2:脈動観測


薄明るい室内に、紙の擦れる乾いた音だけが満ちていた。

「マダラさま、」

名無子が不安げな声を上げると、面をした男――マダラが、手元の帳面から顔を上げる。

「今日は、どうでしたか」

「……異常は無い……裏を返せば、これといった成果もない、ということだがな」

「そう、ですか……」

項垂れる名無子を一瞥し、マダラは再び視線を落とす。

「そう気を病むな…着替えたら少し休め」

「…わかりました」

名無子が退出するのを見届けてから、マダラはその黒い指先で、色褪せた頁をそっとひと撫でした。



以前、『自分の組織に写輪眼を持った女がいる』と、得体の知れない輩がもたらした情報は、マダラの“眉唾”という予想を外れ、真実であった。

写輪眼を調べていたと思しきその怪しげな集団は、マダラが直接手を下すより先に、既に“空中分解”していた。
今となってはその全貌を知る由もないが、恐らくあの忌々しい男が一枚噛んでいたのだろう――マダラの脳裏に、蛇のような白い顔が過る。

ともかくあの日、崩れた瓦礫の下から辛うじて連れ帰ったのが、赤い眼を持つ名無子だった。

共に持ち帰った手元の帳簿には、どうやら名無子の「実験記録」のようなものが記されていた。
それによると、名無子は大分前に眼を移植され、写輪眼を“開眼”し“育てる”ための実験体にされたらしい。

マダラはこれを、「思いもかけない収穫」だと捉えた。自分にとっても都合の良い、格好の素材が手に入ったと考えた。
しかし実際、名無子に刃を入れてみてわかったことは、たった一つ、奇妙な事実だけだった。

『お前の……この眼は……』

マダラはあの日、初めて名無子を、彼女の眼を矯めつ眇めつ、上から下から、表から裏から探り眺め回した記憶を思い起こす。


結論から言えば、名無子の写輪眼には能力が“発現”していなかった。
このことは眼を知り尽くすマダラにとっても、不可解な謎であった。

なぜなら、名無子の眼には間違いなく、写輪眼特有の巴模様が浮かんでいた。
そして何より、名無子の中を巡るチャクラの流れは、確かに他のうちはや写輪眼のものと一致していたのだ。

にも関わらず、名無子にはその写輪眼による恩恵が、何一つ現れていない。
この謎を解き明かそうとマダラは何度か実験を重ねたが、未だに真相は闇の中だった。


これは推測に過ぎないが、名無子は恐らく、開眼前の眼を移植された後、無理に写輪眼を“開眼”させられた――そのことが何か影響しているのかもしれない。マダラは思索に耽りながら、一度帳簿を閉じた。



それにしても、先程名無子が隣の小部屋に入ってから、一向に出て来る気配がない。

「名無子」

マダラが一声だけかけ返答を待たず室内へ歩み入ると、むき出しの小さな肩が「きゃっ」と揺れた。

「す、すみませんっ…!」

この女は、なぜ謝るのだろう。状況からすれば、コイツは着替えを覗かれた側だろうに――マダラは思う。
そしてまた、不思議だとも思う。少しでも肌色を隠そうと、必死で黒い外套を抱き寄せた、その姿に。

名無子はいつだってそうだった。

もう幾度と無く、その裸体を晒しているというのに。
何の抵抗も無く、その身体の全てを曝け出すというのに。

名無子はあの実験台を降りた途端、一端の羞恥心を身に纏う。

「どうかしたのか」

そう言いながら一歩、歩み寄る。びく、と、名無子が己の脚を庇うように強張らせたのを、マダラは見逃さなかった。

「あっ」

近寄って躊躇いなく外套の裾を捲ると、名無子の膝下から太腿までが一気に露わになる。
そこには膝から内腿にかけて赤い線がすっとひとつ走り、うっすら血が滲んでいた。

「あの時の傷か……」

つい数時間前。このアジトへ来る前に、二人はどこぞの忍同士の小競り合いに巻き込まれた。
名無子がそのとき傷を負ったことも、それを黙っていたこともマダラはお見通しだったが、そのままあえて触れずにいた。
名無子はこの傷痕をどうにか隠そうと時間をとられていたのだろう。

「あのっ、大丈夫ですから…っ」

名無子は捲り上げられた裾を下ろそうとぎゅっと掴み、頬を染めながら、瞳を潤ませながら訴える。
そして後ずさろうと脚に力を入れたせいか、その拍子に滲んだ血が膨らみ、玉となって零れ落ちそうになったのを、マダラは無意識に目で追っていた。


