10:思い馳せる明日



「それでは、本日の演習はここまでとする」

警務部隊での稽古を終えた直後のことだった。
これからの予定を脳内で整理しつつ歩いていると、物陰から、聞き慣れた声が耳に入った。

「よっオビト、どこ行く気?」

「……カカシか。何の用だ」

「何の用、って……」

呆れた眼差しを向けてくるカカシに「なんだ」と問えば、大きな溜息が聞こえてくる。

「今日はこれから特別合同演習が入ったって、朝にも話したはずだけど…忘れてた?」

「……、」

「全く、正反対の方向にホイホイ歩いてくから…何かと思えば、案の定」

そこから続くカカシの説教をシャットアウトし踵を返すが、「ちょい待ち」と肩を掴まれてしまう。

「なんだ……」

「ハア…今のお前に、あんまり話したくはないんだけど」

「早く要件を言え」

「わかったわかった、実はついさっきね、四代目様から緊急招集がかかった」



***



「雨隠れ…?」

「ああ。潜入と、捜索および救出活動。それが今回の任務内容だ」


カカシと二人で急ぎ火影室へと向かえば、そこには既に一人、先客がいた。
「待ちくたびれたぞ!」とばかりにオレたちを出迎えたのは、マイト・ガイだった。

オレが疑問を呈するより先に、神妙な面持ちをした先生が口を開く。

話の概要はこうだった。
先日、木ノ葉から雨隠れの里へ派遣された外交使節団と、連絡がとれなくなった。
そこで、オレたちを救助に向かわせようというわけなのだが、厄介なのが“雨隠れ”という点だった。

雨隠れは近年、他里との関係を断っており、今回は特例中の特例として使節の派遣が認められた。
これは四代目火影たるミナト先生の努力の賜物であり、木ノ葉、ひいては火の国にとってまたとない好機でもあった。そこにこのアクシデント。まだ全貌も明らかでないうちから、表立って事を進めたくない、できる限り水面下で済ませたいというのがミナト先生の思惑だった。

「そこで今回は、ツーマンセルでこの任務にあたってもらう」

「ツーマンセル?」

オレとカカシとガイ。集まった面々に加え、話の流れからてっきりスリーマンセルかと思い拍子抜けしたが、オレ以外の二人はやけに落ち着き払って話を聞いている。

「カカシ、ガイ。行ってくれるね?」

「……、待ってください。オレは?」

「ああ、オビト。キミにも話しておかなければならないことがあるね」

潜入任務ときたらカカシはともかく、ガイより明らかにオレの方に適正があるはずなのだが、先生はピシャリと答える。

「色々と聞いたよ。近頃、随分と気が抜けているようじゃないか」

「……、」

「そんな調子では、この任務は任せられない」

目を見開きぐっと息を詰まらせていると、隣から威勢のいい声があがる。

「すまないッ、オビト!今回はオレが志願させてもらった!」

「ガイ…?」

ついでに反対側からもポンと背中を叩かれる。

「最近のお前となんかじゃ、危なっかしくてやってらんないよ。まっ、今回はオレたちに任せておきなって」

「カカシ……お前たち、まさか……」

確かに。ここしばらくオレは、注意力散漫な節があった。だが、話はそれだけじゃない。そのことに薄々オレも勘付いた。

「明後日」

カカシが出し抜けにそう言ったとき、それは確信に変わった。

「帰ってくるんでしょ」

「……、すまない……」

オレはそれだけ返事をするのが精一杯だった。


「それじゃ、早速だけど、カカシとガイは、準備ができたら出発してくれ」

「はっ」と敬礼した二人が退出するのを見送ると、ミナト先生は、再びオレに目を向けた。
こうして一対一になると、オレは未だに、どうしても昔の感覚に戻ってしまいそうになる。あの頃の純粋な、先生と教え子の関係に。

