※現パロ、社会人設定

※某サイト様の現パロ夢にインスパイアされて書いたお話です。管理人様より承諾を得て執筆・掲載しています。




「ねえ、私もいつか、幸せになれるかな?」

生まれてはじめて、こんなホテルに連れてきてもらった。高い高い、一面の硝子窓から見渡す景色は、散りばめられたビルの灯りと、星々の光で満ち満ちていた。

「オビトさん」

隣にいた彼と向き合う。いつだったか私が“一目惚れ”した、両の眼と眼がかち合って、そのままふっと、彼は微笑んだ。

「名無子――」

顔と顔とが近づく。私はそっと、瞳を閉じた。



* * *



そう、私たちの出逢いは突然だった。

「おはようございます」

通い慣れたオフィス。代わり映えのしない、毎日の中。もう何度そこへ乗ったかもわからない、いつものエレベーターで、私は“彼”と出会った。

「……ああ、おはよう」

社員証もしてない、見覚えのない人が乗り込んできたから、きっと外部の人だろうなと思って、軽く会釈した。

「どちらまで行かれますか?」
「あぁ、9階で」

なんということはない。操作盤の「9」と「閉」を押して、あとはあっという間にエレベーターが昇っていく。

「……君、名前は?」
「え?」

ピンポーン、と音が鳴って、扉が開く直前、急に彼は言った。振り向くと、彼はちょうど私の胸元へ目を落として、

「名無子か」

と呟いた。それが私の名札を確認したのだとわかるまで、二拍ほどかかった。

「あっ、はい……」
「覚えておくよ」

「ありがとう」と降りていく前に、確かに、彼と目が合った。

――ねえ、陳腐な話かもしれないけれど。
私あのとき、はっきりと。「今までにない、恋に落ちた」って。強く強く、感じていたの。



後から知ったことだけど、彼は取引先の“お偉いさん”の一人だった。まさか、と正直驚いた。だって見た目はまだ全然若くて、そんな年齢にも見えなかったから。私とも一回りも離れていないんじゃないかって、勝手に思っていた。

「……ねえ、名無子」
「えっ?」
「朝から随分、上の空じゃない。顔、緩んでるわよ」
「ごっ、ごめん」

不思議なことに、それから私は、何度か彼とあのエレベーターで鉢合わせることになって。もっと話してみたいな、と焦がれていたのが表に出てしまったのか、少しずつ言葉も交わせるようになっていって、嬉しくて嬉しくて、友人たちにも「わかりやすいね」とからかわれてしまう始末だった。

「じ、実はね」
「うん?」
「今日、ランチに誘われたの」
「……はっ!?」

嘘みたいだって、たぶん誰よりも私がそう思っていた。周りから根掘り葉掘り訊かれそうになったけれど正直自分のことで手一杯で、それどころじゃなくって、何もかも手につかなくなりそうだった。



“彼”との夢のような時間は、あっという間に過ぎた。最初は緊張ばかりでろくに記憶がないけれど、彼は外見以上に親切で、喋りやすくて、気配りも本当に上手で、私たちは気がつけば徐々に打ち解けていった。そもそも私は、異性からこんなふうに丁寧にエスコートされたのがはじめてだったから、完全に舞い上がってしまって、文字通り“夢中”になっていった。

「名無子」
「はい、オビトさん」
「今夜、空いてるか?」
「うん……もちろん」

名前どうしで呼びあうようになったのは、一体いつ頃だったか。あなたとの夜が待ち遠しくなったのは、一体いつからだったか。



「ねえ名無子、例の彼とはうまくいってるの?」
「え? まあ……うん」
「ふーん? よかったね、名無子って、惚れっぽいから」
「や、やめてよ、そういうふうに言うのは」

こういうときは、「女って、何歳になってもこの手の話題が好きだな」って実感する。不名誉なことになぜか「恋多き女」として扱われてきた私は、格好の話のタネにされた。

「だって、ね、こないだの部長の話なんてさ、」
「やっ、やめてって! 今回は絶対そんなんじゃないからっ!」

……確かに、その、私はなんというか、報われない恋に踊らされてきたというか、夢を見がちというか。自分で言っていて悲しくなるけれど、事実ではあった。でもきっと、“彼”は違うんだって。ひと目見たときから、感じていた。信じていたの。



「オビトさん。今度の日曜日、会えますか?」
「……日曜日? 11日か」

その日は久しぶりにディナーに来ていた。オビトさんも私も仕事があるし、なかなか自由に会うことはできなくて、自然と、逢瀬は夜になることが多かった。それに、彼は私と違って立場が立場だったから。あまり堂々と交際することもできなくて、実はお互い“お付き合い”していると、周囲に名前を明かしたことはなかった。

