リビングでテレビを見ていたら、キイイ、と恐る恐るとびらが開く音が聞こえてきたので おれはソファーの向こうをふりかえった。ボリュームを抑えてテレビを見ていたつもりだったけど、どうやら起こしてしまったらしい。寝室は電気を消していたから、目が冴えきっていないせいもあるのか まぶしそうに目を細めてこちらに向かってあるいてくる。ぴんと立っている前髪の寝ぐせを見つめながら おれはひとつ横にずれて、彼女のスペースをあけてやる。いつもの、締まりのないかおが、さらにとろけてだらしがない。

「なんか飲むか?」
「いらない」
「もっかい寝るならココアでもつくるけど」

 ふるふると首を振って、おれのかおを見る彼女の目はあいかわらずきちんと開いていない。無理して寝かしつけようとしても反感をくらうだけなので、おれは立ちあがって、キッチンへ向かおうとした。それを制したのは彼女の手。

 スウェットのポケットに手をつっこんで、とくに興味もないのにダイエット器具をすすめてくる通販番組をながめたまま、ぬいぐるみみたいに動かなくなる。行くなってことらしい。観念してソファーに座りなおす。

「おれ、のど乾いちゃったんだけど」
「おさんぽしよう」
「ずいぶん急だなあ」
「お手軽なおさんぽ」
「なんだそれ」

 てっきり機嫌をそこねたのかと思っていたけれど、彼女は歌でもうたうようにリビングの隅にある本棚まで向かって、テーブルに乱暴にほうり投げる。物の扱いが雑なのは今に始まったことじゃないけど、おれはこらこらと注意しておく。おれのいないときに食器でも割られたら困るしな。

 戻ってくるなり、肩を並べてとなりにすわると、彼女はテーブルに乗せられた、ほんのすこしくたびれたぶ厚い一冊の本を手にした。明るいオレンジ色の表紙には、これまた乱暴に10の数字が描かれている。買ってやったのはおれで、落書きを施したのは言うまでもなく彼女だった。

「アルバムなんかでなにすんの?」
「まずは母校に帰るのだよ」
「あ、入学式だ」

 楽しそうにアルバムを開くと、体育館に入場する新入生たちが列になって歩いている場面から始まった。よくよく見てみると写真の端には真ちゃんのかおが半分だけ映っていて、そのいくつか前におれがいる。ぎこちない表情だ。この写真を撮ったのは彼女の親だろうから、きっとこの一枚のどこかに姿が映っている、はず、なのに。

 どこにいんの?おまえ、入学式いた? かおを見やると、くすくす笑って、指をさす。おれのすぐそばで、ぐったりとした表情の女の子が隠れていた。

「となりだったんだよ わたしたち」
「全然気づかなかった…」
「ここが始まりなんだよ」

 まったくの他人だったわたしたちが、この場所から一歩、近づいたんだよ。ページをめくる手が優しくて、こぼれた言葉がとても静かで、おれは恥ずかしさと心地よさを同時に噛みしめる。複雑で、もどかしくて、けれどあたたかい気持ち。彼女はなんにも気づかずに、一ページ、一ページとゆっくりめくってゆく。

 体育祭、文化祭、テスト前に真ちゃんを連れていったファーストフード店。それから初めてケンカし合ったおれの後ろ姿に、黙ってふたりで抜けだした修学旅行の夜。大きなイベントからくだらない日常まで。たくさんの時間をかけて歩いてきた道のりが、この一冊に刻まれている。

「だんだん近づいてってるのがわかるねえ」
「写真、まめに撮ってんだな」
「だって、こういうのもすてきでしょ」

 手のひらがポケットの中に忍びこんできた。となりで垂れたまつげが愛おしそうに揺れる。おれたちはこんな時間を、まだまだたくさん過ごすんだろう。その度に増えていくんだ。かさばっても邪魔にはならない。重なっても一枚にはならない。大きなイベントからくだらない日常まで。何度もくり返すけれど、おんなじ瞬間はひとつたりともない。そんな毎日を、これからも。

「つづきはまた今度ね」
「ねむれそう?」
「うん。とってもたのしかったから」
「ココアはもういらねーな」
「それはあしたの朝、いっしょにのもう」

 また一歩きみに近づいて、このままひとつになってしまえたら なんて考えて、すぐにやめた。いまは、いっしょに毛布に包まるくらいがちょうどいい。

「あしたはさ、お買いものに行こうよ」
「なに欲しいの?」
「アルバム 買いだめしちゃおう」

 いつもの、締まりのないかおが、さらにとろけてだらしがない。つられるように小さく笑ってから、おれはそっとリビングのとびらを閉めた。一ページずつ、丁寧に、ふたりで切り取っていこう。