「なあ、オビト。少し、昔話をしないか?」

「え?」

「あまり、思い出したくはない過去だろうけど……」

ミナト先生は一度椅子から立ち上がり、オレに背を向け、窓から外を眺めた。

「……覚えているかい?キミが、この里へ帰ってきた日のこと」

その瞬間、ミナト先生の背中がどうしてか、急に老けこんでしまったように見えた。

「……忘れようとしても、きっとオレは。生涯忘れられません」



『ぐおおおおああああ!!』

既に事切れ、グシャグシャになった“ソレ”へと振り上げた拳を、誰かが引き止めた。

『オビト…!?』

なおも振り下ろそうとするオレを強引に引き剥がして、正面から顔と顔を合わせた。

『オビト!』

『はっ、はっ、ハア、ハアっ、あ……ッ』

拘束しようとしてくるその腕を振り払って、オレは、ゆっくり歩みを進めた。

『リ、…ン……』

膝をつき。
手を差し伸べて、その白い頬に触れようとしたとき。別の手のひらが、そっとそれを遮った。

『……すまない』

握られた手が、温く、熱く。
そのまま視界を遮るように抱きとめられ、はじめて、目の前の人物を理解した。

『……ミナト……せん、せ……、』



オレの記憶は、そこで一度、ブツリと途絶えている。


“――……です、彼の身体は……て……異常な……――”

“――……だが……様が、……によると……――”


次に目を覚ましたとき、オレは身体中妙な機械に繋がれ、妙な電子音に包まれ、部屋の外からも妙な音ばかりが響いていた。
延々とその繰り返しだけが、記憶の空白に並んでいる。
自分が生きているのか、死んでいるのか。それすらわからない。いいや、それすら、意識しない。
ただ記憶にぼんやり残っているのは、「白」という色彩の感覚だけだった。

それがどれほど続いた後だったろう。

“――……明日には……病棟……頼む……――”

はじめて、部屋の外から、知っている音が聞こえてきた。

(ミナ、ト、先生……)



そこでまた記憶が途切れる。

次に映った景色は、何の変哲もない病室だった。
ここは一体どこなのか。いつから自分がそこにいたのか。何もわからないが、疑問にも思わなかった。

ガランとした病室の真ん中、広いベッドの上でオレは、何をするでもなく。ただ息をしていた。
いや、眠っているのか、起きているのか。生きているのか、死んでいるのか。その境界もわからなくなった。

ただ、しばらくしてふと。意識が安定しているとき、気が付くことがあった。

(……、また……)

部屋の扉の前に、微かな気配を感じることがあった。
その回数が徐々に増えていき、やがて、その気配は扉を押して姿を現した。

『オビト…、』

こちらを見て、立ち尽くすシルエット。オレもまた、それをぼんやりと見つめ返す。

『……すまない』

どこかで聞いた言葉だった。だが、この間とは違う声だった。


そんなことが何度か続いた後、また気付いたことがあった。
オレの寝ているベッドのすぐ脇に、この真っ白な部屋の中で唯一、色鮮やかな、花束が飾ってあった。どうやらあの声の主が、いつの間にか持ち込んでいたらしい。

そして事あるごとに、オレはその花々が次々入れ替わっていることに気が付いた。


――それから。また景色が変わって、今度はもう少し狭い部屋に移った。
以前よりも物音が多くなり、外からはガヤガヤと人の声が聞こえてくるようになった。

“お願い、カカシくん、これ持って行ってあげて!”

“いつもごめんなさいねぇ、私からもこれ、オビトちゃんに……”

“早く元気になってくれりゃあいいねえ……”


それでもあの気配は、あの声は変わらず、オレの元を訪れた。

『オビト……すまない』

アイツが訪れる度に、部屋には物が増えていった。


その日は珍しく、夕暮れ時だった。
いつもは早朝や深夜に来ることの多かったアイツが、茜色に染まった部屋に現れた。

いつものように、花瓶の花を入れ替えて、菓子箱や果物をテーブルに積み上げたところで、またあの言葉が聞こえてきた。

『すまない……オビト』

こちらを見つめて、じっと佇む。
強く差す夕日のおかげで、マスクに陰影が浮かび上がって、その表情がよく窺えた。
……なあ、お前。今まで、そんな表情、したことあったか?