「はい、あの……できたら、渡したいものがあって……。今度、バレンタインだから」

2月14日、バレンタインデー。彼はこういうの、好きではないかもしれないけれど。私としてはやっぱり、否が応でも心ときめかずにはいられないイベントだった。

「そうだな……。例の案件がどうなるかにもよるんだが……様子を見て、また連絡するよ」
「はいっ、あの、無理はしなくていいですから……」

それから二日後。彼から、ホテルを予約しておいたと、連絡があった。



* * *



彼と付き合うようになってから、今まで行ったことのないような場所まで足を運ぶようになった。今回のチョコレートだって、今まで買ったことのないような、高価なチョコレートだった。奮発して、彼のために買った。もちろん、愛情は値段じゃないんだって、きっと彼もそれをわかってくれるって知ってはいたけれど、それでも、“彼に相応しい女になりたい”って、できる限りの努力はしたかった。

……のぼせ上がってるって? そうかもね、だって私、男の人とこんな関係になれたの、はじめてだったんだもの。いつだったか彼が、「背伸びしなくていい」なんて頭を撫でてくれたのを覚えてる。


「すまない、待たせたか」
「ううん! いま来たところです」

――バレンタイン、当日。
思いの外はやく時間ができたからと、オビトさんと少し、街を歩くことにした。こんなふうに、まるで普通の恋人みたいに出歩けることは滅多になかったから、私は自分の幸運に感謝した。

「ほら、名無子」
「え?」
「あれなんてどうだ?」
「えっ、あれを……私が? 無理無理、絶対似合いませんって!」

「そうか?」と彼が悪戯っぽく指差していたのは、ショーウィンドウの向こうに飾られた、艶やかできらびやかなドレス。とても私には着こなせそうにないと、思わず赤くなった。

いつしか私は彼に手を引かれ、夜の街を歩いていた。まだそう遅くはない時間だったから、たくさんの人たちが行き交っていて、中には、家族連れもいた。

「……名無子?」
「――あっ、はい」
「どうかしたのか?」
「……なんでもないです」

目で追っていたのがバレたのだろうか。まさか、言えるわけない。仲睦まじい夫婦と、その間で笑顔を浮かべた男の子。その姿に、自分を――自分たちを、重ねてしまっただなんて。

「そろそろ行くか」

どこへ、なんて今更言うまでもなく、ただただ私は、黙って頷いた。



* * *



ホテル、といっても私はてっきり、彼と何度か訪れた“いつもの”感じを想像していた。けれどその日は、明らかに“ワンランク上の”ホテルに来ていた。

「だっ、大丈夫なんですか?」
「フッ、なに焦ってるんだ」

確かに、その日は気合を入れて、身だしなみも完璧にしてきたつもりだった。けれど、明らかに場慣れしていない私は浮いていやしないかって、そわそわしてしまう。

オビトさんの誘いで、バーにも連れて行ってもらった。でも完全に上がってしまっていた私は、度数の高いお酒をグイっといってしまって、さっさと部屋へ戻るはめになった。


「少しは落ち着いたか」
「はい、すみません……私、情けなくって」

せっかくの大事な日なのに。酔いもあって、自分のダメさ加減に涙が出そうになる。

「いや、謝るなって。気にしてないさ」

オビトさんが、私の額を撫でてくれる。目を細め笑いかけてくれた彼の表情に、胸が締め付けられる。

「私、まるでオビトさんに釣り合ってなくって……何から何までダメで」
「そんなことないさ」
「でも、こないだも……仕事でもミスしてしまったし」
「誰にでもあることだよ」
「でも、でも……」

以前、はじめてオビトさんとお酒を飲んだとき。確かそのときも、色々弱音を聞かせてしまった気がする。

『私、ほんとうは今の仕事、向いてないのかもしれない』
『ん? どうしたんだ、急に』
『本当は……本当は私、コネで入れてもらっただけだから』

そうだった。私、だいぶ前に家を飛び出して、知らなかったんだけど。父さんが本当はどこかの会社の役員かなにかで、就職が決まらなくて困り果てていた私を密かに“コネ入社”させてくれたんだって、後々になって知った。

『私、小さい頃、自分の家にいるのが苦手で……父さんと母さんがいつも、怖い男の人と会っていたんです』
『……』
『背が高くて、目つきが鋭くて……髪の長い、男の人。あの人が来ると、決まってなにか、悪い話をしてるんだって……子供心に感じてたんです』

きっとなんの面白味もない、私の身の上話とか。将来への不安とか、本当にしょうもないことばかりとりとめもなく喋った。それでもオビトさんは、嫌そうな顔ひとつせずに、ときに頷きながら、励ましながら、耳を傾けてくれた。そう、いつだって。ずっと悩んでいた仕事のことも、家のことも。誰にも言えないようなことまで、私のすべてを、彼は受け止めてくれた。見守るような眼差しで、そんな私に「好きだよ」と囁いてくれた。


