例えば、あの夏の、たった数時間のこと。
細く薄い体躯からこれでもかと不機嫌オーラを撒き散らして、半眼の藍色が俺を睨んでいる。椅子に腰掛け地に届かない脚をバタバタと揺らして、トレーナーから与えられた冷たいミルクティーを飲んでいる。かしかしとストローを噛む動きが今ここにいない己の主人を思い起こさせるが、俺の思考が反れたのを察した目の前の少年がグルグルと喉を鳴らした。
「…なんで僕がこいつと一緒に…」
「それは俺のセリフだが」
「真麻さんはなんでエル連れてっちゃうんだよ…そしてなんでこいつとお留守番なんだよ…!」
「それも俺のセリフだが」
思い立ったら即行動、の主人が目の前のグレイシアの主を連れて出かけてしまった。しかも双方のパートナーを捨て、じゃない、置いて行ったのである。
主人曰くの女子デートと言うやつで、容赦なく俺達は置いていかれた。
…ライルはともかく、リユキもヒイラギも付いて行っているのはなぜなのか。
パートナーは暑さに弱いから心配だ、と後ろ髪を引かれつつそれでも嬉しそうに出かけて行ったエルサに、流石のクリスフィオも無言で見送る。
別に四六時中一緒にいる訳でもなしに。まあ話を聞く限り、四六時中一緒にいるようなのだが。
口にする冷たいソーダはほんのりとレモン味で、そう言えば主人が最近ハマっているらしいレモネードが切れかけていることを思い出し、いつ頃買い出しに出かけるか考え始める俺にぶつぶつと文句が飛んでくる。
「くそ…こんなトレーナーよりでかくて頼りになります、みたいな顔してるやつなんて大嫌いだ…」
とにもかくにも、彼は俺を嫌い過ぎている。なんでもかんでも難癖を付けて突っかかってくるのだ。
普段は無視しているのだが、互いしかいない空間でこうも絡まれるとこちらもいくらか返したくなるもの。
「…こっちも、分かりやすく小さくて愛され系だと主張するやつと一緒にいたい訳ではないんだが…」
「僕が可愛いのは当たり前だろ!」
この自己肯定感の極めて高い感じ、いくらパートナー至上主義とは言え、エルサさんはこいつを甘やかしすぎだと思うのだが。人型でも膝に乗せるのは当たり前、手ずから食べ物を口に運ぶ献身っぷり、最初に見た時は正直引いた。
なんだそれ。普通逆じゃないのか。
「背丈は種族特徴の問題もあると思うが」
「ふふん、まあ僕はまだ11歳だからね、お前と同じ歳になる頃にはエルより大きくなってるだろうし」
「いや無理だろう」
エルサさんの身長をいくつだと思っているんだこいつ。靴のヒールがなくても170cm近いんだぞ。ヒール込みなら主人がしっかり見上げるくらい背が高いんだから、グレイシアじゃ無理だろう。
俺が顔の前で手を振れば、クリスフィオは心底呆れた顔をした。
「オウカ知らないのか、何事にも例外があるんだぞ」
「お前は例外にならなそうだが…」
「目指せ180cm、目標は常に高く」
高すぎてその背丈じゃあ飛び跳ねても届かないだろうが、本人が楽しそうなのでもう何も言わないでおく。
話の途中から口角が上がっていたので機嫌は直ったのかと思ったが、すぐに元の半眼に戻ってしまった。
じとり、とこちらを睨むのに、俺も相手を見返す。よく顔が怖いと言われる俺だが、愛らしい見た目に反して怖がる様子もなく相手は睨み続けている。
しかし、こんなにも嫌われるようなことをした覚えがない。主人込みでなぜか色々と恨まれる時はあるが、彼相手に何か…気に障るようなことでも言っただろうか。
またつらつらと思考の海に沈みかけていると、飲み切ったグラスを置いてクリスフィオがため息を吐く。
「はあ、トレーナーにべったべたに愛されているやつは、余裕があっていいですねぇ」
「鏡でも置いてやろうか?」
「エルは僕のこと、大好きだからね。僕もエルのこと大好きなんだ、とっても」
少女のように両手で頬を包むその様は愛らしい見た目と相まって背景に花でも散らしていそうだが、中身は大変肉食系、それは主の心臓を掴んで放さない上に噛り付きそうなほど。
きっと溢れ出た血液だっていとおしいと目を細めるだろう。
俺とは考えが異なるが。赤く染められた主人は美しいだけだ。
「…オウカはさあ、真麻さんと、人生の途中で出会ったでしょ」
「まあ、…そうだな、しかしやけに壮大な話になったな。…お前は違うのか?」
「僕は生まれてこのかた一緒にいるからね、こっちは覚えてないけどもしかしたら全裸すら見られている可能性がある…」
「赤ん坊の時、と言うことか」
5つも歳が違えば色々とあるのではないのだろうか。と言うより、生まれてこのかた一緒にいるのであれば、それは幼馴染みと言っても過言ではないのでは。
「そう、僕達は世間が羨む幼馴染みってやつだよ!」
「…羨むかはさておき、だな」
「羨むに決まってるだろう!幼馴染みでトレーナーとパートナーの関係、リーグ制覇するくらい実力もあって、尚且つお互いが大好き!あとはこのまま結婚すれば最強だね!」
「めでたいな、頭がお花畑なところが特に」
「オウカは潤いがないな、荒野って感じだね!」
何がひび割れているって?
主人と俺との関係がか?
「…俺と主人はそう、そう言うのではない」
「あんなに好きだって思っておいて?」
「違う、これはきっと、そう、まやかしのようなものだ」
「死にかけていたところを拾ってもらえたから、その感情は刷り込みだって言うの?
僕は、ただ一緒にいたからエルが好きな訳じゃないよ。あと、好きになったきっかけなんて忘れてしまっても、あの意志の強くて真っ直ぐな目を見ていたいから、ちゃんと隣に立って好きだって伝え続けるよ」
「…めでたいな、本当に」
「だって僕はエルのパートナーだよ?トレーナーの背中が見たいんじゃなくて、同じ景色が見たいじゃないか!」
「…確かに、それは」
「だから目指せ180cm!エルに心底かっこいいって思ってもらえるように、まずは見た目から!」
「シリアスクラッシャーか」
話のいいところで話を壊すのが好きだな、こいつ。エルサさんもどっちかと言うとこのタイプなので、多分似ているんだろう、この主従。
ちなみに主人は話を最初から掻き回すので、これの上位互換。
いや下位互換か。
鼻息荒く捲し立て続ける少年を眺めて、黒髪の背中を思い出す。背中越しに見るよりも、並び立って見る景色はより美しいだろうか。
見てみたいが、振り返るあの人の顔が見えなくなるのは、とても惜しい。
「ちょっと聞いてる!?」
「聞いてない」
「どういうこと!?オウカはいつもそう、真麻さん最優先!他に興味なし!」
「やっぱり鏡でも置くか?」
「僕がエルを優先するのは当たり前だろ!」
「もうやだこいつ…」