名前を知らない世界 5 | ナノ

名前を知らない世界

 頭を抱えて花壇の端に腰掛ける子供が一人、うなだれたようにうずくまっていた。

「いっぱいあり過ぎ…」

 小難しい言葉で譜歌の原理やらなんやらについて表記されている本は数多くあった。けれど、大体は似たり寄ったりな内容で、その歌について言及されて書かれているものは無かった。

「象徴を知らないといけないって…んなもんどうやって…」

 ヒントは譜歌だけ。譜歌とは一般的にはユリアの譜歌を指しているものらしいが、音律士であり、その仕組みを理解していれば譜歌を紡ぐことは可能らしい。その性能は微々たるものらしい。故にそもそも存在している音律士が少ないのだ。
 彼らが示すのがどの譜歌かもわかっていない。曲も歌詞も全く分からないそれをどうやって見つけ出せと。

「自分でつくれとかそういうんじゃないよな〜」

 空を恨めしく見上げながらルークは深々と息をついた。空には六つの音譜帯が早く早くと急かすように揺らめいているようだった。

「あ〜もう!音律士なんてどこに居るんだよ!」
「僕知ってますよ」
「はっ?」

 突如後ろからかけられた声に間抜けな音を漏らして振り返った。そこには常緑の髪と瞳をもった幼い少年が一人

「本当か!?」
「ええ、しかし何故音律士何ですか?」
「薄情な奴らを引きずりだすため」

 むすっとした声色でそういえば、一瞬きょとんと眼を丸くした目の前の少年はくすくすと面白そうに空気を揺らした。

「僕はイオン、貴方は?」
「ルクス、ルークって呼んでくれ」
「…ルーク」

 ピクリと何かに気がついたように肩を揺らした少年はフードに隠れたその顔を窺うように目を細めた。ゆっくりとイオンの手がルークの頬へと伸ばされ手の平がルークの頬に触れる。その瞬間イオンは目を見開き、それからゆっくりと目をつぶった。

「…まあ、良いでしょう。こちらです」
「案内してくれるのか?ありがとな」

 にかりと笑って少年の後ろをついていく。ずんずんとわがもの顔で進んでいく少年に随分とここに慣れているんだな。とどこかずれている感想を抱きながら、大人しく歩みを進めた。

「ヴァン、面白いものを連れてきました。」
「イオン様…」

 バタンと扉を開けたイオンに部屋の主は驚いたように声を漏らした。開かれた扉には導師イオンと同じくらいの背丈の子供が一人

「ルークだそうです。」

 そういった瞬間ヴァンの体が動揺に揺れた。その動揺を見てとったイオンはケラケラと声を立てて笑う。ルークを部屋の中へと促し扉を閉めたイオンはにやりと笑ってヴァンを睨みつけた。

「…イオン様、その子供は…?」
「教会の前で拾った」
「俺ルクスっていうんだ。ルークって呼んでくれ」

 突然雰囲気の変わったイオンにルークは驚いたようにかすかに目を見開く。

「譜歌を教えてもらいたいんだって」
「…譜歌を……?」

 ヴァンと呼ばれた男は何かが気になるようでちらちらとルークを気にしていた。フードを深くかぶったルークの姿はヴァンには分からない。

「ああ、譜歌を教えて欲しい」
「叶えてあげたら?」
「イオン様…」

 イオンはぐいぐいとルークの背中を押し、ヴァンと向かい合うように立った。疑る様な、そんな目が向けられているのが居心地悪くてルークは視線を揺らす。

「ヴァン、お前だって感じたことがあるんじゃないか?全てが終わるその時に、またか。と諦める。そんな感覚を」
「イオン様?」
「今は分からない。そう言いたいの?彼に触れればわかるよ。きっと」

 にやりと笑ったイオンにルークは不安そうに瞳を揺らした。自分を見下ろす男の目に浮かぶ色はどこか恐ろしい。

「どういうこと、ですか……」
「だから、触れれば分かる。」

 そういったイオンにヴァンは何かを考えるように口をつぐみ、それからゆっくりと手を伸ばした。びくりと揺れたルークの様子に気がついて、手を止める。

「くっ、存外臆病だね。」
「こんなことに何の意味が」

 ヴァンが言いかけて、イオンがぱさりとルークのフードを払う。そうして彼は言葉を紡ぐ手段を封じられたかのように口閉ざす。

「さあ、触れるんだ」

 どこか怪しい雰囲気を醸し出している部屋の中、じっとりと汗を流すルークを前にヴァンは驚きの表情で見下ろしていた。

「なぜ、レプリカは確かに公爵家にっ……」
「何?お前そんな下らないことしてたの?」

 うわぁと嫌なものを見るようにイオンの目が眇められた。

「(この世界では)俺は、レプリカじゃない。ルーク・フォン・ファブレでもない。俺の名前はルクスだ。」

 まっすぐ見つめるには悪感情が支配する自分に少しだけ視線を外して、まっすぐに言い放った言葉、彼らには正しく届いたかも怪しい。

「ルクス、君という存在は、僕の中に一度だって無かった。このクソッタレな世界で、一度だってね。ヴァン、触れるんだ。彼の容姿を見てレプリカと言ったお前は、何を知っている?」
「イオン様?」
「繰り返してるんだろう、お前も、けど彼は違う。触れればお前にだってわかる。早くしてよね愚図」

