The Nightmare Before Halloween


「名無子さん、名無子さんッ!」

ガンガン!扉を叩くけたたましい音が、微睡む意識を眠りから呼び覚ます。

「う〜ん……」

うるさいなぁ、とぼやきながら、まだ重い目蓋をこじ開け、寝台からずるずると抜け出し扉へ向かう。

「名無子さんッ!トリックオアトリート!ですよ!」

ドアを開けるなり視界いっぱいに飛び込んできたのは、この季節にぴったりとも言えそうな、カボチャ色したぐるぐる仮面。

私は一瞬、向こうの壁にかけてあるカレンダーへ胡乱げな視線を投げかけてから、ゆっくりと口を開いた。

「……もう、なに言ってんの、トビ、ハロウィンはまだ先だって、言ったでしょう?」

「あれれっ、そうでしたっけ?」

目の前で「てへっ」、なんて相変わらず気味の悪いポーズをとってみせたこの男は、“暁”における私の後輩で、名をトビという。いっつもこの特徴的なお面を身に着け頑なに素顔を隠していたりと謎の多いヤツだが、それに加えて、お察しの通り、こんな早朝にも遠慮無く人の私室へ押しかけてくるような、なんとも厄介な人物だ。

「あっ、じゃあじゃあ先輩、この間言ってた例のアレ、完成したんスか?」

「んー?…ああ、そうそう、ちょうど昨日ね、頑張ってやっと完成したのよ」

“例のアレ”っていうのは、私が前々から制作に取り組んできた、とあるイベントで使う仮装衣装のこと。「どうせやるなら本格的に」がモットーの私は、任務の合間を縫って細々と、地道にお手製の衣装を仕立ててきた。

思えば先日も、こうやって部屋でせっせとひとり作業をしていたら、突然トビが乱入してきて、「あれっ、これなんスか?」、「え、ハロウィン!?……ってなんですかそれ?」などとしつこく絡んできたので、仕方なくあれこれ教えてやったのだ。

にしてもまだ寝ぼけ混じりの私に対する嫌がらせの如く「見たい見た〜い!」とトビが騒ぐせいで、強引に眠気を吹き飛ばされた気分。

「ほら、これ」

甲高い声を黙らせたくて渋々、部屋の奥に置いてあったソレを差し出すと、トビは早速受け取って目の前に広げた。

「おおっ!これはっ!かなりの力作ッスね!?」

「ふふん、そうでしょう?なかなかの自信作なんだから」

少しくたびれた風合いの真っ黒なマントに、揃いのジャケットとパンツ、それから白のブラウス。アクセントにはそれぞれ、目の覚めるような赤と少々のオレンジを入れてみた。こうして改めて見てみると、我ながら大した出来だと自画自賛したくもなる。

「さっすが先輩!」とまくし立てるように褒めちぎられては、いつもなら喧しいとしか感じないトビの声でも、正直悪い気はしない。

「ねえねえ先輩、せっかくなんだし、ちょっと着てみてくださいよ!」

そう言うトビにのせられるように、ついそのマントを手にとって、軽く肩から羽織ってしまった。

「どう?」

自分でもこうして身に着けてみると、ほぼ理想通りの完成度で、否応なく気分が上がってくる。

「あとは本番は、こんな感じで……」

手早く胸の前で印を結ぶと、ボフンッ、という音とともに術が発動する。こちらを見守っていたトビは、本日何度目かの感嘆の声を上げた。

「わっ、凄いっ、もう完璧吸血鬼っスね!その牙とかめっちゃリアルじゃないっスか!」

たかがハロウィン、されどハロウィン。どうせやるなら全力で、何事も気を抜かない、それが私の流儀。ただの仮装といってもとことん追求したい私は、実はこっそり変化の練習もしてきたのだ、ぬかりはない。

ちょうどいい牙の生やし方とか長さとか、いかにも恐ろしげに見える怪物的な肌の色とか、自分なりに試行錯誤して、いろいろ研究してきたこの成果。せっかくだし一足先に後輩にお披露目したとて、きっとバチは当たるまい。

「キャーなんかボク、興奮してきちゃいました!名無子さんみたいな吸血鬼になら、血を吸われたいッ!」

「もう、なーに言ってんのよ」

くねくねしながらトビがこちらへにじり寄ってきて、肩に腕を回し纏わりついてくる。

「いやでも名無子さん、せっかくここまで本格的になりきるなら、やっぱ吸血鬼は血を吸えないと!というわけでっ、ボクで練習してくれてもいいっスよ?」

ずいっとトビの顔、もとい仮面が近付いて来て、「さあ!」と言わんばかりに首を差し出される。

「……いやちょっと、……本気?」

「本気も本気っす」

「いやいや、……無理だよ」

だってそもそもトビ、アンタ、首まできっちり肌を隠してあるし。
目の前に広がる真っ黒な布地を眺めながらそんなことを考えていると、喉を鳴らすようにして、耳元で少し低く、トビが笑った。