「名無子」
「っ?」

不意にオビトさんは私の手を取って、窓際へと連れて行く。

「あっ……」

思わず、ため息が漏れた。視界いっぱいに広がる大パノラマに、考え事も吹き飛んだ。

「ほら」

彼に促されるまま見上げると、冬の冴え渡る夜空に、ちかちかと数え切れないほどの星が瞬いている。

「きれい……」

ああ、それはまるで。さっき街で目にした、きらきらの、スノードームみたいで。眩しくて、華やかで。どうしようもなくドラマチックで。


「……ねえ、私もいつか、幸せになれるかな?」

そんな言葉が口をついて出たのは、あのときの、幸せそうな家族の顔を思い出したせいだろうか。

「オビトさん」

「名無子――」



* * *



本当は、チョコを渡さなきゃって思ってたのに。流されるがまま、いつの間にか、裸になって二人、横たわっていた。柔らかなベッドの感触も忘れるくらい、私たちは愛し合った。

「オビトさん……」
「名無子……」
「好き……」
「……」
「好き、だよ……っ、あいしてる……」

握りしめ絡め合わせた指を手のひらを、彼がシーツへ沈めた。



「……、――」

どれくらい経った頃だろうか。ふと肌寒さを感じて目を開けると、隣に彼はいなかった。

「……オビトさん……?」

いつの間にか、窓の外は少し白んできている。目蓋をこすり身体を起こすと、ガチャリ、と遠くで音がして、それから彼が現れた。

「すまない、名無子。起こしたか」
「ううん……。タバコ?」

戻ってきた彼の身体からは少し、煙たい匂いがした。オビトさんは普段、あまりタバコは吸わないのだけど。行為の後にはこうして、しばしば、吸うことがあった。

「ああ。少し、シャワーを浴びてくる」
「うん」

彼がシャワールームへ消えてから、もう一度私は、ベッドに横になる。
窓から差し始めた朝日を感じながら、うとうとと、夢の波間に船を漕いでいた。

ピロピロ、ピロピロ、と、聞き覚えのあるメロディが鳴り始めたのは、しばらくしてからのこと。

けだるい身体をどうにか起こすと、ちょうど頭を拭きながら、奥からオビトさんがやって来たところだった。

それからすぐに、パタン、と音がして、オビトさんが部屋から出ていったのを知る。

あれはそう、忘れようもない、彼の「仕事の着信音」だった。


「すまない」

戻ってきた彼がすぐ、そう切り出したのも慣れたもので。

「ううん、気をつけて」

せめて少しでも“いい顔”で見送りたくて、急いで身なりを整えておいた。

「また連絡するよ」
「うん、私も」

そう言って触れるだけの、優しいキスを交わして、彼は風のように去っていった。
見れば窓の外には、昨夜の景色が嘘だったかのように、朝の帳が下りていた。


それから彼とは、二度と会っていない。



* * *



「おはようございます」

通い慣れた、いつものエレベーター。今でももしかして、また彼が乗り込んでくるんじゃないかって、そう思うときがあるの。でも見かけるのは、彼じゃない顔ばかり。

涙が出ないのかって? まあそりゃあね、泣かなかったと言えば、嘘になるよ。
彼にとって私は、遊びだったのかな。……それとも。

でも私、彼との時間を、後悔していないから。甘い甘い、まぼろしを見せてくれた彼。風のうわさで、どこかの“ご令嬢”と結婚することになったって、わたし聞いたよ。

……それにね、考えてみたら。私いつも、自分のことばかりで。実はオビトさんのこと、あまり知らなかった。好きな食べ物も、年齢も、誕生日さえも。愛おしいとさえ思っていたその顔の傷跡だって、どうしてついたものなのか、結局訊けずじまいだった。

彼が私にくれた贈り物ならいくつかあるけれど、振り返ってみれば、彼に繋がるような痕跡はほとんど残っていない。私のもとにあるのは、ただ渡しそびれたチョコレートの箱くらい。あとは跡形もなく、彼は私の日常から煙みたいに消えてった。


『私もいつか、幸せになれるかな?』

ねえ、あのとき。あなたは、どう思っていたの、オビトさん。

……わからない。わからないけど、思い出す。冬がくるたび、強く思う。

『……名無子』
『好き、だよ。オビトさん』

きらきらと、浮かんでは散って、浮かんでは散って、消えていった。恋い焦がれた日々。幻みたいに、夢みたいに、煌めいていた。

あなたがくれた、魔法のような時間。私きっと、忘れない。


END

(2018/02/12)

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