「ねえねえトビくん、今日の夕方あたり、時間ある?」
逸る気持ちを抑えながら、私は彼の背中にそっと声をかけた。
「え?今日っすか?」
きょとん、とした様子で振り返ったトビくん(…というのも彼は仮面をつけているので、あくまで私の想像に過ぎないのだけど…)は、大げさに首を傾げてみせた。
「何かあるんスか?」
「いやね、特別なにかあるってわけでもないんだけど……」
おずおずと、用意してあった小さな箱を彼の前に差し出す。
「ね、ほら、今日節分だから。一緒に豆まきでもしないかなって思って」
彼の返事が返ってくるまで、私はもうそれはそれは心臓をドキドキさせて待っていたのだけど、そのドキドキは、数秒も経たないうちに呆気無く吹き飛ばされてしまった。
「え?豆まき? プフッ、」
口元に手を当てて、彼はケラケラと笑った。
「何かと思えば、豆まき、って!っフフ、デートのお誘いかと思ったのになァ!」
あーあー、残念だなあ、なんてわざとらしく言いながら、トビくんは続ける。
「悪いっすけど、ボク、名無子さんと違って暇じゃないんで、今日は無理っス!」
その言葉を聞いて、カアっと顔に熱が昇る。恥ずかしさと、そしてほんの少しの、怒りだった。
「な、によ……っ!」
「へ?」
「私、だって…!」
赤らむ顔を伏せて、ぐ、っと拳を握りこむ。
「私だって、ほんとうは、デートにだって、誘いたいのに…!」
トビくんと私とは、少し前から晴れて恋人同士となり、交際をスタートさせていた。
けれども仮にも私たちは犯罪者集団“暁”の一員であり、おいそれと一般人のような付き合いはできない。
だから恋人らしいイベントなんて全スルーで、二人きりの時間なんてものもほとんどなくて、そんな中でせめてなにかできることはないか…と思って、私なりに色々考えてみたのに。
「トビくんのバカっ!」
「イタッ!」
無造作に手元にあった箱に手を突っ込んで、掴めるだけ豆を引っ掴んで、思いっきり目の前の仮面にぶつけてやった。
面をしているんだから痛いわけもないのに、怯んだフリをするトビくんにまた怒りが湧いてきて、何度も何度も豆をぶつける。
「痛っ、ちょっともう、ボクだって怒りますよっ?」
気がつけば手元の豆はすっかりなくなっていて、それどころか、どうしてかトビくんにぶつけたはずの豆もどこにも落ちていない。
頭に浮かんだ疑問符が解消される間もなく、「ふぅ〜」なんて言いながらトビくんがスッスッと手先を動かし始めた。
「…えっ、」
そう、彼の手は間違いなく印を結んでいた。
怒る、って言ったって、たかが豆をぶつけたくらいで、そんな……と内心焦る。
「秘術!!」
全く見たこともない印だったし、彼が声を張り上げてそんなことを言うものだから、何が起きるのかと咄嗟に身構えた。
「――豆撒乱舞!!!」
「……っ、い、いたっ、ちょっと、――ッ!」
豆。
豆、豆、豆、豆。
雨あられのごとくあたり一面に豆が乱舞し、私の体にも容赦なく豆の粒が打ちつける。
いったいどんな原理なのか、なんて考える暇もない。
「あっはは、名無子さん、今回はこれで勘弁してあげますよ〜」
一通り豆を撒き終わったのか、トビくんは呑気に笑いながらヒラヒラと手を振ってみせた。
「……、」
ボロボロ、と私の頭の上に残っていた豆が零れて、床に落ちる。
「なんで……」
「え?」
ぽつり、私の口から零れそうになった思いは、うまく言葉にならず掻き消えた。
「名無子さん…?」
俯いたまま、無言で背を向けた私へ、トビくんの訝しげな声が追い縋る。
それを無視して足を進めれば「ねえってば!」と強引に肩を掴まれる。
「名無子さん、」
「放してよトビくん、ほら、豆片付けなきゃ」
その手を振り払って、トビくんがなにか言いかけたところで、彼は急に動きを止めた。
「…?」
「…取り込み中に悪いんだけどさ」
「…ゼツさんっすか…」
私とトビくんの間に、にゅっと前触れもなく人影が現れる。
「トビ、リーダーが呼んでる」
「……」
なんとなく躊躇うような様子が伝わってきたので、私は意地になってそっぽを向いた。
「……ほら、早く行けば?」
「でも……」
「私と違って暇じゃないんでしょ?リーダーに怒られちゃうよ?」
結局ゼツにも急かされて、トビくんは「すぐ戻ります」なんて言いながら去って行った。
「……なんで」
ひとりきりになった寂しい空間で、散らばった豆たちをホウキで掻き集めていく。
「なんで、うまくいかないんだろう」
私はただ、トビくんともっと一緒にいたいだけなのに。
彼のことをもっと知りたい。彼ともっと触れ合いたい。たったそれだけなのに、うまくいかない。
そんな気持ちを知りもしないトビくんに、歯がゆさともどかしさが募った。
***
「ただいま戻りましたー!」
それからすっかり日が暮れた頃、トビくんはようやく私の元へ帰ってきた。
