名前を知らない世界 6 | ナノ

名前を知らない世界

「アメンボ赤いなぁあいうえお〜」
「…それは譜歌とは言えないんじゃないか?」

 デスヨネーなんて良いながらパンを頬張る子供にため息をつく。隣では楽しそうに笑いながら朝食をとっている弟の姿、嫌いなニンジンを子供がお皿に移しているのを仕方なさそうに笑って、その代わりにエビを与えているのを見て甘やかすなという意味も込めて後頭部を軽く小突いた。

「ルーク、イオン様に目をつけられただろ?」
「うっ……」

 マルセルが告げた言葉にパンをかじる手を止めて視線を彷徨わせた子供が気まずそうに両手を膝の上に乗せる。

「記憶だって虫食いで…譜歌が無いと俺、何も出来ないみたいで……。ダアトが危険だとは思わなかったから…」

 しどろもどろになりながらつぶやかれた言葉。嘗て敵として相対していたはずのレプリカの子供は、自分の救いの光となって目の前に現れた。ルーク・フォン・ファブレ、それがこの子供が嘗て"奪った居場所"の名前だった。目的の過程の一つだと、それを顧みたこともない。というのに、今の自分はそれを酷く後悔しているようであった。

 嘗てリグレットとして子供と相対したジゼル・オスローは弟マルセル・オスローとルークを見比べて少しだけ微笑んだ。ルークがいてくれたから、マルセルは今もこうしてここに居てくれている。
 預言はこんなにもあっさりと変わってしまうものなのだと、生の終わりにいつも強い悔恨の思いに苛まれると言うのに、この子供がいるだけでこんなにもあっさり後悔の糸は断ち切られてしまう。

「大丈夫だ。ここに居るなどとばれはしない」
「髭にも腹黒お子様にも手出しなんかさせないから安心しろって」
「ジゼル、マルセル…迷惑かけてごめんな」

 シュンとうなだれるその姿が小動物の様で、その可愛さに以前気付けていれば…何か変わったのだろうか、等と愚かな思いに目を伏せる。

「ルーク、何故譜歌が必要なんだ?」
「意識集合体達を呼ぶ為に必要らしいんだけど……俺もいまいちよくわかってないんだよな。」

 敵同士だったと言うのに随分と信用されているものだと思う。何の疑いもなく、ここに留まっているし、食事をとる。そして、聞いたことには言葉を濁すこともなく答えるのだ。

「ユリアの譜歌じゃないといけないのかもわかんないし…」
「ヒントは譜歌だけかぁ」
「てか、良く考えたら俺が歌うのかどうかも…『ルーク、譜歌を…』としか言われなかったからなぁ」

 早速手詰まり状態な状況にルークだけではなくジゼルも困ったように肩をすくめた。

「ルークお前は閣下にも、その存在がばれているのだろう。導師がルークに執着しているのもあまり良い状況とは言えない。ここを移動するのもまた一つの手か…」
「姉さんと俺だったら護衛とかでも食っていけるしなぁダアトの必要はないか」
「え?え?」

 思い立ったが吉日と言わんばかりに彼らは立ち上がったかと思うと、テキパキと家の中を片付け始めた。ジゼルは大きなかばんに必要なモノを詰め込み始めるし、マルセルは家財道具を手にどこかへと行ってしまった。

「譜歌と言えばダアトよりもユリアシティだ。」
「え、ちょっと…ジゼル?」

 あっという間に大きな荷物二つをまとめると、ジゼルはマルセルの分の辞表を書き始める。ちなみにこの時リグレットは神託の盾騎士団所属ではなく、ローレライ教団の一教団員である。

「三人分の旅券の発行か…ルクス…」
「ふぇ?」
「ルクス・オスロー…お前は今日からうちの子だ。」

 それなら発行もしやすい。と手早く必要書類を集めまとめたかと思えばさっさと居なくなってしまった。

「お、荷物整理も終わってるな。明日にはここは引き払われてるはずだから、ほら荷物持っていくぞ。姉さんは教団本部だろ?」
「う、え?え、え?」

 帰ってきたマルセルが困惑して座ったままのルークの手を取り、ジゼルがまとめた荷物二つを担いで家を後にした。

「旅券の発行もできた。ほらルークお前の分だ。お前の戸籍もなんとかなった」

 ダアトの事務処理は杜撰なおかげで、戸籍手続きも旅券発行も一日で終わった。手渡された旅券はダアト発行の印が押されている。

「さ、目指すはユリアシティだ!」
「姉さんユリアシティって何だ?」
「馬鹿な男とその妹がいた鬱屈した場所だ!」

 ずるずると引き摺られながら、彼らのやりとりにすらついていけず気がつけばルークは彼らと共にダアトの港から出ている連絡船の上だった。



「わ〜本当に陰惨で鬱屈した場所だな」

 良い笑顔で笑うマルセルの隣に棒立ちでいるルークは困ったように聳え立つユリアシティを見上げた。

「教団を辞めて、家まで引き払っちゃって…大丈夫なのか……」
「お前と離れたら私たちは世界の強制力の下に戻ってしまう。しかし、教団から抜け家が無ければ以前の様な行動をとるのは難しい。これはある意味でその対策だ。お前が気に病む必要はない。」

