから、心配してくれたに違いない。
それを思うと胸が痛む。勢いで出てきてしまったけれど、もしかしたら、私を探してくれたかもしれない。
そんな優しさがますます、私の決意を揺るぎないものにしていく。
(オビトさん、私)
今頃、どこか。あなたは、この同じ空の下にいるのだろうか。
この空の向こうで、あなたは、なにを。なにを見て、いるの。なにを考えているの。
あなたのことをたくさん考えて。
愛しいと思えば思うほど、私は、己の中に目を背けられない感情があるのを知った。
もしまた、あなたに会って、話ができるなら。今度はそれを、伝えたいと思う。
それが私にできる、精一杯の誠実、なのだと信じて。
(2016/04/06)