ちょろちょろちょろちょろ。
朝から人の周りを意味もなくうろうろしている自分の主を見やる。ひょんひょんと3束、跳ねた黒髪が揺れているため、ご機嫌なのはよくわかった。
…と言うか、この人の家系はよく髪が跳ねたり揺れたりしている。本当に人間なのだろうか…。疑念に眉が寄る。
それに一切興味を示さず主人は袖を引っ張った。
「オウカちゃんオウカちゃん」
「…なんでしょう」
「今日、何の日?」
小首を傾げて主人は俺を見上げる。自分の疑問を解決したい、と言う顔ではなく、わかるかと問い掛ける顔だ。にーっと唇の端が持ち上がっていたずらっ子の顔になっている。
…俺がわからないとでも思っているのだろうか。それとも。
「…当てられたら何かあるんですか」
「うん?なんで断定なの?」
「…その顔は、何かあるでしょう」
「…うふふ、秘密ね!」
何が秘密なのか。
クスクスと笑う彼女を少し呆れて眺める。そのまま頭の先から見降ろしていく。
長く豊かな黒髪には去年渡した桜貝の髪飾りが。細い首には一昨年渡した淡い緑の色石の付いたペンダント。右の手首に数年前に渡した細いブレスレット。透かしの入った黒いブローチが胸元に。腰から提げているモンスターボールを入れる小さなバックには彼女のイニシャルの入ったバッヂが1つ。足元には初めて渡した赤い靴。
「…」
全身でヒントと言うか答えと言うか、どうだと自慢のように飾られていれば答えは1つではないか。
「…今日、誕生日でしょう」
「うん!」
俺の答えに顔を輝かせて心底嬉しそうに頷いた。それに合わせて髪飾りがシャラシャラと揺れる。
少し赤く色付いた頬を隠しもせず、先程よりも強めに袖を引いてきた。
「オウカちゃんちょっと屈んで!」
「はぁ…?」
やや興奮状態の彼女に困惑しながら望み通り目線を合わせるように腰を屈める。パッと袖から手を放した主人の腕がこちらに伸びる。
「はい、ご褒美!」
首に腕を絡めたかと思えばそのまま抱き付いてきた。甘えたように首筋に頬擦りされる。
―一瞬息が止まった。多分相手は気が付いていないだろうけれど。
むぎゅむぎゅと嬉しそうに腕に力を込めてさらに抱き寄せつつ、耳元でクスクス笑っている。
「ねえねえオウカちゃん」
「なんで、しょう」
「ぎゅうってして」
「…主人」
「して」
あの日出逢ってから色々あった自分が逆らえるはずもなく、言われるがままに彼女の背へと腕を回す。下手に力を込めれば容易く折れるだろう体に配慮しつつ、柔く力を込めてそっと抱き寄せた。
体が先程より密着する。
…人間の体は温かい。いやリユキとかも俺より温かいけど。
「オウカちゃん冷たいね〜」
「…貴女は、温かい」
ぐりぐりと額を擦り付けていた頭が肩から離れた。そのままこちらの顔を覗き込んでくる。
至近距離にある紫がパタンと瞬いた。
「…冷たい方が好みかな?」
「…今ちょっと死にかければ体温下がるかなとか思ったでしょう」
「えーと」
一切沈黙せず誤魔化さずにこちらの目を見たまま主人は首を傾げる。
「思ったけど」
「ダメですよ」
「んーでも」
「俺は温かい方がす、好みです」
「なんでそのまま好きって言ってくれないんだろうか」
少し眉を寄せて不機嫌顔を作るが、すぐにふにゃんとふやけた。
くいくいと髪を引かれる。少し痛い。
「今年はなぁに?」
「催促はどうなんでしょうね」
「オウカちゃん毎年くれるじゃん。だから何かなって」
「…少し離れて下さい」
「ん」
首に絡まっていた腕が離れる。相手の背へ回していた腕を解けば一歩下がった。
はあ、息を吐き出してポケットからこの日のために用意した物を取り出す。目の前に差し出されたそれをきょとんと見て、再び首を傾げた。
「…平たい」
「差し上げます。開けてみて下さい」
小さな手に収まる平たい入れ物。回して開けるそれをクルンと回して、蓋を持ち上げる。それから中を覗いて目を丸くさせた。
「…うん?」
「主人はほとんど付けないのでわからないと思いますが」
手袋を抜いて人差し指に入れ物の中身をほんの少しばかり付ける。それからもう片手で主人の顔を固定。
「…少し触れます」
「うん」
彼女は不思議そうにこちらの動きを目で追う。それに少し緊張しながらきょとんとして緩く開いた下唇に人差し指で触れた。
ゆっくりと横へ引く。
「ん」
「一度口を閉じて」
「…ん」
「開いて。…いいでしょう」
手を離せばぱちぱちと瞬く瞳に見つめられる。指に残った赤を紙で拭えば、うっすらと指先が赤く染まっていた。
これは洗わなければ落ちないか。
「…オウカちゃん」
「何かわかりましたか?」
「…くちべに」
「はい。普段付けないでしょうから少量ですが」
貴女に似合う色を。
俺の言葉にポカンとこちらを見上げて、そのままじわじわと頬が赤く染まっていく。
珍しいほど真っ赤。
「…あうー」
ぱくぱくと口を開いたり閉じたり。こんなわかりやすく戸惑われるのも久しぶりで、うろうろと紫が泳いでいる。
「…嫌でしたか」
「あうあうあうあうあう!」
勢い良く首が横に振られる。それから赤い顔のままふんわりと笑った。
「ありがと」
「たまに付ければライルも喜びますよ」
「…オウカちゃんは?」
「…まあ渡したので使ってもらえれば嬉しく思います」
「うん」
1つ頷いて。それから何か企むように笑って。
「オウカちゃんは多分知らないよねぇ」
「はい?」
「うふふ、秘密」
オウカちゃん。
呼ばれて近付いた主人の顔に固まった。