 きっぱりと言い切ったジゼル。それはどこか胸を張っている様な自信すら感じさせる。

( それにしたって思い切りがよすぎるって言うか… )

「まあ、こんなところに住み着きたくはないから別の場所に移動するつもりではいるがな」
「…?」

 ジゼルのその言葉には何らかの意味が含まれている様な気がしてルークは不思議そうに首をかしげた。

「さて、譜歌だ。譜歌!」
「…貴方達、譜歌について調べているの?」

 突然現れた女性。見覚えが無い。いや、もしかしたら在るのかもしれないが、その部分の記憶がルークには無かった。声をかけられた時の雰囲気からジゼルの知り合いでもなさそうだった。

「私はレイラ、友人に譜歌に通じる人がいて譜歌について調べているの」
「都合いいな」

 マルセルの思わずと言ったつぶやきにルークもコクコクと頷いていた。

「もしよかったら紹介しましょうか?」
「ああ、よろしく頼む」

 この時点でリグレットには誰を紹介されるかわかっていたが、ルークは不思議そうに首をかしげていた。ルークが持つ記憶はディスト、グレン、ヴァン、リグレットから見たルークの記憶だけだ。ルーク自信の記憶も彼らが関わり合った他の人間の記憶もルークは有していないから当然だった。

「…私はティア・グランツ、テオドーロおじい様の孫娘よ。」

 ジゼルは気分が悪そうにティアの姿を遠目に見ていた。しかしその理由を知る人間は彼女自身意外にはいない。

「譜歌を教えて欲しいんだ。」
「譜歌は象徴を理解しないと効力を発揮しないから…」
「メロディーだけでいいから頼むよ」

 ルークがティアという少女に詰め寄るようにして足を進めようとしたのを見てジゼルはそれを止めた。不思議そうに振り返ったルークの目と合って、ジゼルは曖昧に首を振った。今ルークとティアが接触するのはあまり得策だとは思えなかったからだ。いや、それよりもティアとルークの間の記憶が共有されれば、ルークが離れて行ってしまう。そんな気がしてジゼルは止めたのだ。

「でも、簡単に人に教えるわけには…」
「簡単に人に教えられない割には色々とまずいところで使って見せていたようだがな」

 ジゼルの皮肉げな言葉にティアの瞳がきっとつり上がった。

「…失礼な人ね」
「無礼だろうがなんだろうが、かまわない。」

 あれほど、兵士としての心得を教え込んだのに大切なことをぽっかりと忘れてしまうような娘には言われたくないとジゼルは苛立たしげに思った。

「旋律だけでも良い。お願だ」

 ルークの必死さが届いたのか、少女は狼狽したように瞳を揺らし手を胸の前でギュッと握りこんだ。

「私が知っているのは…第一譜歌だけよ?」
「それで構わない…」

 こくりと頷き少女はゆっくりと旋律を紡ぐ。あえて音素を込めずに歌っていたが、空気が震えたのがルークには分かった。それは第一音素の気配だった。どこかで聞いたことのある様な旋律に瞳を閉じる。

「トゥエ レィ ズェ クロア リュオ トゥエ ズェ…」

 音を真似してルークは第一音素であるシャドウ、フィンスター・テネブラエ=シャドウを呼ぶのを意識して旋律を紡ぐ、ゆっくりと辺りの空気がざわめいて、靄の様な闇が辺り一面を暗くする。
 突然目が見えなくなってしまったかのような暗さに眩暈を感じ、ルークはゆっくりと息を吐いた。

『我が主、いやルーク…ようやくあえた』

 闇の塊が揺れて、徐々に人型へとなっていく

「フィン…」
「ルーク、一人にして済まなかった」

 現れた途端に抱きつかれた。子供の姿では大きな大人の姿をしたシャドウを支えることができずに倒れ込みそうになるのをジゼルが驚きつつ支えてくれた。

「なに…これは…」

 ティアは驚いたように目を見開いた。自分が歌ってもこんな効果は一度だって現れなかった。それなのに、今さっきまで譜歌を知らなかった様な少年が何故突然、譜歌を歌っておそらくは第一音素の意識集合体を呼べたと言うのだろうか

「契約の歌しかと聞き届けたぞ」
「…あのさ、契約した時にこんなこと一度だって言わなかっただろ!?お前ら本当っ」
「まあ、そういうな。我々も焦っていたのだ…」

 フィンはなだめるように子供をなでて、その整った相貌で笑った。闇色の瞳と髪が艶やかに輝いていた。


2012/05/13
フィン(シャドウ)と合流、新しく譜歌を考えるだけの技量は持ち合わせていないので普通に第一音素譜歌ナイトメアですね。
ティアさんと接触すればかなり歌える。とは思うんですが、それはジゼルがブロックします。ジゼルは無意識にルークラブなので…ティアとの記憶を取り戻したら、ルークはティアのところへと行ってしまいそうで嫌なんです。

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