※気持ちオビト生存ルート的な雰囲気です
柔らかく静かな薄闇の波間を、沈み込むように漂っていた。
ふと、己を包む静寂を分け入って、仄かな淡い光明が、ゆらゆらと揺蕩いながら現れる。
完全に瞳を閉じていたはずなのに、何故だろう、その光景は瞼の裏で鮮明に描かれた。
“オビト”
ふっと、一瞬だけ、触れるか触れないかの掠めるような温かい風が、頬を撫でる。
それはオレもよく知った、優しく慈しむような声色で。
その心地良い光が離れていこうとするのが惜しくて、一抹の寂しさに駆られる。
「名無子」
間違いようもない、その名を呼びながら。薄っすらと目を開けて、手を伸ばした。
「――きゃっ」
小さな悲鳴と、微かな衝撃が体を揺らした。目の前では、オレの体の上に覆いかぶさった名無子が、驚いたような顔で目を瞬かせている。
「ごっごめんね、起こしちゃって」
オレの胸の上に手をついてすかさず離れようとする名無子。
二人の間に生まれた隙間、その空間がやけに寒々しく感じられて、咄嗟に手を掴み、背中に腕を回し抱き寄せる。
「オっ、オビトっ?」
のしかかる重さが酷く心地良い。伝わる息遣いと鼓動に安堵する。
「……寝惚けてるの?」
オレの上に身を預けた名無子が何か言うのを、どことなく遠い出来事のように聞いていた。やがて黙っていた名無子がもぞもぞと体を動かしはじめたので、それを抑えつけるように腕に力を込める。
「オビト…ちょっと…」
流石のオレも、そろそろ。自分が寝惚けていたのだと、漸く気付き始めた。
「……名無子……」
ゆるゆると腕を解くと、名無子が身を起こす。
困った風だった表情が崩れくすりと笑うと、オレの胸の下辺りで縮まっていた毛布を、肩の上まで引き上げた。
「ごめんね、私ちょっと、行ってくるから」
そうして去ろうとする名無子の手を、がしり、今度は明確な意志を持って、オレは握り締めた。
「オビト…?」
「…何処へ行く…?」
「どこって…買い出しだよ…?」
「…………」
ああ、そうだ。意識が鮮明になっていく度に、じわじわと思い出す。今日は朝一番に出かけると、昨日から言っていたじゃないか。
「大丈夫?オビト」
じっと目を合わせたまま手を離さないオレの顔を覗き込んできた名無子に、自分でもどうしようもない感情が急激に湧き上がってくる。
「…名無子…」
「わっ」
再び強引に腕の中に閉じ込めると、そのまま顔を寄せる。とても柔らかい。名無子の匂いがした。
そのままどれくらいだったろう。手持ち無沙汰になっていた名無子がおずおずと、やっとオレの背に手を回した頃に、深く息を吐いて小さく呟いた。
「まだ行くな……」
これだけ行動で示していたらとっくに伝わっていたと思ったのだが、そうではなかったらしい。僅かに目を見開いた名無子を見て、どこか複雑な気持ちが込み上げる。
さら、と柔らかな髪に指を通し、今度はオレが名無子の体を抱き込む形で横になる。
名無子の首筋に顔を埋めると、くすぐったそうに身を捩った。
少し顔を上げて名無子の顔を見ると、薄く頬を染めて、眉を寄せている。
「オビト…?」
オレを見つめる瞳はゆるく潤んで、唇はきゅっと小さく結ばれている。気恥ずかしそうに身を縮こまらせている名無子を、このまま離したくない。ずっと傍に置いておきたい。
「――んっ…」
色付いた頬に、吸い付くように口付けた。ぴくりと名無子の体が強張って震える。
戸惑うように揺れている二つの瞳。柔らかな肌の感触に掻き立てられて、誘われるように唇を合わせる。
触れるだけでは物足りなくなり、下唇を甘噛して柔く吸うと、名無子の手が弱々しくオレの服を掴んだ。
好きだ、愛している。
こんな時、頭のなかでは幾らでも浮かんでくるのに、それを口にすることを躊躇してしまう自分がいた。
怖いのだ、このオレが。名無子に愛し愛される、それを改めて言葉に、形にしてしまうことが恐ろしい。
これまで好き勝手にやってきた、そして名無子を傷付けてきた。それでもオレと共に生きることを選んでくれた名無子と、一度は想いを通わせ合ったはずなのに。手に入れた幸福は、いつしか限りない欲求へと膨れ上がり、同時に喪失への恐怖となってオレを苛んだ。
「名無子…」