 口の悪い子供を窘める気にもならない。ヴァンは動揺しながら、手を伸ばした。ルークの肌に直接自分の肌が触れる。そして思いだす。絶望、愚かさ、何もかもを
 触れたそこが光るようにヴァンからルークへ記憶が流れる。

「っい、いやっ!嫌だ!!」

 ルークは渦巻く記憶に目を見開きながらヴァンから離れた。怯えた目がヴァンを捉え、ヴァンもまた奇妙なものを見るようにルークを捉える。

「いやっ…ローレライっ!!ローレライ!!!」

 悲痛な叫びが静かな部屋に響く。苦いものを飲み込んだようなヴァンの表情とは裏腹に、イオンの目は何らかの喜色に煌めいていた。

 朽ちる。滅びる。滅ぼした。俺が、何もかも、壊して、殺した。

 頭の中を駆け巡るヴァンが見たルークの記憶、嘔吐く感覚に堪え切れず床に膝をついた。

「そんな目で、見るなぁ」

 操られるままに沢山の者を奪った自分を嘲るように見る男、それでも彼を尊敬し慕っていた。その自分が彼を殺した瞬間に彼が見ていた自分。そしてそんな自分を見る彼の眼の『穏やかさ』

 心がボロボロになりそうだった。それでもルークはそばに誰かの気配を感じてその場から飛びのいた。

「面白い、君はこの世界の救世主だとでも?それなら僕のモノになってよ。こんな下らない世界をぶっ壊す。僕のモノに」

 自分と対して変わらない少年の願いにルークは耳を塞いで震えた。

「俺はっ…」

 ふと見上げた先、男の手が迫っていた。反射的にその手を振り払い、扉から飛び出した。人にぶつかりながら、後ろを振り返ることもなく駆け抜けていく。誰かが負ってくる感覚、それでもルークは走った。



「っ!」
「なんっ」

 誰かにぶつかってこけた。柔らかいモノをそばに感じながら顔を上げる。その目に映ったのは見苦しくないように結われた金の髪と少しきつめの青い瞳

「リグレット…」
「どいてくれ。それと私の名はジゼルだ」

 急いでいても教会の中は走ってはいけない。と注意されながら助け起こされルークはまた目を回す。リグレットの手が己の手に触れた。
 流れ込んでくる記憶は、敵対している自分の姿。気持ち悪くないはずがない。ヴァンから流れてきた記憶も相まってルークは気絶するように意識を手放した。





* * * * *


 ゆっくりとした覚醒。何も感じない。ただ、起きるという事実。そうしてルークは目を開く。

「ここ、は…」
「気がついたか」

 そばに女の人の声を聞いて飛び起きる。そばの椅子に腰かけていた人が呆れたように自分を見つめているのを見て、ルークはカッと頬が赤くなるのを感じた。

「リグレット」
「お前はレプリカか?」

 淡々とした声、ルークはゆっくりと首を振った。

「何で、ヴァンのところに」
「……まだ、その時ではないからな。それに、閣下の志に共感していたあのころとは違う」

 疲れてしまったんだ。と、リグレットは呟いた。いつも最後に遂げられなかった使命に悔やむ。なのにケロリと忘れてまた同じことを繰り返す愚かさに

「本当にレプリカルークではないのか?」
「俺はレプリカルーク"だったモノ"だけど今は、この世界では違う。ルクスそれが俺の名前」

 この世界では、と言ったルークにリグレットは驚いたように目を軽く見開いた。

「お前はこの世界の強制力、修正力の下にいないのか?」
「俺はこの世界の永劫回帰の輪を断ちに来た」
「…そうか、なら終わらせてくれ。あの時信じたモノがこれ以上馬鹿らしく思うことが無いように」

 あの時の信念は互いに本物だったと言うのに、幾度も繰り返すことで何とちっぽけなものになり下がってしまったのだろう。何度繰り返しても声を大にして良い張れるほど、自分は強い人間ではなかった。
 弱いからこそ、あんな手段で世界を変えようとしたのだから当然だ。




2012/05/01
オリイオ様は黒い。イオン、シンク、フローリアンを足して三で割ったみたいな。
イオン様とは共有記憶が無かったためにルークは何も得ませんでしたが、イオン様の方はルークといることで、この世界の異様さを思い出します。これはヴァンとリグレットも同じです。
みんなおんなじことの繰り返しで最後には絶望して嫌気が差すのを感じて、それでも忘れて繰り返すことに辟易してるんですよー
で、やっぱりシリアス脳←

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