年間の平均気温が他地方より低いシンオウ地方。それは冬の時期が長いと言うこと。例え真夏でも雪降る場所のあるシンオウ地方では、桜の開花もやはり遅い。3月半ばから桜が咲き乱れるホウエン地方や3月の終わりから咲き始めるカントー・ジョウト地方と違い、シンオウ地方は4月も半ばにようやっと満開を迎える。
だから真麻はこの時期にここに来る。
芝生に敷き詰められた赤い花びら。そこに寝転び見上げれば、ひらひらと降ってくる赤、赤、赤。
視界いっぱいに赤い花が咲いている。

「…」

ぼんやりと降ってくる赤い色を見ている。寝転ぶ彼女の白い服や肌の上にも、この赤が重なっている。白い上にぽつぽつと置かれた赤は、遠くから見れば散った血痕のようだった。
時折瞬きをするだけで一切身動ぎをしない彼女はまるで死体のよう。

「…」

その彼女の瞳が僅かに揺れた。ゆら、と揺れた紫はちらりと横を見る。そちらに自分へと歩いてくる足があるのを確認して、再び視界に赤を写した。
さくりさくりと芝生を踏む音が響く。しばらくそのまま動かずにいれば、芝生を踏む音が柔らかいものを踏む音に変わった。
赤い花びらを踏んで顔の隣で止まる。

「…やはり、こちらにいましたか」

「…」

真麻は1つ瞬いて再び瞳を動かす。足から上半身へと辿って、相手の顔を見上げた。
見慣れた渋面を見て、ふわと笑う。
掠れた声でオウカちゃん、と名を呼んだ。

「…桜、咲いたよ」

「ええ。だからこちらにいると思いました。
…遠くからだと死んでいるように見えましたよ」

「んー…?」

首を傾げるように頭を少しだけ傾けた真麻は、目の横を転げた花びらを目で追う。それを認識して、ああ、と頷いた。

「確かに死んでるように見えるねぇ」

「1人で行動するのはやめて下さい。ただでさえ死にかけてばかりいるんですから、急にいなくなったり死んだように転がっていれば驚きます」

「うふふ…ごめんねぇ」

真麻は全く悪びれずに笑う。それにオウカは溜め息を吐いて、隣に同じように転がった。
ぱたりと真麻が瞬く。

「…迎えに来たんじゃないの?」

「迎えに来たんですが、貴女がまだ帰りそうにないので」

「ふうん」

一切こちらを見ないオウカをしばらく眺めて、視界を横切った花びらの大元へと顔を向ける。
まだまだ目の前は真っ赤なままだ。
枝の間から見える月は白く、赤い花を白い光が縁取っている。
まるで、あの時のように。

「…燃えてるみたいだねぇ」

「はい」

「赤々と、いつもこの時期に、あの時から、ずっと、ずっと…」

ずっと、と繰り返す声は小さくなっていく。音のなくなった空間には花を揺らす風の音だけが小さく聞こえた。
しばらくお互いに無言で花を見つめる。
ちらとオウカが横を窺えば、ストンと表情の抜け落ちた白い顔が見えた。白い服に花びらが落ち、先程より赤い範囲が広がっている。
まるで多量に出血したように見えた。範囲を見るに失血死する程度には赤い。
ぼーっと宙を見る様子も含めてやはり死にかけているよう。

「…主人」

呼びかければ瞳だけでオウカを見た。しかし、数度瞬いただけですぐに宙へと戻してしまう。
仕方なく同じ方向を見たまま言葉を続ける。

「初めて会ったのはいつでしたか、覚えていますか」

「…6歳になるちょっと前」

小さな問い掛けに掠れた声が返ってくる。

「…あの日は、赤い桜が、花びらが、ずっと降ってて、豪雨みたいで、燃えてて、燃えてる桜が、桜が、君と、君と…」

壊れたように小さく赤い唇が途切れ途切れに言葉を吐き出す。頭痛を堪えるように眉をしかめたまま、ゆらゆらと瞳も揺れていた。

「…名前を、私は、君の名前を。
本当にもう、情けないくらい強い独占欲で君を縛りたくて縛りたくて。絶対何がなんでも手放したくなくて。私のものだって主張したくて。
だから、だから…」

君に名前をあげたんだよ。
最後の言葉は風に吹かれて消えた。それでもオウカにはしっかりと聞こえる。
毎年聞いているのだから、聞かされているのだから。
聞こえなくても聞こえている。

「君は、私のものは誰にも渡さない。奪おうものなら殺す。絶対殺す。君が私から離れることすら許さない。離れるくらいなら君を殺す。でも私が許可するまで死ぬのは許さない」

「はい」

「私が死ぬか君が死ぬまで、ううん、死んでも。死んでも、例え君が、君が私を殺したいほど嫌っても、憎んでも、恨んでも、ずっとずっとずっと、ずっと傍に、永遠に隣にいてね」

「…はい」

オウカはカタカタと歯を鳴らす主人を見つめる。自分があの日言われたことを忘れることなど、有り得ないとわかっているはずなのに。何がそんなに怖いのか、恐ろしいのか。
赤々と燃えるように真っ赤な桜。火の粉を散らすように花びらが舞うあの日に。
桜火、と。
初めて逢ったあの日に、幼いにも関わらず欲しい欲しいとその紫の瞳に欲を滲ませて自分で名付けただろうに。
自分以外を見えないように、触らせないように、奪われないように縛った癖に。
全てが全て、自分のものにした癖に。
一欠片も残っていないのに。
そんなにも奪われると、失うと怯え恐れるのだろうか。

「だ、から」

「主人」

「…っ」

「俺はあの日に、全て貴女に捧げると言ったでしょう」

「…言ってた。でも」

「名も、この身も、生死さえ、全てを。
それでも、俺はそんなにも信用ありませんか」

血の気が引いた、白い顔がオウカへ向けられる。すべらかな頬を赤が滑り落ちる。

「オウカちゃ」

「毎年毎年、まるで試すかのように繰り返し繰り返し。
俺が一言でも否定を、拒否を口にすれば。態度に現せば、空気に滲ませれば。直ぐ様俺を殺していたのでしょう。
…何が恐ろしいのかわかりませんが、生死さえ貴女に委ねた俺は、貴女の隣にぐるぐると固く括り付けられていて、俺が望もうと望まなかろうと、もうどこにも行けないんですよ。
わかりますか?」

オウカはするりと主の白い頬を撫でる。真麻はしばらく固まっていたが、何回もオウカの言葉を頭の中で反芻して、ようやっと小さく頷いた。そろそろと頬を撫でる手に自分の手を重ねる。
柔く握った。

「…ずっと一緒?」

「あれだけ言われて、結局聞いてくるのはなんででしょうね」

「答えて」

「確か、俺の望みは聞けないんじゃなかったでしたっけ」

「オウカっ」

「―貴女の仰せのままに」

ざあ、と。
突然吹雪いた桜に一瞬視線をやった真麻に陰が落ちる。視線を戻し、瞬いた彼女は自分に覆い被さった彼を見上げて。
視界いっぱいの緑色に。
頬を染めて嬉しそうに、花咲くように笑った。

「…さっきの、王子様みたいね!」

「眠り姫は起こせるかわかりませんけどね」

燃えるように真っ赤な(4月/あとがき)



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