腐葉土の重なった柔らかい土に降る雨は、枝葉に当たらない限りは音もなく滲みて消えていく。
くぐもった雨音を聞きながらリユキは自分の膝上に座る真麻を見やる。彼女は目を閉じて頭を肩に擦り付けるようにして微動だにしない。一見して寝てるように見えるが、一応起きている。起きているはずだ。
ただこちらが話しかけても反応が返ってこないだけで。
彼女は大体一月に一度ある『整理』の状態になっている。頭に詰め込みに詰め込んだ記憶や情報を取捨選択して『整理』する。何も考えずに丸ごと詰めたあれやこれやの中から必要でないものを選んで捨てる。どう言うことかと本人に詳しく聞いてもそう答えが返ってくるだけで、リユキもよくわかっていない。
ただ。
本人曰く『捨てた』ものは綺麗さっぱり忘れてしまうらしく。逆に捨てなければ一切忘れない。
およそ人間らしくない能力、真麻がいつも使う言葉を借りれば『呪い』は生まれてからずっと彼女を苛んでいる、らしい。
「捨てて捨てて、それでも頭がいっぱいになった時が私の死ぬ時よ。
だって気ぃ狂っちゃうもん」
いつだったかそう眠そうに溢した真麻はかれこれ1時間はこの状態で。6年前よりずっと長く『整理』に時間がかかっている。
幼少期の記憶をほとんど捨てて、リユキと出会った時の記憶も朧気で。それでも残った記憶が執着を起こすのか何がなんでも掴んだこの手は離さない。
その半身はオウカを括り付けている癖に、まだ欲しいのか。
「…ぁ」
「あ?」
久方ぶりに小さく音を溢した真麻にリユキは首を傾げる。もぐもぐと何かしらを口の中で呟いて、真麻はうっすらと紫を覗かせた。ぼおっと宙を見ていたそれが自分の現状を把握したのか、数度瞬いてからリユキを見上げた。
「ん…」
「頭軽くなったか?」
「…ちょっと」
猫のようにぐりぐりと頭を擦り付けて、真麻はぐぐぐっと固まった手足を伸ばす。それから大きく溜め息を吐いた。
「あーしんどい」
「しんどいのか」
「しんどいよ。リユキちゃんだって、頭に山ほどいらないことが詰め込まれてればしんどいと思うよ」
「そうか」
素っ気なく返したリユキを物ともせず、真麻はリユキの手に己の手を重ねてニギニギと握っている。骨張った固い手に細い柔らかな手が重なって、大きさも違うそれを珍しそうに見ていた。
ふ、と真麻が顔を上げる。
「…雨?」
「…ああ、外は雨だぞ」
「…」
「ん?」
小さく動いた唇にリユキは首を傾げた。俯かれた顔を覗き込めば、とろんと眠そうな瞳とかち合う。
「雨は、好き」
「ん、おう」
「少し肌寒いけど、こうやってくっつけばあったかいよね」
「それ俺じゃなくて、オウカにくっついてやれば?」
「…オウカちゃん嫌がるもん」
拗ねたように唇を尖らせて真麻はリユキに凭れかかる。その小さな頭を撫でてやれば嬉しそうに笑った。
「多分ツンデレしてるだけだと思うが」
「ツンデレしてるのはわかるけど。デレがなくてしんどいなって」
「普段嫌がろうがなんだろうがまとわりついて離れない奴が何言ってんだか。
…あのな」
最近ケンカでもしただろうか。珍しくオウカを避ける言動をする真麻の姿に記憶を辿るが、特に思い当たることはない。
それでも2人が不仲であることは双方に悪影響しかないのを嫌になるほど知っているリユキとしては、少しくらいは手助けしたいと思う。
お互いに傍にいてもいなくても手間のかかる奴らだな、とため息を吐いて。
「雨で少し肌寒いから傍にいて、ってお前が抱き付けば全部解決なんだよ」
「…ほんとに?」
「今みたいに膝の上にでも収まってればいいだろ。なんだったらベッドで2人で昼寝でもすればいい」
「お昼寝」
「せっかく雨降ってんだから、それを口実に傍にいればいいんだよ」
真麻はリユキの言葉にしばらく考え込んでゆっくりと頷いた。
「わかった」
外から聞こえる雨音も、少しばかり勢いが強くなってきていた。それからしばらくはそのまま窓の外を見ていたが、飽きたのか膝から降りてパタパタと廊下を歩いていく真麻の後ろ姿を眺めながら、面倒臭いやつ、と嘆息した。
真麻が嫌がったオウカの機嫌の悪さは、こうしてリユキの傍にいる真麻自体が原因であり、傍を離れればすぐに通常に戻る程度のことで。
そうして関心が自分に向けば結局は真麻の隣に収まる訳で。
じわじわと地面に染み込む雨が如く、少しずつ少しずつ増えた自分に向けられた『嫉妬』に呆れ返る。
リユキは再度、面倒臭いやつ、と息を吐いた。