「名無子さん?いい子にしてましたか?」
私は椅子に座って頬杖をついて、だんまりを決め込んだ。
「あっ、名無子さん、ちゃんと豆片付けたんスね!エライエライ!」
私の態度にもめげず明るいトビくんは、ドサッと私の目の前にいきなり包みを置いた。
「頑張った名無子さんへのご褒美…ってか、お土産、買ってきましたよ」
私が黙っている間にも、トビくんはベラベラと喋り続ける。
「も〜うこれ買うの超大変だったんスよ?ほら見て、ジャジャーン!海鮮スペシャル恵方巻きー!」
わーおこれはすっごく美味しそー!なんて自分で盛り上げているトビくんについ呆れて、気が緩んでしまう。
「…私が食べ物で釣れるとでも?」
「そんな!ボクだってですね…さすがにさっきは、悪かったなって思いまして」
トビくんはさらに、包みからいくつか小袋を取り出した。
「じゃん!新しく豆も買ってきましたし!二人で節分、しましょう?」
「……、うん」
早速、トビくんが買ってきてくれた恵方巻きに、二人並んで手を付ける。
「恵方巻き、ってさ、目をつぶって、喋らないで一気に食べなきゃいけないらしいよ」
「ふーん、ま、このくらいのサイズ名無子さんならペロっと…ぎゃ!」
「それじゃあ、いただきまーす」
「っ、いただきまーす!」
確かに、トビくんが買うのに苦労したと言っていただけあって、それはもう海の幸たっぷりの豪華な恵方巻きだった。味も申し分なかったに違いない。
けれども私は、半分も食べないうちにあることに気がついてしまって、それどころじゃなかった。
「(あれ…もしかして今って…トビくんの顔…)」
よく考えてみたら、トビくんがまともに食事をしている場面なんてはじめてだ。
そして食事をしているということは、つまり。その仮面の下の素顔が見えるということで。
「(き…気になる…っ)」
実はというかなんというか、私はまだトビくんの素顔を見たことがない。
だから急に降って湧いたこのチャンスに、ひどく動揺していた。
とにかくこの恵方巻きを少しでも早く食べて、トビくんの顔を見てやらねば…!と必死になりながら、やっと全て完食しようかというそのとき、すぐ近くで、フフっと、小さく空気が揺れる気配がした。
「――え……」
ふに、と。
どうにか恵方巻きを呑み込んで、一息つこうとした口元に、柔らかな感触が落ちる。
「ごちそうさまでした」
呆然として目を見開いた頃には、もうトビくんはすっかり恵方巻きを食べ終わっていて、傾いた仮面の端に手をかけながら、じっとこちらを見ていた。
「……ごちそう、さま、でした……」
「ウフフ!おいしかったですね」なんておどけているトビくんが、なんだかいつもと違って見えて。先程とは全く違った感情のせいで、カアっと頬に熱が篭るのを感じる。
やけに騒ぎ出す心臓を止める術なんて、今の私にはなにもなかった。
冬 来たりなば 春 遠からじ
「さーて、気を取り直して、いっちょ豆撒きまくりますかね!」
「ちょっと、さっきみたいのは勘弁してよ」
「アッハハ、そう言わずに!せっかく開発した新術なんだしっ、ここはパーっとハデに!」
「…あっ、トビくん、ちょっと待っ――」
「秘術!豆撒乱――」
「ったくおいトビ!こんなとこにいやがったのか!」
「ゲっ!?」
「あー…」
「………、」
「あははァ…デイダラ先輩…これはその…すんません…」
「(あーあデイダラ…すっごい豆まみれ……)」
「トビィ……」
「ヒッ!」
「覚悟はできてんだろうなァ…!?」
「――ッ、アアアアア゛ア゛ア゛!!!」
――その後、しばらくの間激しい爆発音が鳴り止まなかった。
「……あ、トビくん、おかえり。生きてたんだ」
「生きてたんだ、ってそんな、名無子さん、冷たいっスね…トホホ…」
「それよりトビくんも豆、食べる?歳の数だけ食べるんだよね」
「ああ……そっすね……せっかくだから、もらいましょうか」
「(やった…これでさりげなくトビくんの年齢が明らかに…!)」
「ざっと、まあこんくらいすかね」
「えっ!?」
「? なんすか名無子さん?」
「いやっ…ううん…なんでもない…」
「??」
「(い、言えない…トビくんこんなに食べるの?なんて言えないよ…ああ…もしかして…これは思ってたより、トビくんって、かなり……目上?)」
「どうかしたんスか?そんな真面目な顔して」
「…あのね、トビくん。今度から、“トビさん”って呼んだほうが、いいかな?」
「え?」
――ついでに後日、この一件でお互い組織の経費からちょっとばかしちょろまかしていたのがバレた私たちは、角都さんにこっぴどくイヤミを言われることとなった。
「ううっ…罰として単独であんな厄介な賞金首を狩ってこいだなんて、あんまりだよ……ねえ、どうしよう、トビさん?」
「あの、やっぱそれ、調子狂うんで、やめてもらえません…?」
END
(2016/02/03)