頭にそんな言葉が浮かんですぐ、貼り付いて動かなかったはずの唇が上下に裂けて、勝手に妙なしゃがれ声が漏れた。

『おまえ……、それ以外のこと……言えねェ、のかよ……、』

去りかけていた背中が、バッと振り向いた。

『――、オビト…っ!?』

そのあまりの勢いに、ハハっと笑いそうになって、代わりにひとつ、咳が出た。

『なあ……そんなかお、するなよ……、バカカシ』

今まで忘れていた何かを取り戻すように、オレの口からは、ぼろぼろ声が溢れた。

『まいにち、まいにち……オレの前で、そんな顔、しやがって』

ああ、オレの顔を食い入る様に見つめる、アイツの顔ときたら。

『いっつもよ、そんな顔、されてたら……オレの方が困るんだよ』

不意に顔が強張って、痛いくらいに、クシャっと歪んだ。

『泣きたいのは、こっちの方だってのによ……――』



***



「――……あのとき。あれから、オレがこうしてまた、普通の忍として生活できるようにしてくれたのは。ミナト先生。あなたでしたね」

「いや……オレがしたことなんて、ほんの些細なことさ。それどころかオレは、教え子たちを守ることもできなかった……先生失格だよ」

「いや。先生がいなかったら、オレは。あのまま自由を奪われ、この身体のせいで、今頃どこぞの実験人形にでもされていたかもしれません」

「そんなこと、オレがさせないよ」

「ええ。現にあなたは、オレを助けてくれた……身も心も壊れきって、正体不明な異物を抱えていたオレを」

「……全部、知っていたのかい」

「大分後になってからです。カカシに聞きました。……あのとき、先生が随分、オレのために手を回してくれたのだと」

「…そうか…」


互いに話し疲れた口を休めるように、長いこと沈黙が続いた。

目の前で静かに佇む師の背中は、今なら全てを受け入れてくれるような気がして、いつの間にかオレは、また口を開いていた。


「正直今でも、夢に見るんです」

「……」

「あの夜のことを……恐ろしくなります。オレは、本当はまだ」

先生の背中は、黙々とオレの言葉を聞いていた。

「オレは、あれから。木ノ葉へ戻ってきて。多くの仲間に支えられて。生きていると……そう、実感すればするほど。恐ろしくなる。急に、自分の中で…抑えきれないときがあるんです。激しい、憎しみの念を」

憎しみ。そう言い切ったとき、自分で背筋が凍りそうになった。声が、震えた。

「こんな平和は欺瞞だと……先生、オレは。何もかもを壊したくなるときがあります」

よりにもよって。里の長である、火影に向かって。オレは大それた告白をしている。だのに先生は、相変わらず穏やかな声で。背中で、語りかけてくる。

「ああ、オビト……だけどキミは。もう、そんなことをしないね」

そこではっと、急に、思い浮かんでくる存在があった。先生はそれをお見通しだったかのように、話を続ける。

「ちょっとお節介だったかもしれないけど……最近のオビトのことは、オレも色々と、気にかけてきたつもりだからね」

ミナト先生は振り向いてふっと笑みを浮かべ、もう一度椅子に腰を落ち着けた。

「実はね……名前を聞いたとき、オレは……“運命”ってものが、この世にもあるのかもしれない……なんて、そんな風に思ったりしたのさ」

「え…?」

「あの夜……オレは、全く違う任務に向かっていた。危うくオレは、オビトも、カカシも、リンも……一度に失うところだった。だけどね……とある忍のおかげで、オレは幸運にも、いち早くお前たちの救援に駆けつけることができた」