名を呼べば、“オビト?”と首を傾げ応える名無子の声、唇。滑らかな曲線を描く肌。熱に揺れる双眸。献身的にオレに付き従い、口にせずとも慕情を滲ませてくる名無子を欲望のままに征服し、支配するのは簡単なことだ。だがいつだって、過去の自分がオレを責め立てる。
「オビト、」
名無子がこんなにも綺麗に笑うのだと、こんなにもいじらしく愛らしいのだと、今更のように気付かされてしまう。それを見て見ぬ振りをしてきた、過去の自分の影が、いつまでも付き纏って離れない気がした。
***
もうそう早くない時刻に目覚めて、オビトがまだ眠っていたものだから少し驚いた。最近はしばしばこういうことがあった。私の隣で彼が熟睡してくれているという事実がたまらなく、言葉で表せないような感動となって込み上げる。
だからすっと起き出して、彼を起こさないように注意して離れ、身支度を整えた。
本当は断ってから行くべきなのだろうが、あまりに安らかな顔で寝ているものだから、起こすのは忍びない。
出て行く前に、いつの間にかくしゃりと払いのけられていた毛布をかけ直してあげようと、彼にそっと近寄る。眠っている顔は、案外幼い。
“オビト”
込み上げる愛しさのままに、心の中で名前を呼ぶ。そうして手にかけた毛布を肩のあたりまで引き上げ、そのまま離れようとした、そのときだった。
「――きゃっ」
目の間に、薄く目を開いた彼の顔。いきなり腕を引かれ、覆いかぶさる形になってしまった。
「ごっごめんね、起こしちゃって」
咄嗟に起こしてしまったのだと思い謝りながら身を起こすが、オビトがそれを許さない。
「オっオビトっ?」
まだぼんやりとして見える彼は、どうやら寝惚けているらしい。しばらく押し問答を繰り返しているうちに目が覚めてきたのか、腕が緩んだので今度こそ離れようとするも、また手を掴まれてしまった。
「…何処へ行く…?」
「どこって…買い出しだよ…?」
もうすっかり起きたと思ったのだけど、いつもより多めに眉間に刻まれた皺と、覚束ない口調から、やっぱりまだ意識ははっきりしないのかと思った。
「わっ」
そうこうしているうちに、また彼に抱き寄せられ拘束されてしまう。
「まだ行くな……」
そう言いながら甘えるように身を寄せてくる彼に、まだ寝惚けているのだと分かっていても、こちらが恥ずかしくなってくる。こんな風に気を許した彼の様子は、いまだにちょっと慣れない。
「――んっ…」
頬に、唇に口付けられて、ぎゅっと目を瞑る。
「名無子…」
呼ばれて目を開けると、優しく私を見つめている彼の瞳とかち合う。いつだって私を惹きつけて止まないその瞳が不意に、なぜだか少し翳った気がして。
「オビト、」
今度は私が彼に腕を回し、お互いに抱き合う。
「好きだよ……」
言葉だけでは伝わらないかもしれない、だからせめて、精一杯力を込めて。
「好き…」
本当は少し怖かった。彼への好意を露わにするのは、いつだって痛みを伴った。彼は私の思いに応えてくれないのではないかと、私の思いなんて煩わしいのではないかと、そんな恐怖が襲ってくる。だから一度は、諦めようと思った。けれど諦めきれなくて、彼への思いは断ち切れなくて。
夢のように彼と心を通わせた今でもそれは消えない。だけどそれでも、私の傍にいてくれると言った彼が、悲しそうに顔を歪めるのはもう見たくなかった。彼の憂いを少しでも取り払いたかった。だから私は、ただ微笑みながら、彼を抱きしめる。
そして恐る恐る顔を上げようとすると、また口付けが降ってきた。
「ふ…ん…」
さっきよりももっと、熱いくちびる。
「名無子、愛してる」
その言葉が胸を締め上げる。私を包む彼の体温が、どうしようもないほどの歓びとなって広がる。
あなたが愛おしくて、愛おしくて、今でも夢じゃないかと思うときがある。
この夢の続きがいつか終わってしまうのではないかと、不安に駆られることがある。
けれど今、この身から溢れる幸せは、あなたへの愛は、決して消えはしない。誰にだって、奪えはしない。
だからまた、笑って。
“あなたの傍にいたい”、その夢が叶ってもまだ、私が密かに願うことくらいはきっと、許されるよね。幸せになろうEND
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(2015/03/08)