「ひっ、やっ…!?」

頭上に落ちた、名無子の甲高い声と、添えられた手のひらの感覚。

まるでそれが当然の行為の如く、マダラは流れるような動作で屈み込み、面の下から舌を伸ばすと、じっとりと血の筋を舐め上げていった。

込めた力に比例して表情を変える肉の感触、肌に滲む赤色。
自分でも驚くほど丹念に、夢中で舐った後、喰らいつくように吸い上げると、「はっ、あっ、」と名無子が何か堪えるような吐息を漏らす。
目に見えて戦慄いた柔らかな肌に、マダラは知らず知らず喉を鳴らしていた。

「マダラ、さま…っ!」

最初の抵抗などとっくに失せ、力の抜けた様子の名無子を眺めながら、マダラは「やはり、」と心の何処かで呟く。

これまで名無子に手を出したことはなかった。どんなことがあっても、一線を越えることはなかった。
しかし、いつかそうなるのだろうと、漠然と感じ取っていた。

「やっ、痛いっ!」

あの台の上ではいくら切られようが刺されようが、そんな声を発したことはなかったのに。
そう思うと一層容赦なく名無子の腿に歯を立てるのを、マダラは止められなかった。


そうだ。こうなるのはずっと、時間の問題だった。

名無子をあの日、地下の実験場から連れ出したその時から。

最初はただ、純粋な実験対象のひとつに過ぎなかったのに。
その実験体が、いつも異様とも言える眼差しでこちらを見つめていたのに、すぐ気が付いた。
健気に己の後ろを付いて回りじっと見上げては、見つめ返してほしいと願っているのも知っていた。

そして名無子の瞳に宿る熱が移ったのか、いつしか自分も――、そこでどうしてか、マダラの胸の内に苦々しい思いが込み上げて、最後にきつく名無子に咬み付いた。

「うっ……うぅ……」

くっきりと名無子の肌に跡が浮いたのを確認してから、マダラはずれた仮面を被り直す。
そうして少し冷静になったのか、己の内から溢れだす苦味を舌の上に噛み締めた。

――名無子はただの実験人形だ。それ以上でも、それ以下でもない。
むしろそれ以上の関係を望んでくる名無子に、最初は気味の悪ささえ覚えていたはずだ。
そう自分に言い聞かせながら、マダラは立ち上がり名無子から離れた。

「……ちゃんと、手当てしておけよ」

どうにかそれだけ言い残して、部屋を去る。
絡みつくような、追い縋るような名無子の視線を、背中に感じながら。



***



けれども幸か不幸か、マダラが危惧していたその時は、名無子が待ち望んでいた“その時”は、そう遠くないうちに訪れた。


「名無子」

しばらくアジトを不在にし、数週間ぶりに顔を合わせた名無子が、こちらを見てさっと表情を曇らせたのを、マダラは目敏く読み取った。

「後でいつもの――」

「厭です」

「……何故だ」

「……だってもう……必要ないじゃないですか……あんな実験」

「何を言う……名無子、何かあったのか」

「なにも……なにも、ありませんよ。なあんにも……なかったじゃないですか……ずっと」

含みのある言い方をして、名無子は目を伏せる。

「もう、いらないじゃないですか……あの子がいれば、私なんて」

その恨みがましい調子に、マダラは言わんとすることを察した。

「サスケか」

名無子の眉がぴく、と反応する。


「名無子」

もう一度名前を呼んで、手を差し伸べる。
いつものように、その肩に手をのせようとして、拒絶された。

「いや、です」

これまで一度たりとも自分を拒んだことなどなかった、恐ろしいくらいに従順だった、あの名無子が。

繰り返すようにそう言って逃げた肩に、こちらを見ようとしない瞳に、マダラは、己の内で炎が揺らめくのを感じた。



――後になってみれば、このとき。いつも通りに振る舞い、いつも通りに終わっていたなら、二人の関係は、行き着く先は違っていたのだろうか。


「はっ、う、んぅ……っ」

強引に名無子の身体を割り開き、例の検査を終えた後で、やはり成果のなかった鬱憤をぶつけるかのように、マダラは名無子を組み敷いた。

「い、たッ…!」

そして手荒く仮面を外すと、すっかり跡の消えた名無子の腿に、同じ場所にもう一度咬み付く。


身体の中で煩いくらい血が湧き立っていたのも、鼓動が騒いでいたのも、きっと二人とも、最後まで気付かなかった。

はじめは意地を張り顔を背けていた名無子も、いつしか必死で腕を回し、広い背中に縋り付いていた。


「ふっ、ぁ……さみっし、かった、のぉ…っ!」

「……っ、」

「み、て……私っ、だけみて――っああ!」


溺れていくようだった。

先の見えない真っ暗な、熱くぬかるむ泥沼に沈んでいく中で、ただ互いの眼だけが、爛々と赤く脈打っていた。


「名無子……」



それから。マダラは、名無子の内腿の痕がすっかりと消え失せた頃に、また新しい咬み跡をつけるようになった。

そしてまた名無子も、それに呼応するように瞳の奥を燃え上がらせた。



(2015/08/17)


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