ミナト先生は、記憶を思い返すようにすっと遠くへ目を向ける。

「彼は、忍としての実力が伸び悩んでいて……引退を決めた忍だった。その素早い身のこなしと、情報収集の能力にかけては、目を見張るものがあったんだけど……奥方を亡くされて。残された娘さんを育てるためにも、引退を決意したんだ」

「……」

「でもそれをね…娘さんが止めたんだ。もう一度、里のために戦うパパが見たい、ってね……それで彼は再び戦場に立った。そしてあの日、その持ち前の能力をもって、オレたちを助けてくれた……いわばオレやオビトの、恩人だね」

……不思議なものだった。確かに、運命、ってものをオレも、感じたのかもしれない。次に先生の口にする言葉が、なんとなく予想できた。

「名無子ちゃんの、お父上だよ」

――名無子。
もう何度思い返しただろう、その名前をまた、胸の奥で呟く。


「オレは……、やっと、守りたいものを見つけた気がするんです」

先生に向かってオレは、何を言い出すのだろうと、どこか気恥ずかしい自分もいた。

「名無子とはじめて出会ったとき……オレは驚いたんです。コイツはなんて、なんて平和なヤツなんだろう、って」

ああ、そうだ。この平和な木ノ葉の里でも、一際平和ボケしてそうな。そんな女だと。

「でも、あのとき確かに…はじめて、思えたんです。こんな日常もいいかもしれない、と」


リンを失って。一度は目を背けて。それでも、カカシや先生に支えられてオレは、やっと、ここまで来た。
それでもまだ。無知で無関心な人々は、オレやリンという犠牲の上に胡座をかいて、平和を貪っているのだと。そんな怒り、憎しみに囚われる瞬間があった。

――だが。

お前に出会って、はじめて。そんな、なんでもない平和も悪くはないと。受け入れられた気がした。やっと、受け止められた気がしたんだ。

そうしてそんな日常こそが、昔オレが夢見た、火影になっていつか、守りたいものだったんじゃないかって、そう、思えたんだ。


「……なら、それは、帰ってきた彼女に直接話すべきだね」

「……でも……、」

言い淀むオレに、先生は先を促す。

「名無子は自ら、オレから離れて行きました……帰ってきたとしても、何と言えばいいのか……」

また拒絶されたら。オレは最近、そんなことばかり考えていた。

それにオレは。うまく名無子を愛せるのか。これまでだってオレは、全てを曝け出すのを怖れて、臆病なやり方でしか名無子に触れられなかった。正面から、堂々と触れ合うことができなかった。
こんなオレが、名無子を守っていけるのか。不安だった。
……ああ、こんなオレだからこそ名無子は、オレの元を去ったのかもしれない。

しかし先生は、そんなオレの不安を吹き飛ばすようにあっけらかんと言い放つ。

「大丈夫。なんとかなるさ」

「そんな…、」

「だってお前は、オレの弟子なんだからね」

それに、と付け加え、「さっき自分でも言っただろう?」とミナト先生は諭す。

「カカシやガイ…オビトのためにわざわざ、危険な任務を買って出てくれる仲間がいる。いつも支えてくれる仲間たちがいる…違うかい?だから何も恐れることなんてない。思うように、やってみればいいんだよ」

「……、はい……」



***



その日の晩。オレは久しぶりに、自宅の寝床で身を横たえた。
忙しかったのもあるが、一人寝の寂しさを突き付けられるのが嫌で、近頃は他所で寝泊まりすることも多かった。

「……ああ、そうだ……」

目蓋を閉じようとしたところでふと思い出し、一度起き上がる。

「ここにも、オレの仲間がいたんだったな」

窓際に置いてあった鉢植えを覗き込む。忙しい日々の中でも、オレは極力、こいつらの手入れを欠かさないようにしてきた。

「……もうすぐ、帰ってくるぞ」

サボテンに語りかけているのか、オレ自身に言い聞かせているのか、自分でもよくわからない。
だが、二つ並んだサボテンも、オレの言葉を解しているのか、不思議とどこか、普段と様子が違って見えた。


(2016/03/27)


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