カチカチカチ。
静かな部屋に時計の秒針が円を描いていく。短針はもう少しで長針と出会い、ゆっくりと別れる。
それを見届けてからようやく私はこの豪華な檻から出られるのだ。

「…本当に、ようやく、よ」

私のか細い声に寄り添う相棒が顔を上げる。冷たい鼻先を私の頬に押し当ててみゃう、と鳴いた。

「ね、ラズ。あと少しよ」

どれだけこの時を待っていたか。
最初に先に屋敷を出ていった兄をこの部屋から見送った。兄と不仲であった父は私達兄妹が顔を合わせるのを良しとしなかった。窓から見降ろした兄はとても小さく見えて、こちらを振り返らずに行ってしまった。
あれから兄に会っていない。
それから数年、あの日と同じようにこの窓から季節を見送りようやく10歳になってこの子と出会った。初めて顔を合わせた時は父が何か吹き込んだのだろうとわかるぐらいの怯えようで、そして同じくらいあの小さい生き物に怯える私がいて、多分端から見ていると笑える光景だっただろうと思う。
互いに名前を呼んで、触れて、ラズがボールに大人しく入ってくれるようになって。やっと私は兄を追いかけるのだと勢い込んだ時、父に言われたのはあと4年、この屋敷に留まることだった。
その間に跡取り娘として勉強しろと。
この家には兄がいるのになぜ。
あの日はこの短い人生で1番荒れた。
私が跡取りとして立つと言うことは、兄はこの家から外されると言うことだ。きっとたくさんのことを学んで立派な人になって帰ってくる兄の居場所がなくなると言うことだ。兄と比べて全てが劣る私を、なぜかいつも可愛がってくれた兄がいなくなってしまうのだ。
泣いて叫んで暴れた私は部屋に放り込まれて、傍にいてくれたのはラズだけだった。泣きながら布団に丸くなる私にラズはずっと守ってくれると約束してくれた。強くなるからと。
次の日から否応なしに始まった跡取りとしての勉強に父に負けてたまるかと言う思いと、たまに屋敷を抜け出して野生ポケモンと戦って少しずつ経験を積んで強くなるラズに恥ずかしくないトレーナーでいたい思いで耐えた4年間。どこで見つけたのか月の石でいつの間にか進化して宣言通り強くなったラズと、長い時間の中で残ったのは歴史と血筋だけの外面だけ父の望む貴族令嬢になった私は、昨日からあまり眠らずに部屋の時計を睨んで解放の時を待っている。
針の間はあと僅か。

「ねぇラズ、お願いがあるの」

隣にある顔を覗き込めば大きな藍の瞳が私の顔を映す。瞳に映る私の顔は疲れて血の気の失せた、父に見られればみっともないと怒鳴られそうな顔をしていた。
その顔に、言い聞かせるように言葉を紡ぐ。

「1人は寂しいから、ずっと傍にいてほしいの。…もう、ここに戻るつもりはないから」

今やポケモンを持ちトレーナーであることが貴族のステータスになっている。昔はあれだけ野蛮だなんだと声高に叫んでいたのに。トレーナーが周りに溢れて、自分達が時代に取り残されるような気でもしたのだろうか。
父はトレーナーではないが、他家の子息令嬢達がトレーナーになっていくに連れ跡継ぎ足る優秀な男子を家に引き込みたいと考えて私をトレーナーにしたのだ。周りに馴染み、万が一でも私がそこそこ腕の良いトレーナーになれば良い縁談が舞い込む。
だから修行として大事な、唯一の跡取り娘を外に出すのだ。1年だけと制約を付けて。
私が戻る保証なんてないのに。

「私、お父さんがいないと生きていけないと思われてるのよ。確かに貴族令嬢としてしか生きていないけど、今からやってできないことはないのにね」

宿に泊まれるよう金銭をかなりの量を渡されている。護衛はないが近くの町まで送られる。そもそも、その町から出ないと思われているから、数日に一度父が屋敷の誰かを出して顔でも見に来るつもりだろう。何回か繰り返して父が油断したところを逃げてしまえばいい。

「だからラズ、お願い」

これからどれだけ伸ばせるかわからないが、一生を自分の隣にいてほしいと願うのは、もしかしたらラズには大変な苦痛かも知れない。それでも、この4年間で芽生えた気持ちは、このパートナーを他の誰かに渡すなんて考えられないのだ。

「ラズベリル。私のパートナー」

どうか死ぬその時まで、私の隣にいてほしい。

「死ぬその時まで、必ず君の傍に。僕のマスター、アンダラ」

時計が鳴る。私達をこの部屋に縛り付ける鎖は解けた。
ガラスの壁は、砕けたのだ。

落ちる黒曜石(4月/あとがき)



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -