そう、例えば。
今目の前に広がる光景が夢であると認識している、意識が妙にクリアであることを認識して、ならばこれはどこかにあるかも知れない別世界の可能性、または残滓なのだろう、とそう結論付けた。
相も変わらず柔らかそうな黒髪は大分と短くなり、肩よりやや上辺りで後ろ髪が切り揃えられている。しかし前髪は変わらず鬱陶しいくらいに伸ばされ、左に跳ねた三つ房が頭の動きで揺れていた。
普段より丸みを帯びた瞳は深い紫、生白い頬は少し脂肪を落として、薄い唇は赤みが減っている。
華奢な肩、伸びる腕は細く少し骨張って、筋肉すら薄い胸、柔らかな腹、細い太もも、骨の浮く脚、長い足指。

「…リユキちゃん?」

姦ましく氷の欠片が転がるような高く澄んだ声が、静まり返った雪原に響く少年のアルトに。
知らぬ間に我等が愛しき主様は、男になってしまったらしい。
小首を傾げる姿は脳みそに残る少女の面影を残すが、しかし目の前のそれは同じ16の少年の形をしている。やけに体ばかりが成長してしまったせいか、以前はその内面と合わせて少し男を惑わす妖の空気もまとっていたものだが、こちらはまだマシだろう見た目になっていた。
少なくとも、こちらも幼いだろう内面とそこまで大差ない見た目をしている。

「…なぁに、ぼくをじっと見て」

上から下まで舐めるように見た俺に対して、真麻は変わらず呑気に言葉を紡ぐ。初夏も遠い5月のシンオウ地方、口に運ぶのは温かな甘いミルクティー、カップを包む手はやはり男の手で。
そして、視界に入る俺の手は、皮の厚みがしっかりとしているがたおやかな女の手をしていた。
性別の反転、か?

「…別に、馬鹿そうだなぁ、って見てただけだ」

「えぇ、酷い、ぼくは何もしてないのに」

俺の口から吐き出されたのは低い女の声。俺が女であるならば、一つ確かめたいことがあるのだが。
この少年の、半身はどこに。

「何もしてないのが、馬鹿そうだってことだ。…オウカは?」

「オウカちゃんは、屋上できのみの世話してる」

ゆるりと弛んだ口元がその名を呼べるのが嬉しいと物語っている。
しかしながら、手持ちの呼び名が同じためにオウカの性別の見分けが付かない。
オウカが男のままならば、この愛らしいが男とわかる人間に恋狂うこともないだろう、いやでもあいつ理屈抜きで真麻に狂ってたから性別関係ない気もしてきた。女だったら何も問題なく想いを寄せて結ばれる、か?真麻が男がダメなのは性的にダメなだけで、相手が女ならば問題ない、はず、いや性的にダメなら性別反転させれば女がダメな訳で、でも現状真麻は男なんだから最悪上に乗っかってしまえば、理性焼けてイケる気もする。んーでも主従に厳しいオウカが上に乗っかるかと言われれば乗っからない気がするし、そもそも性別反転している世界で真麻が男ならば、自分が女だしもう問題ないだろこれ幸いと襲いそうなあいつやそいつもいる訳で、それに勝てるかどうかは真麻が拒否するかどうかだし、真麻が拒否するかと言われればやや本能で生きてるこいつがそれを振り切れるかどうかで。
目の前の馬鹿そうな顔を眺めて止まらないあれこれにため息が出る。そのため息にやはり少年は首を傾げたが、カチャリと響いたドアノブの音に視線が移った。

「おかえり、オウカちゃん」

「…戻りました」

涼やかな薄い女の声。覇気のないそれが背後から聞こえて、なるほど、やっぱり女だったか、大変だな、と頭が痛くなった。
振り返った先には、かなり縮んだそれでも以前の俺よりもでかい背丈に、薄く膨らんだ胸に細い体、長い手脚、ぴったりとした手袋。しゅっとした顔のライン、絞られた瞳は若葉色、髪色も髪量も変わらない頭は飾りもない。
記憶のそれより細くなった真麻よりずっと面影のある姿に、オウカだこいつ、と残念な感想が浮かんだ。
俺の視線にオウカの眉が寄る。

「…なに」

「いや別に」

俺への態度は相変わらず、しかし真麻へのそれは少し困ったものを含んでいる。確かに以前の2人でもオウカは真麻に色んな意味で振り回されていたが、こんなあからさまに態度に出していなかった。出すなら出すで、呆れたような、そんな素っ気ないものだったような気がする。
この変化はなんだ。

「オウカちゃん、おいで」

真麻側は変わらずのようで、オウカに柔く手招いている。一瞬迷ったようだがいつものようにオウカは真麻に近付いて、傍らに立って、真麻の腕が伸びて。
その腕がぐるりと腰に回った。
は?

「は?」

思わずこぼれた言葉が床に落ちる前に、オウカの腰に回った腕が引かれそのまま引き寄せて、ソファの肘置きに座らせる。両者の背丈の関係上、脇腹辺りに真麻の頬が擦り寄って、左手が腹を撫で、右手が細い太ももに置かれた。
オウカの顔がひきつっている。

「主人、あの」

「ふふ、オウカちゃんは冷たくて気持ちいいね」

「手、が、その」

「でも柔らかくて大好き」

えっなにどゆこと?
理解を拒否して動きを停止した脳みそに目玉が映像を送るが、その映像に問題がありすぎる。
真麻の左手がゆっくりと腹を辿って鳩尾の下を撫で回し、右手が内腿に滑る。真麻の頭の周りでうろつく両手が止めようかどうしようかと何度も開閉され、口元はひくひくと動いているし、揺れる若葉には僅かに怯えが覗いている。

「オウカちゃん」

するすると動いていた不埒な右手がオウカの左手を掴んで引き寄せる。長いその指先に唇を寄せ、うっとりと溶けた紫色が己のパートナーを見上げた。

「いつになったらいいよって言ってくれるの?
ぼくと結婚して、ね?」

ぎゅっとシャツを握った腹の上、その奥がほしいと押し潰そうとする動きにオウカが唇を噛む。
あ、ダメだこれ。

「…やめろおい、それセクハラ!!」

色情魔の頭を殴るために伸ばした拳は空を切り、己の口から放たれた言葉は怒りをまとった低い声。瞬間、賢い頭は現状を理解し瞼を引き上げた。
ほら夢だ。最悪な夢だった。
本当に最悪な夢だった、マジで。
…あいつ性欲が絡まると制御できないタイプだったのか、既に襲ったあとじゃあないだろうな。何されても我慢できてるオウカを見習って。オウカの爪の垢を煎じて飲んでほしい。
なんならそのままでもいい。
オウカも拒否しろ。いや普段の様子から察するに拒否できないだろうこともわかっているが貞操の危機の時くらいはちゃんと拒否しろ。
あとあっちの俺はよく養生して頑張ってつっこみしてくれ。男だったら少し強めに殴っても頑丈だろうからよくよく殴ってくれ。
それと、オウカがちょっっっっっと嬉しそうだったのが1番よくない。とてもよくない、暴走に歯止めがかからなくなるから我慢して。
でも結ばれる気があるならさっさと頷いとけ。

どちらにしろ悪夢だろう(5月/あとがき)



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