「も〜う、じゃあ、しょうがないなァ」

「…?」

トビが一歩後ずさり、ボワンッ、と煙に包まれる。
その白い靄の向こうで赤が光った、黒が翻った、そう朧気に認識した、次の瞬間。

「……っ、トビ!?」

急に思い切り身体を抱き寄せられ、首元にぬるい息が吹きかかる。

自分が肩に掛けていたマントはずり落ちて、代わりに、視界の端で赤と黒の襟が揺れている。どうやらトビも変化の術で吸血鬼の格好になったらしいと、遅れてやっと理解した。

「こら、トビっ、放しっ…!」

「フフ、吸血鬼のお手本、見せてあげますね」

「――ンっ、」

制止する暇もなく、ちゅう、と音を立てて首筋に吸い付かれ、思わず妙な声が漏れる。背筋が震え、頬が一気に紅潮する。

「ちょっと、ふざけてるのっ!?」

「やだなァ、ボクは大真面目ですよ!」

最初は驚いたのもあって強く抵抗できずにいたけれど、二度三度と吸い付かれ、いよいよ腕に力を込める。なのにコイツはびくともしない。それどころか、ぬらぬらとさも楽しげに濡れた舌を這わせてきた。

クク、とやけに響く笑い声が、肌と耳へダイレクトに伝わってきて、背中から腰のぞわぞわが止まらない。

「ああ、そうだ、肝心のモノを忘れていたな」

「……っ? ッ、あああっ!!」

ボワンッ、とまた音がして、戸惑う間もなく。湿ったそこへ突如、激烈な痛みが突き立てらる。喉から、悲鳴が突き抜けた。自分の肌に液体が伝う濡れた感触と、それを吸い上げられる嫌な感覚。滴る水音。痛みと熱さが次々押し寄せる。

ドクドクと自分の鼓動がうるさい。心音が異常に早い、ような。気持ち悪い。痛みと不快感の連続。藻掻こうとしても一層深く抉るように突き刺され、もはや腕すら自由に動かない。文字通り、すっと血の気が引いていく。視界が、頭がどんどん、重くなって。気が、遠くなる。

「あ……、は……」

最後にぢゅっとまた音がしてようやく、トビの顔が離れていくのを、ぼうっと霞む意識で眺めていた。ずるりと引き抜かれたそこが溢れそうに脈打って、ぐずぐずになって、どうしようもなく疼く。

「名無子…」とトビがなにか口にしていたのも、もはや頭に入ってこない。――いや、さっきから。トビってこんな声だったかな。これも変化の術だろうか。思考がまとまらない。

……そういえば、仮面。今、してないんだ。でも、せっかくの素顔を、拝むだけの余力もない。

ただ、閉ざされていく視界で捉えたのは確かに、いつものオレンジ色ではなくて。爛々と光る、赤だった。ああ、そうだ。まるで血の色、みたいな。







「名無子さん、名無子さんッ!」

ガンガン!扉を叩くけたたましい音が、私を眠りから呼び起こす。

「う〜ん……」

ただですらクラクラする頭が、ぐわんぐわんと揺さぶられているようで。うるさいなぁ、と眉を顰めながら、どうにか重たい身体を引きずって、寝台から抜け出す。

ガチャ、と錠を開け、ドアを引くと同時に視界いっぱいに飛び込んできたのは、見慣れたオレンジ色のぐるぐる仮面。

「名無子さんッ!」

――あ、待てよ。

そのちょっとおいしそうなカボチャにも似た仮面を見た途端、ふっと閃いた。どうしてだろう、コイツはきっと次の瞬間。

「トリックオアトリート!ですよ!」

――やっぱり。

思い描いていた通りの言葉に溜息を吐きながら、私は壁のカレンダーを一瞥して、ゆっくりと口を開いた。

「もう、だからハロウィンはまだ先だって、言ったでしょう?」

「あれっ、そうでしたっけ?」

トビの「てへっ」なんてとぼけた気味の悪い仕草にどこか既視感を覚えるが、コイツはいつもこんな調子だから、仕方がないかもしれない。

「あっ、じゃあ先輩、この間の例のアレは完成したんスか?」

「ん?……ああ、そうそう、ちょうど昨日、やっと完成したのよね」

トビにせがまれ、部屋の奥に置いてあった仮装用の真っ黒なマントを手に取る。

一瞬その、漆黒の中で映える鮮やかな赤色が、まるで滲んで滴り落ちそうにも見えたけれど。私、疲れてるのかな。きっと気のせい、に、違いない。


END



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& Happy Halloween!


2015/10/18


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